ブログ・お金・仕事で「手段を目的化」したための失敗例

 

「手段が目的化する」の具体例は、いろいろある。
大体、いいことじゃないけどね。

 

ブログの場合だと、「ブログをたくさんの人に見てもらいたい!」という目的がある。
で、そのための「拡散」という手段がある。
それで友人・知人に協力してもらって、フェイスブックやツイッターで拡散するってのはよくやることだと思う。

でもだんだんと、「ブログを読んでもらいたい」が目的じゃなくなって、「拡散する」という手段が目的化するとマズイ。
「自分のブログを広げたい!」と、それしか考えられなくって、友だちに協力してもらっているのではなくて、「使っている」「利用しているだけ」になってしまう。

結果、友だちからそっぽを向かれ、ブログも拡散できなくなる。
そんなことは十分考えられる。

だれでも何かに夢中になると、初心(本来の目的)を忘れたり全体が見えなくなったりしがちになる。
そうすると、いつの間にか手段が目的になってしまうことがある。

 

「手段を目的化する」という考えをお金に当てはめてみる。

お金は何のためにあるか?

結局は貯めるためじゃなくて、「使うため」にあるはず。
お金は日々の生活をしたり人生を楽しんだりするための手段、人につかわれるためにある。

ただ単に「お金がある状態」というのはうれしくない。
「あなたに10億円をあげます。でも、使ってはいけません」 と言われて喜ぶ人はいないはず。

 

「お金がほしい!」という気持ちはあってあたり前。
けれど、お金が人生を豊かに生きるための手段だということを忘れて、お金をためることや稼ぐことが目的になってしまうと、友人や大切なものを失ってしまうことがある。

ボクの友人でそういうヤツがいた。
お金を稼ぐことが目的になってしまって、友人や知人を利用してお金儲けをしようとしたヤツ。
その結果、友人もお金もなくしてしまったという人。

お金は上手につかうことで人生を楽しくするための手段なのに、稼ぐことが目的化してしまって人生の豊かさをなくしてしまった。

「お金を使うのではなくて、お金に使われる」という状態になる。
「お金が欲しい!」とか「お金を稼ぐことが楽しい!」という思いが強い人がなりやすい。

 

前の記事でかいた仕事もおなじ。

自分の人生を豊かにするために仕事があるはず。
でも、仕事のために人生の豊かさを奪われているような状態になってしまう。

忙しくて目の前のことで手いっぱいの状態になると、この「手段が目的化」しやすくなってしまう。

仕事にはついては、ある程度はやむをえない。
自分が好きなことをして稼ぐことができる人はいいけど、ほとんどの人はそうじゃない。
会社の都合のいいように使われることは実際にあるし、それもある程度は仕方ない。
給料はイヤなことをする代わりにもらう「がまん代」と割り切ることも必要になるから。

 

でもそれには限度がある。

絶対にしてはいけないし、させてもいけないのが、過労死。
「死ぬまで働く」ということは、日本人に特徴的なものだという。

この日本語を英語にすると、「karousi」になる。
こんなことは外国にはほとんど例がないから、「過労死」という日本語がそのまま英語になったという。

もともとこうしたことは日本以外ではほとんど起きていなかったので、「いかにも日本的な現象」と見なされ、また、しばしばもとの日本語表現もあわせて紹介され、日本では「過労死 karoshi」という表現で呼ばれていることが欧米で知られるようになり、英語やフランス語でも「karoshi」や「karōshi」と音写するようになった

(ウィキペディア)

 

日本人は仕事に対して責任感が強い。
強すぎると思う。

友だちのトリニダード・トバゴ人は、「トリニダード・トバゴだと、ちょっと強い雨が降ったら学校や仕事が休みになる」と平気で言っていた。
その人は日本の学校で英語の先生として働いていたとき、強い雨が降っていたから「今日は休みだ!」と喜んだらしい。
「でも、待てよ」と思って一応同僚の先生にメールしたら、「何言ってんのよ、休みなはずないでしょ!」と一喝された。
カッパを着て学校にくる中学生を見て、「さすが日本人だ」と感心したらしい。

 

ここまで極端ではなくても、欧米人はプライベートなことで当然のように仕事を休んでしまう。
彼らは仕事について、「手段を目的化」してしまうことはないと思う。
仕事より自分や家族が大事だと考えている人が多いから。
仕事は、あくまで自分や家族の生活を楽しく豊かにする手段。
そんなことがあたり前のことで、社会もそれを当然としている。

 

 

でも、過労死が社会問題になっている日本ではそうではない。
仕事のために自殺するなんてことは、あってはならない。

でも、そのあってはならないことが実際には起きている。
そこまで追い込まれている人は、もう物事を冷静に考えることができなくなっていると思う。

だから周りの家族や友人が先に気づいて、声をかけることが重要になる。
過労死が社会問題になっている日本では、こんな考えかたが本当に大事だと思う。

「仕事は大事だけど、結局はただの手段。一番大事なのは自分や家族」

「手段が目的化する」っていう考えは、幸せになるためじゃなくて不幸を避けるために知っておいてほしい。

自分だけでなく、身の回の人がかわいそうなことにならないためにも。
ボクのまわりで、そいういう人がいたことは何度か聞いている。
そのためにその友人や家族がどれだけつらい思いをして、会社がどれほど無関心だったかも。

 

おも~い話になってしまった。
ネットで「手段の目的化」を検索すると、そのために起きた失敗例がほとんどで、良い意味で使われていることがあまりない。

 

でも、「手段が目的化」することでいいこともある。
特にブログについてはね。

そのメリットについて、次回書いていきたい。

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。