日本が戦争でアメリカに負けた理由「人命を粗末にしたから」

 

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天皇陛下が最後の免許更新へ→車好きの陛下がご愛用されている車はなんと…!

 

今、天皇陛下が免許を更新されたときの映像が、ちょっとした話題になっている。

天皇陛下がご愛用されている車が意外。

 

 

陛下ご愛用の車は、1991年製の「ホンダ・インテグラ」。

20年以上前のMT車を乗っておられることにも驚きですが、なにより物を大切になされる気持ちが素敵ですね。

 

確かに。

 

明治天皇もそうだったけど、日本の天皇の身の回りの物は本当に質素。

明治天皇のお人柄。アイス好き、花見と風呂嫌い。「わがまま」

 

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明治天皇がお好きだったという京都御所の御庭

 

前に、「バシー海峡での悲劇」について記事を書いた。

バシー海峡の日本人②アウシュヴィッツを越える太平洋戦争の悲劇

 

この記事を書いていたときに、つくづく感じたことがある。

旧日本軍は、日本人の命をあまりに軽視していたということ。

 

 

小松真一さんという人が、自身の戦争体験を「慮人日記」という本に書いている。

 

慮人日記

戦地の渦中にあって、見たまま聞いたまま、体験したままを、ほぼ、その場で、その時に記録された第一次資料。

太平洋戦争のドキュメントとして、極めて希有な存在。

(ウィキペディア)

 

この「慮人日記」の中で、小松さんは日本が戦争でアメリカに負けた理由を21あげている。

その中の1つが「バアーシー海峡の損害と、戦意喪失」で、これについては上の記事で書いた。

 

日本が敗戦した理由で、多くの日本人に知ってもらいたいものがある。

それが、旧日本軍は日本人の命を軽視していたということ。

 

日本は人命を粗末にし、米国は大切にした

 

旧日本軍のこの考え方が、そのままバシー海峡での悲劇にもつながっている。
小松さんは、日本がアメリカに戦争で負けた理由に「人命の軽視」をあげられている。
日本軍が、日本人の命をどれだけ粗末にしていたか?

今回は、そのことを書きたいと思う。

 

 

旧日本軍の異常性については、敵であったアメリカ人の方がよく分かっていた。

そのことを、日本人論の名著である「菊と刀」から見ていこう。

 

日本に関する文献の熟読と日系移民との交流を通じて、日本文化の解明を試みた。『菊と刀』はアメリカ文化人類学史上最初の日本文化論である

(ウィキペディア)

 

 

アメリカの著名な文化人類学者であったベネディクトは、戦時中の日本人の行動についてこう書いている。

 

日本軍はしばしば病院のある地点から退却せねばならないはめに陥った。まだ時機を逸しない間に、あらかじめ傷病兵を後送するという慣例がなかった。

その処置というのはしばしば、主任軍医が退去に先立って入院患者を射殺するか、あるいは患者自ら手榴弾で自分の生命を絶つことであった。

(菊と刀 ルースベネディクト)

 

当時の日本軍では、敵に捕まることを恥とする考えがあった。

だからその前に、医者が患者を殺したり自殺をうながしたりすることがあったという。

 

日本軍が欧米の軍隊に比べて、どれだけ兵員の命を粗末していたかというのは、戦闘で降伏した人と死んだ人の割合にあらわれている。

 

降伏を禁じる軍律がありはしたのであるが、その結果、例えばビルマ会戦のさいの俘虜と戦死者との割合は、一四二対一七、一六六名、すなわち一対一二0の比率であった。

 

旧日本軍の場合、捕まった人と戦死した人の割合は「1対120」になる。

これがどれだけ異常な比率であるかは、欧米の数字に比べれば分かる。

 

西欧諸国の軍隊では、戦死者がその全兵力の四分の一ないし三分の一に達した時は、その部隊は抵抗を断念して手をあげるのが自明の理とされている。投降者と戦死者との比は、ほぼ四対一である。

 

この本の内容からすると、以下のようになる。

旧日本軍では、生者と死者の比率が「1対120」。
これに対して、欧米の軍隊では「4対1」。

 

日本では、120人の死者に対して1人の投降者という割合。
欧米では、1人の死者に対して4人の投降者という割合になる。

 

こんな数字を見ると、小松さんのいう「日本は人命を粗末にし、米国は大切にした」ということが、あらためて説得力をもってくる。

 

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太平洋戦争のとき、日本軍がビルマでおこなった「インパール作戦」というものを知ってる?

 

インパール作戦【インパールさくせん】

第2次大戦中の1944年3〜7月,北部ビルマ・インド国境地帯で行われた日本陸軍のインパール攻略戦,正式には21号作戦,ウ号作戦という。英印軍の反撃で牟田口廉也(むたぐちれんや)中将指揮の第15軍は参加兵力約8万5000のうち3万を失って敗退,ボースによるインド新政権樹立構想も消え,全ビルマ失陥の要因となった。

百科事典マイペディアの解説

 

このときに旧日本軍と一緒に戦ったインド人のチャンド・ボースは、今のインドで英雄になっている。

 

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インドのコルカタにあるチャンド・ボースの像

コルカタの空港の名前は、この英雄からつけられている。

「ネータージー・スバース・チャンドラ・ボース国際空港」

 

このインパール作戦は、今でも勝算のないメチャクチャな作戦の代名詞としても使われている。

 

補給線を軽視した杜撰(ずさん)な作戦により、多くの犠牲を出して歴史的敗北を喫し、無謀な作戦の代名詞として現代でもしばしば引用される。

(ウィキペディア)

 

旧日本軍では、敵軍に投降する人の割合が欧米の軍隊に比べて比較にならないぐらい低かったことは、先ほど書いた。

降伏ではなくて、自決を選んだ日本兵は多かった。
これにも、旧日本軍の考え方があらわれている。

 

このインパール作戦でも、旧日本軍が人の命をとても粗末にみていたことがよく分かる。

 

自ら命を断つ者が続出した。小銃を持っている者は、口の中へ銃口を入れ、足で引き金を引いた。銃を持っていない者は手榴弾を抱き、俯(うつぶ)せになって爆発させた。

手榴弾を持っていない者は、通りかかる兵隊たちに手榴弾をねだった。そうした自殺は、夕方に多かった。日が暮れる頃、あちこちでパーン、パーンと小銃や手榴弾の音が聞こえ、それが山々にこだました
(責任なき戦場 インパール 角川文庫)

 

日本兵の惨状は、敵であるイギリス軍から見ても目を背けたくなるようなものだった。

 

その死体のかたわらには、兵士の妻や子ども、恋人の写真、富士山や桜の花、梅の花の絵葉書、そして日記帳などが落ちていた。今際(いまわ)のきわに、思い断ち難く眺めていたと思われた。胸が締めつけられるような光景だった

(同書)

 

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ミャンマー(ビルマ)にある慰霊碑

 

 

今の日本に戦争はないけれど、仕事やいじめによって自殺にまで追い込まれることがある。

そんなニュースを聞くと、今の日本でも人命がどれだけ重視されているんだろう?と思ってしまう。

 

 

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今まで、東南アジア、中東、西アフリカに旅をしてきました。外国に行って初めて気がつく日本の良さや特長があります。以前、歴史を教えていたので、その経験もいかして、日本や世界の歴史や文化などをテーマに、「読んでタメになる」ようなブログを目指します。