タイ(アユタヤ)とミャンマー(ビルマ)①日本と韓国の関係に似ている

 

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タイでは、12月10日から12日まで3連休だったという。

タイ、10日から3連休

タイは10日土曜日が憲法記念日の祝日で、12日月曜日が振替休日となる。

 

「それで?」って思うと思う。
10日がタイの憲法記念日だったということに注目してほしい。

タイの憲法は、日本と関係があるんです。
じつはタイの憲法は、大日本帝国憲法を参考にしてつくられたのだ。

タイが憲法をつくるとき、イギリスやフランスにいた11人のタイ人の王族や貴族がまとめた意見書には、このような提案があった。

東洋で西洋の道を進む唯一の国である日本をモデルとして立憲政体をつくることで、西洋の信頼をえるとともに、国民のあいだに愛国心を培うべきであると提案した

(東南アジア史 山川出版社)

 

 

タイは「微笑みの国」として知られている。
タイに行くと、のんび~り穏やかな空気があって人々もニコニ~コとしている。

上の写真を見てほしい。
このハンモックに寝そべってゲームをしているのは、バスの運転手。
客をバスから降ろしたあと、客が戻って来るまでこうしてゲームをして遊んでいた。

日本の運転手なら許されないけど、タイ人だったらこのぐらいのことならマイペンライ(問題ない)。
客のタイ人も、まったく気にしていなかった。

 

友人のタイ人も温和で、怒った様子を見せたことがない。
でも一度、険しい表情になったことがある。

彼とビルマ(ミャンマー)について話をしていたときに、「体が熱くなります」と言う。

「体が熱くなる」とは、「怒りがこみ上げてくる」という彼なりの表現。

彼がタイのアユタヤに行って廃墟となった建物や破壊された仏像を見ると、ビルマに対する憎しみがわいてくるという。

いつもニコニコしている彼が、強い口調でそんなことを言ったから驚いた。

 

でも、これは彼だけではない。

別のタイ人の友人やタイ人のガイドに話を聞いても、ビルマがアユタヤを滅ぼしたことについては、不快な気持ちや怒りを感じるという。

 

実際、タイ人で「ミャンマー(ビルマ)人が好きではない」という人は多い。
理由を聞くと、ビルマのよるアユタヤ崩壊のことを言う。

そんなことで、今回と次回で今のタイ人にとって「民族的なトラウマ」にもなっているアユタヤ滅亡について書いていきたい。

日本の歴史もまじえながらね。

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破壊されたまま残されている現在のアユタヤ

 

タイとミャンマー(ビルマ)の歴史を知ると、「日本と韓国に似ているなあ」と思う。

ビルマがアユタヤを滅ぼしたという歴史がある。
そのできごとが、現在のタイ人のミャンマー人の見方に大きな影響を与えている。

タイ人にとってのビルマ軍の侵攻は、韓国人にとっての朝鮮出兵と同じようなものだろう。
16世紀に豊臣秀吉が朝鮮に軍隊を送り、朝鮮半島が戦場になったことで多くの人が死んで建物も破壊された。

韓国人は今でも朝鮮出兵を恨みに思っているし、豊臣秀吉が大嫌いだ。

 

隣合う国というのは、なかなか難しい。

 

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真ん中の水色の国がアユタヤ(ウィキペディアから)

 

アユタヤという王朝の名前を、聞いたことがあるかな?

1351年にウートン王によって建都されてから、1767年にビルマ軍の攻撃で破壊されるまでの417年間、アユタヤ王朝の都としてタイの中心であり続けた都市です。

タイ国政府観光庁 アユタヤ

 

足利尊氏と後醍醐天皇が対立していた南北朝時代は、1336年に始まっている。

そして1767年というと、田沼意次が生きていた時代になる。
だからアユタヤ王朝は、日本でいうと南北朝~江戸時代にあった王朝ということになる。

 

アユタヤはヨーロッパ・インドと中国の中間地点にあったため、貿易によってとてももうかっていた。

主に中国への米の輸出で国力を付けたほか、日本、琉球などの東アジア国家、東南アジア島嶼部、アラブ・ペルシア方面や西洋と活発に貿易を行い、莫大な富を蓄えた。

この富を背景にアユタヤでは当時繁栄していたクメール文化を吸収しつつ、中国、ヨーロッパ、ペルシャなどの文化の影響を受けた独自の華やかな文化が開花した。

(ウィキペディア)

 

日本とタイの関係が公式に結ばれたのは、日本が江戸時代でタイがアユタヤ朝の時代のとき。

タイ大使館のホームページには、徳川家康とアユタヤのソムタン王の間で次のような手紙が交わされたとある。

「タイと日本を隔てる海の存在が我々二国間の交流を困難なものとしていました。ですが、両国の商船が定期的に二国間を往復し、両者の関係を今まで以上に緊密なものにしています。あなた(将軍)が私共に対して親愛の情を抱いてくださっていることは明白です。私達の血縁者よりも強い親愛の情を。」

ソンタム王からの書簡

 

「我々二国間の友好関係を壊すことはできません。両国を隔てる海の存在など、我々が持つ相互の信頼関係の前では大したことはないのです。」

徳川将軍からソンタム王への書簡

このソンタム王と徳川将軍の間で交わされた書簡が、昔から存在した日タイ関係の程度や深さを明らかに示しており、今日まで両国は継続して深い関係を持っています。

タイ日関係

 

この時代に山田長政という武士がアユタヤに渡って、アユタヤの貴族にまで出世している。

山田長政
やまだながまさ

慶長 17 (1612) 年頃貿易船に便乗してシャムに渡り,近隣諸国と戦火を交えていた国王を援助,日本人を率いて活躍,国王ソンタムの信任を得,都アユタヤの日本町の長となり,寛永5 (28) 年シャムで最高の官位である握雅司臘毘目 Oya Senaphimok (オヤ・セナピモク) となった。

(大辞泉の解説)

 

今でもアユタヤに行けば、この日本人町があった場所を見ることができる。
といっても、石碑ぐらいしかないけどね。

期待して行くと、きっとひどい目にあう。

続きは、次回に。

 

ビルマ軍によって破壊され、焼き尽くされたアユタヤ

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今まで、東南アジア、中東、西アフリカに旅をしてきました。外国に行って初めて気がつく日本の良さや特長があります。以前、歴史を教えていたので、その経験もいかして、日本や世界の歴史や文化などをテーマに、「読んでタメになる」ようなブログを目指します。