韓国と日本の対立:ライバル視や強い意識はいつから始まる?

 

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今、何かと話題の韓国の慰安婦像。

日本のマスコミ報道を見ると、社によって像の呼び方が違っている。
「少女像」か「慰安婦像」か、どっちがいいのか?

そのことが産経新聞(2017.1.11)に書いてある。

慰安婦像は少女像にあらず 菅義偉官房長官「問題視しているのは慰安婦像」

韓国側には慰安婦像を「少女」として描くことで、旧日本軍の残虐性を強調する狙いがある。このため、日本政府が「少女像」と呼ぶのは不適切との指摘が出ていた。

韓国では、多くの10代前半の女性が旧日本軍によって強制的に連行されて慰安婦にされた-との主張が横行している。しかし、日本政府の調査などでは、「少女」と呼ばれる年代の女性が慰安婦になったことは裏付けられていない。

 

韓国寄りの社は、「少女像」としている。
‘少女像’と「‘’」つきにしているところもあれば、単に「慰安婦像」としているところもある。
NHKの場合は、「慰安婦問題を象徴する少女像」と長い表現をしている。

 

この点で、韓国に迷いはない。
「少女像」という表現で一致している。
それか「平和の少女像」かな。
韓国は、常に堂々としている。
だから、慰安婦像の問題解決が難しいんだけどさ。

 

韓国はとんでもない年明けを迎えた。

中央日報によると、今の韓国はサンドバッグ状態らしい。

年初から韓国外交は袋叩きの境遇だ。中国に蹴られ、日本に爆発され、米国に無視される格好だ。

過渡期の韓国外交、安定的状況管理が最善だ

 

中国のことはともかくとして、日本については韓国が約束を守らなかったのだからしょうがない。

日本は韓国に対して、韓国大使の一時帰国や通貨スワップの交渉中断を決めた。
前回、その日本との通貨スワップについて書いた。

「なんで韓国は、日本と通貨スワップの協定を結びたいのか?」
簡単にいったら、韓国経済が崩壊して「4度目の亡国」という事態になることだけは避けたいから。

 

韓国としては、日本との通貨スワップ協定を結びたい。
でも、それを難しくさせているのが、韓国の日本への複雑な感情。
韓国は日本をライバル視していて、日本には頭を下げたくはない。
メンツの問題で、韓国から先に「通貨スワップの交渉をしてほしい」と日本に言い出したくない。

今回は、そんな韓国のライバル意識について書いていきます。
通貨スワップのことではなくて、韓国の日本へのライバル意識はいつから始まったのか?

 

一番上にソウルがあって、一番下に東京がある。
この配置は、絶対に偶然じゃない。

 

韓国が日本をどれだけライバル視しているか?
どれだけのライバル意識を持っているか?
そのことについては、韓国人より第三者の外国人のほうがよくわかると思う。

ということで、「ヒディング」というオランダ人の目から見た韓国を見てみよう。

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画像と下の文はウィキペディアから。

 

ヒディングはサッカー韓国代表の監督をしていた。
2002年のワールドカップでは、韓国を4位に導いた名将。

韓国の英雄で、伝説のような人物でもある。

韓国では功績から準々決勝でスペインを破ったスタジアムである光州ワールドカップ競技場の名称を「フース・ヒディンク・スタジアム」と名称変更が検討されるほどであり、また名誉国民証を授与された

(ウィキペディア)

 

ヒディングが韓国代表の監督をしていたときのことを書いた「ヒディング自伝 韓国を変えた男(文藝春秋)」という本がある。

これを読むと、ヒディングの目から見た韓国の姿がわかる。
日本代表がフランス代表に0-5で負けた後に、韓国がフランスと試合をすることになった。
そのときに韓国代表の関係者はこんなことを言って、ヒディングを驚かせている。

日本がフランスに0対5で負けたから、それより少ない点差であれば負けてもいいという話がでているらしい。ありえない話だ

(ヒディング自伝 韓国を変えた男 文藝春秋)

 

いやいや、それがあるんですよ。
「フランスに負けても、日本以上の点差で負けなかったらそれでいい」と考える国が。

韓国にとって、物事の評価の基準が日本。
日本に対して強烈なライバル意識があるから、韓国はいろいろな分野のことで「日本より上か下か」によって判断する傾向がある。

だから、秋のノーベル賞の時期になるとこんな記事を見る。

「ノーベル賞0人vs19人…韓国30年、日本146年基礎科学の差(中央日報 2014年10月10日」

ノーベル賞で韓国をライバル視する記事が日本の新聞にのることはない。
日本はそこまで韓国を強く意識していないから。

 

ヒディンクは、韓国人の日本へのライバル心を利用して選手のやる気を引き出してもいる。

「日本の選手からはハングリー精神」がなくなったという話から、あれこれ仔細(しさい)なことまで日本と比較した。つまり、我々がしてはいけないことを並べて、日本を反面教師にしようと思ったのだ。日本と比較すると、選手たちの目が俄然(がぜん)きらきらと輝き始めた

ヒディング自伝 韓国を変えた男(文藝春秋)

 

日本と比較させれば、韓国人は100%の力を出すことができる。
兵役免除があれば、韓国人は120%の力を出すことができる。

日本には、こんなニンジンはない。

 

では韓国は、いつから日本に対してこんなライバル意識をもつようになったのか?
今の韓国人のライバル意識は、韓国人が日本と戦って独立することができなかったという恨(ハン)に由来すると思う。

そうではなくて、韓国人の日本へのライバル視やライバル意識を、もっと広い意味に考えて歴史上にその具体的な出来事を探すとしたら、それは奈良時代の753年(天平勝宝5年)に始まると思う。

 

古代、日本は朝鮮半島から進んだ文化を受け入れてきた。

韓国の歴史教科書には、こんな文がある。
・「わが先祖は発達したわが文化をとなりの日本に教えてあげたと言い」
・「王仁は百済の文化を日本に教えてあげた学者である。

やや上から目線だけど、このへんは「haha,funny」とでも言っておけばいい。

 

でも、6世紀になると、日本が韓国(新羅)にライバル意識を持ちだしたようだ。

7世紀末から日本が上位に立とうとしたので、新羅との対立が目立つようになった。

(日本史用語集 山川出版)

 

新羅を従属国として扱おうとする日本との間で時に緊張が生じた

(詳細日本史研究 山川出版)

 

「従属国」なんていったら、家来のようなもの。
新羅は「自分たちこそ、日本より上」と考えていたと思う。
少なくとも、「日本と対等」という意識だっただろう。
そんな日本から「従属国」と見なされたら、うまくいくはずがない。

 

 

ボクが知っている限り、もっとも古い日韓戦は8世紀に起きている。
場所は中国(唐)で、「どっちの席順が上か?」で日本と新羅(韓国)が争い、それは「長安での席次争い」と呼ばれている。
753年に長安で開催された行事で、遣唐使の大伴古麻呂と新羅の使者の意見が衝突。
この際、唐は新羅が倭(日本)の従属国であることを認め、新羅を下位においた。

この勝負は日本の“勝ち”に終わったらしい。
このときに韓国が日本に負けてから、日本と韓国のライバルの歴史が始まったのでは?と勝手に思っている。
それにしても、韓国との「絶対に負けられない戦い」が、奈良時代からあったとはね。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。