江戸時代、世界で日本だけにあったオランダ人の誇り!国旗

 

始めのニュース

今回はオランダの話なので、「オランダの今」をピックアップしてみた。

オランダといえば、世界中の人たちを受け入れてきた他民族国家として有名で、首都アムステルダムには200ヵ国以上の国籍の人間が住んでいる。

そんなオランダではいま、国内で「イスラーム教徒」と「非イスラーム教徒」の間の差が大きくなっていることを心配している国民は70%近くもいるという。

『オランダなう』の記事(2016-09-20)

調査ではまた、対象者に対し、「テロ攻撃への恐怖が近年で大きくなっているかどうか?」を尋ねた。
70%の人々は、テロに対する恐怖は近年で、「大きくもなっていないが小さくもなっていない。」と回答した。
29%は恐怖は「大きくなっている。」と答えた。

オランダ人の7割がイスラム教徒との差の広がりを心配

 

「テロへの恐怖が少なくなった。」と答えた人はほぼ皆無だっとか。
宗教が違っていても、住んでいる国の人たちが大事にする文化や価値観を、自分たちも尊重し態度で示せば、この「恐怖」はきっと軽減することができる。

 

 

さて最近、国旗について書いている。

そこで「これはぜひ、多くの日本人に知ってもらいたい!」ということがあるから、今回はそのことを書いていこう。

江戸時代、世界で日本だけにオランダの国旗が翻(ひるがえ)っていたことをご存知だっただろうか。
そしてオランダ人はそのことを、とても誇りに思っていたことも。

 

ミャンマーのバス
日本からの支援であることをあらわしている。

 

国家のシンボルである国旗はその国の”カオ”になるから、国旗に敬意を示すことは世界の常識だ。
だから酔っぱらって国旗を踏んづけてしまうと、警察に捕まって謝罪動画を世界に流されてしまう↓

世界の国旗:アメリカ人やタイ人にとっての国旗(星条旗)とは?

 

さてオランダの国旗がこれですよ。

スペインからの独立運動に使われた3色旗が基本になっており、赤は独立の戦いに臨んだ国民の勇気を、白は神の祝福を願う信仰心を、青は祖国への変わらぬ忠誠心を象徴する。

国旗の意味や由来など

 

トリコロール(三色旗)といえばフランスの国旗が有名だけど、世界で最初の三色旗はこのオランダ国旗といわれている。

 

上の説明で国旗は「国家の象徴」と書いてあった。

たとえ国がなくなったとしても、世界のどこかでその国の旗があがっていれば、国が完全に滅亡したことにはならない。

その国をあげる人はその国民になる。
そして国旗とは国の象徴なんだから、国旗がはためいている限りその国家は世界に存在することになる。

 

明治時代、福沢諭吉が慶應義塾で塾生にそんな話をしている。

ナポレオンの乱にオランダ国の運命は断絶して、本国は申すに及ばずインド他方までことごとく取られてしまって、国旗を挙げる場所がなくなったところが、世界中纔か一箇所を遺した。

ソレは即ち日本長崎の出島である。出島は年来オランダ人の居留地で、欧州兵乱の影響も日本には及ばずして、出島の国旗は常に百尺竿頭に翻々してオランダ王国は嘗て滅亡したることなしと、今でもオランダ人が誇っている。

(福翁自伝 岩波文庫)

*纔か=わずか、嘗て=かつて

 

福沢諭吉が話したことは、在日オランダ大使館のホームページで見ることができる。
「日本とオランダ交流の歴史」で、こう書いてある。

ヨーロッパではフランス革命が勃発し、一時は負け知らずだったオランダも制海権 を失うほどになっていた。(中略)なによりもドゥーフは出島にオランダの旗を掲げ続けた。出島の三色旗はその頃、地球上ではためく唯一のオランダ国旗だった。

日蘭交流の歴史

 

オランダ大使館がこのことを書いているということは、オランダ人にとって、このとき日本だけでオランダの国旗があがっていたことをとても大事なことだと考えているから。

さらには、日本人にも知ってほしいということだろう。
だからボクも、「これは多くの日本人に知ってもらいたい!」と思って今回このことを書いている。

「地球上ではためく唯一のオランダ国旗だった」というオランダ大使館の言葉は、先ほどの福沢諭吉の言葉にも重なる。

「出島の国旗は常に百尺竿頭に翻々してオランダ王国は嘗て滅亡したることなしと、今でもオランダ人が誇っている」

オランダ人なら今も昔もこの旗を誇りに思っているはずだ。
オランダという国家が世界に存在していたという、唯一の証なのだから。

 

インドを旅行していたとき、宿のなかでオランダ人と気まず~い空気になったことがある。

それは、そのオランダ人のこんな一言がきっかけ。

「なあ、日本は戦争中、インドネシアでずい分ひどいことをしたんだってな?」

は?
目が点、という状態。

インドネシアというとオランダが植民地支配していた、「強制栽培」で悪名高いあのインドネシアのことだよね?
現地農民にコーヒーやサトウキビなどの作物を強制的に栽培させ、その利益を奪って本国オランダが大儲けした一方、現地の農民には疲弊と苦痛をもたらした。
強制栽培制度によって、ジャワ島などの農民の自給自足経済は破壊されたという。

でも残念ながら、このときのボクにはこの制度を話すほどの英語力がなかったので、代わりにこんなことを言ってみた。

「そうだね。確かに日本は悪いことした。350年にわたるオランダの植民地支配を終わらせてしまったからね」

これを聞いたオランダ人は一目でわかる不機嫌な顔をして、「いや、日本はインドネシアにこんなひどいことをしたんだ!」と怒気をふくんでまくし立てた。

でも不幸中の幸い、彼の英語が早口だったから何を言っているのかわけわらかん。
だから冷静でいられて、「どうやってこの場を収めようかなあ?」と思っていたときに閃(ひらめ)いたのが福沢諭吉が話していたオランダ国旗。

「なあ、知ってたか?あの時代、世界で唯一日本だけでオランダの国旗があがっていたんだぜ」

とボクが言うと相手は目を丸くして、「それは本当か?」と言って何やら考え顔をしてそれ以上、何も言わなかった。

福沢諭吉さんのおかげで、気まずい雰囲気を回避することができた。
そのあとこのオランダ人に夕食に誘われたのも、国旗を守った江戸時代の日本人のおかげだ。

 

チベット人がたくさん住んでいるラダック州でそのオランダ人と会った。

 

おまけ

福沢諭吉は「欧州兵乱の影響も日本には及ばずして」と書いていたけど、実際にはフェートン号事件がおきている。
1808年にイギリス軍艦『フェートン』号が、オランダ国旗を掲げて長崎の港に侵入し、オランダ商館員を逮捕したうえで、長崎奉行に水と薪、食糧などを要求したというメチャクチャな事件だ。

この事件の責任をとって長崎奉行の松平康英が切腹した。

 

 

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2 件のコメント

  • ナポレオンのオランダ併合時代、出島だけでなく、アフリカ西海岸黄金海岸(ギニア)にあるエルミナ基地もオランダ国旗を掲げていたと記憶しています。今、史料がどれであったか見つかりませんが、この記事の根拠の史料を教えてください。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。