日本とイギリスの国会:議会政治の歴史・剣の線・3人の政治家

 

いよいよ、イギリスがEU離脱に向けて本格的に動き出しました。

BBCニュース(2017年02月9日)から。

英下院、ブレグジット法案を可決 EU市民の在住権保護は否決

英下院は8日、政府提出のブレグジット(英国のEU離脱)手続き法案を、494対122の圧倒的多数で可決した。法案審議は貴族院に移る。これに先立ち野党・労働党が提出していた、すでに英国内に合法的に住むEU加盟国国民の在住権を保護する規定が含まれる修正案は否決された。

ブレグジット(Brexit)とは、Britain(イギリス)とExit(退出する)を組み合わせてできた造語。
「イギリスはEUから出ていくよ~」ということ。

 

でも記事より、この記事の写真のほうに目を引かれた。

 

まずはこの髪型。
というか、中世のイギリス議会を思わせるようなこのカツラ。
イギリス議会の伝統を尊重しているのだろうけれど、なんか違和感がある。

 

また、写真の左下に赤い線がある。

これはソードライン(sword line)と呼ばれる線で、向かい側にも同じ赤い線が引かれている。
イギリス議会では、いくら議論が熱くなってもこの「剣の線」を越えていけないというルールがある。

国会にこのソードラインが引かれているのは、これがイギリスの民主主義の象徴だから。

 

イギリスの国会には、英語で説明してくれるガイドツアーがあるらしい。
それに参加した日本人が、ソードライン(スウィードライン)についてこう書いている。

イギリス議会見学記

イギリス議会には、スウォード線(剣線)というのが、与党側と野党側のそれぞれの前に引いてあります。

中世や近世の昔、剣を携帯して議論していたときに、お互い激高すると剣を掴みたくなります。剣を抜いて突き刺しても、相手に刺さらないうな位置に、お互いの席を配置した、ということです。時代は巡って、剣を携帯せずに着席するようになっても、そのままの間隔が維持されたのです。

そのときから、武力で決着をつけるやり方から、議論によって決着をつけるやり方に、変わったのであります。ここに「議論と多数決による政治」つまり民主主義が誕生したのであります。

剣ではなく、言葉を武器として相手と戦うのがまさしく民主主義。

 

 

一方、日本の国会議事堂は昭和11年(1936年)に建設されている。

約254万人が工事に従事して、総工費は2,570万円ナリ。

この当時は日本一の高さを誇っていて、「白亜の殿堂」と賞賛されていたという。
日本のタージマハルだな。
良かった、「白い巨塔」じゃなくて。

見た目は完全にヨーロッパの建物だけど、材質は日本製。
参議院のホームページ(国会議事堂案内)には、「最高品質の国産品を使用」と書いてある。

 

これが国会議事堂の前身。
木造洋風の2階建ての建物になっていた。

 

明治23年(1890年)に、ここで日本で最初の議会(第1回帝国議会)が開会している。

でも翌年の明治24年に、火事で全焼してしまった。おいっ!

 

国会の中は今と基本的に同じ。

 

日本の首都が東京になってから、今までに一度だけ首都が移ったことがある。
日清戦争のとき、広島が日本の首都になった。

広島が臨時の首都になり、広島で政策決定が行われた

(日本の近代3 御厨 貴)

参議院のホームページにそのときのことが書いてある。

明治27年(1894年)10月14日竣功。木造板葺(いたぶき)洋風平屋建て。

同年8月、日清戦争のため大本営が広島に置かれ、「第7回議会を広島に召集する」との詔書が9月22日に公布されたため、急遽建築しました。

広島臨時仮議事堂は竣功翌日に召集された第7回帝国議会で使用され、臨時軍事費予算案などを可決した後、4日間の会期を終えました。

中身も、それっぽい。

 

 

イギリスの国会には、民主主義を象徴するソードラインがあった。

日本の国会にはソードラインはないけど、日本の議会政治を象徴する3人の像ならある。

それが上の写真の3人。

板垣退助は、国会の開設を求めて自由民権運動を起こした。
日本初の政党である自由党の党首もつとめている。

「板垣死すとも自由は死せず」の言葉で有名だけど、日本人で初めてルイ・ヴィトンのトランクを使用したのもこの板垣退助。

 

約130年前、板垣退助が愛用していたヴィトンのトランク。

 

画像は高知新聞から。

板垣のトランクは日本で残存する最古のヴィトン製品として紹介される。

東京で開催のヴィトン展の目玉に板垣退助特注のトランク

大隈重信は、「日本で最初の政党内閣の総理大臣で、立憲改進党の党首として議会政治確立のため活動しました」ということらしい。
参議院のホームページの「中央広間」から。

 

伊藤博文といえば、言わずと知れた日本初の内閣総理大臣。
大日本帝国憲法をつくったときは、伊藤が中心的な役割をはたしていた。

このとき伊藤博文は41歳。
この若さで日本を動かしていたのだ。
今の日本の会社なら課長ぐらいかな?

 

ところで、この伊藤博文ほど日本と韓国で評価が分かれる人物はなかなかいない。
日本では議会政治を象徴する人物だけど、韓国では国を奪った極悪人であり犯罪者のような人物。

この伊藤博文を暗殺した安重根は、韓国だと義士であり英雄だけど日本では犯罪者でありテロリストになる。

でも、当時多くの日本人がこの安重根に敬意をもっていたことを知っている日本人は少ないと思う。

安重根が伊藤博文を暗殺したのは、「明治天皇への忠義のため」ということを多くの韓国人が知らないように。

 

 

ここでまた、先ほどの3人の写真に戻る。

 

一番右の4人目がいない。
台座だけしかない。

これは、「政治に完成はない」ということを象徴しているという。

ところで、4つ目の台座には銅像がありません。これは、4人目を人選できず将来に持ち越されたといわれています。また、「政治に完成はない、未完の象徴」という意味もあるといわれています。

中央広間

「政治とは未完成である」ということをあらわしているなら、これは本当に日本的な考え方だ。

 

栃木県の日光東照宮には、1本だけ逆さまになっている柱がある。
その意味は、「完成するとそれで終わりになる。完成したら、そこから没落が始まってしまう」ということで、わざと未完の状態にしているという。

「林先生が驚く初耳学まとめ」にこんな説明がある。

陽明門は何故1本だけ逆さまにしたかと言えば、その理由は完全なものを造ってしまうと、そこから没落が始まる。だから少し不完全なものを造る事で災いを防ぐという発想があって、わざと1本だけひっくり返したのである。

「日光東照宮の陽明門は大事な柱が1本逆さま」

平安時代の大貴族だった藤原道長は、「もはや天下はわれら一族のもの」とばかりにこんな歌を詠んでいる。

「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」
(この世は 自分のためにあるようなものだ 望月(満月)のように 何も足りないものはない)

このときが藤原氏の絶頂期だっただろう。
その後、だんだんと没落していく。

 

まさに、「驕る平家は久しからず」ですね。

おごるへいけはひさしからず

驕る平家は久しからずとは、思い上がった振る舞いをする者は長く栄えることはなく、いずれ滅びるというたとえ。

故事ことわざ事典

銅像のない4つ目の台座は、「政治は未完である」とういことを伝えているらしい。
なるほど。

でも、国会議員が用意していたプラカードを一斉にテレビカメラに向かってかかげるのを見ると、「政治を完成させる気があるのだろうか?」と首をかしげたくもなる。

 

 

おまけ

日本の国会に像がない台座だけが置かれている。
これと同じように、像がない空の台座が韓国の大学にもある。
いつかこの大学の出身者からノーベル賞受の賞者が出たら、その韓国人の胸像を置くのだという。
「未来の科学者」というプレートがあるという。

 

準備は万端。
あとは、韓国人のノーベル賞受賞者があらわれるのを待つだけ。
でも、これが出てこない。

こんな韓国の新聞を読むと切なさを感じる。

中央日報(2015年10月07日)から。

リピートの中のノーベル賞剥奪感=韓国

ノーベル賞受賞者の発表は、応援するプロ野球チームのポストシーズン脱落や冷たくなった空気が一年の終わりを予告するのと共に、秋の喪失感を刺激する定例行事となった。

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。