日本とインドネシアの歴史④petaと国葬された最後の日本人

 

インドネシアは、世界最大のイスラーム教の国。

インドネシアには、約2億2440万人のイスラーム教徒がいる。

総人口2億5500万人のうち、イスラーム教が88.1%いるとして計算した。
数字は外務省ホームページのインドネシア共和国 基礎データから。

でもインドネシアはイスラーム教を国教とはしていない。

マレーシアの国教はイスラーム教だから、この点でインドネシアとマレーシアは大きく違っている。

インドネシア旅行に行く前は、「インドネシアにはイスラーム教徒がたくさん住んでいるから、お酒には厳しいんだろうなあ」なんて思っていた。
イスラーム教では飲酒を禁止しているから。

 

でも実際に行ったみたら、インドネシアではビールが簡単に手に入って驚いた。
というか、拍子抜けしてしまった。

インドネシアではビンタンというビールが有名で、インドネシア旅行で出会った旅行者とビンを傾けた人はたくさんいると思う。

 

ビンタンビール

製造元は P.T. Multi Bintangで、インドネシアの旧宗主国であるオランダ発祥のハイネケングループに属している。植民地時代に作られたハイネケンの製造工場で造り始められたため、味やボトルデザインが似ている。

(ウィキペディア)

そんなインドネシアでも最近はお酒の規制が進んでいて、以前よりは気軽にお酒を飲めなくなったという話も聞く。

インドネシアでもっともお酒に厳しいのが「アチェ州」というところで、ここではイスラーム教の教えがとても厳しく守られている。
アチェ州では、すべての地域でお酒やビールの販売が禁止されている。

このアチェ州は日本とこんなつながりがある。

1942年オランダ領東インド全域を占領した日本軍をアチェ側は当初解放軍として歓迎し日本軍も独立運動に着手した、のちの独立運動時に元日本軍がこの地でオランダ軍と戦闘になり死亡している。

(ウィキペディア)

今回も前回に引き続いて、この時代の日本とインドネシアの関係を書いていきたいと思う。

ちなみにアチェ州はマレーシアの向かいにあって、首都のジャカルタからはかなり離れている。

 

前回、ペタについて書いた。

PETA(ペタ)とは、Tentara Pembela Tanah Airというインドネシア語の略で、「郷土防衛義勇軍(きょうど ぼうえい ぎゆうぐん」と訳される。

1943年にインドネシアのジャワで結成された軍事組織のこと。
日本人が教官となって、現地のインドネシア人が軍事訓練を受けていた。

 

前回に書いたことは「日本から見たペタ」であって、インドネシアではペタについて別の見方をしている。

インドネシアの高校の歴史教科書では、ペタについてこう書いている。

ペタはインドネシアの若者をメンバーとした日本製の組織である。このペタ組織においてインドネシア人の若者が日本軍から教育と軍事訓練を受けた。

この若者たちがのちにインドネシア民族と国の独立闘争の大黒柱となった。そもそもこのペタの結成は、日本が太平洋戦争において連合国との戦いに必要な戦力を満たすためであった。

しかし、インドネシア人民にとってもペタは、武力による戦いを通じて独立を勝ち取るために大きな効用があることがわかった。

「インドネシアの歴史 明石書店」

わりとあっさり書いている。
ここで重点をおいていることは、日本が戦争に勝つためにインドネシア人による部隊を組織したということ。

日本人がペタについて書いたものを読むと、「日本軍とインドネシア人が協力関係にあった」というものが多いけど、インドネシア人の視点で書いたものはそうではない。

 

この歴史教科書では、この後にインドネシアの人びとがオランダ軍と戦ったことについてかなり細かく書いている。

インドネシア人が不屈の闘志をもってオランダ軍と戦い抜き、インドネシアの独立を守ってことを誇りらしげに書いてあった。

けれど、インドネシアに残ってインドネシア人とともにオランダと戦った日本人のことは書いていない。
またインドネシア独立戦争で、多くの日本人が命を落としたことにも触れらてはいない。

 

オランダがインドネシアを植民地支配していたときにつかっていた牢獄。
囚人たちは、この鉄球を足につけられていた。

 

このインドネシアの歴史教科書を読んでいて感じたことは、「この教科書をつくった人たちはこれを生徒に読ませることで、次の3つの気持ちを育てたいのだな」ということ。

「愛国心(祖国愛)」
「インドネシア民族としての誇り」
「自己犠牲の精神」

インドネシアの歴史教科書では、これらの3つの言葉や内容がよく出てくる。

たとえばこんな感じ。

 インドネシア民族は決意と自力で独立した民族となり、3世紀と3年にわたり(それぞれオランダと日本の植民地支配)苦しめられてきた外国の支配から自由になったこと。インドネシア民族は自らの力で国を運営し外からの妨害に対して自国を守ってゆく

独立を充実させ守る努力は我々の共通の問題である。すべての国民はともに国を守る権利と義務を持つ

「インドネシアの歴史 明石書店」

インドネシアが自国の歴史教科書で、子どもたちに日本への感謝の気持ちを育てることは考えないだろう。

インドネシアとしては歴史教育によって、子どもたちに愛国心や国民としての誇りなど、インドネシア人として大切なことを身につけさせたいと考えているのだと思う。

韓国やベトナムの歴史教科書を読んだときも、これと同じことを感じた。

だから「ペタ(義勇軍)」については、「今でもインドネシア人が日本に感謝している!」なんて期待しないほうがいいと思う。

 

 

アメリカとの戦争が終わった後も日本には帰らず、インドネシア人と一緒にオランダ軍と戦った日本人がたくさんいた。

その最後の1人が2014年に亡くなっている。

第2次大戦後、インドネシアに残り対オランダ独立戦争に参加した元残留日本兵の小野盛(さかり)さんが2014年8月25日朝に亡くなりました。

(中略)インドネシアの対オランダ戦争に加勢したのは、日本がインドネシアを独立させるという約束に負い目を感じていたからだと小野は語る。「その約束ももちろんですが、オランダにやられ撃たれていくインドネシアの人々を見るのが忍びなかったからです」と小野は2013年10月末に語った。

「最後の残留日本兵、小野盛さん死去」に関するインドネシア現地報道まとめ

小野さんは、インドネシアの英雄墓地に埋葬された。
その棺には、インドネシア国旗がかけられたという。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。