スイスとオランダを生んだウェストファリア条約とは?簡単な説明

 

はじめの一言

物質文明にかんしては、日本人がすべての東洋の国民の最前列に位することは否定しえない。機械設備が劣っており、機械産業や技術にかんする応用科学の知識が貧弱であることをのぞくと、ヨーロッパの国々とも肩を並べることができるといってよいだろう(オールコック 江戸時代)」

「日本絶賛語録 小学館」

 

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始めに。

記事では、「ヨーロッパの歴史(欧州共通教科書)」から、できるだけ引用するようにした。

この本が良いのは、12人のヨーロッパ人の歴史家が、ヨーロッパ人の若者に対して書いた歴史教科書だということ。

日本人が、日本人を対象に書いた「ヨーロッパの歴史」じゃない。
この「ヨーロッパの歴史」は、このような意図がある。

本書は、ヨーロッパの青少年たちが学習に際して利用できるよう特別な配慮の下に作成され、ヨーロッパ史の教科書のひな形、最初の汎ヨーロッパ史的教科書とみなすことができるでしょう

ヨーロッパ人に共通するすべてのもの、ヨーロッパという語に一定の意味を与えるすべてのものを理解することができるのです

(ヨーロッパの歴史 東京書籍)

つまり、ヨーロッパ人として身につけるべき「歴史認識」ってこと。

ヨーロッパの歴史を学ぶなら、ヨーロッパ人と同じ価値観や常識を持てるような本から学んだ方が絶対に良いよ。

 

今回の内容

・ウェストファリア条約って?
・スイスとオランダの独立が国際的に承認された。
・もう、宗教で争そわないためには?

 

・ウェストファリア条約って?

前回書いた、ヨーロッパの各国を巻き込む大戦争「三十年戦争」で、「もう疲れた~。話し合いで解決しようよ~」ってことになって、戦争をやめて和平会議を開いた。

この会議で決まったことが、「ウェウストファリア条約」になる。
これが1648年のことで、日本だと鎖国が始まるころ(1641年)になる。

 

○世界史に興味がある人は、ここも読んでほしい。

あんまり興味がない人は、飛ばして次の○から読んでください。

このウェストファリア条約で決まった大事なことは、以下の内容。

・「ハプスブルク家に対するフランスの優位が決定的」となった。

ウェストファリア条約に続くピレネー和約締結(1659年)ののち、フランスの威光は並ぶもののないほど強大なものになった。その宿敵スペインとドイツ・神聖ローマ帝国は打ち破られ、息切れの様子をありありとみせていた

(ヨーロッパの歴史 東京書籍)

こうした背景から、「太陽王」ルイ14世に象徴されるようなフランスの輝かしい時代が始まる。

 

・「神聖ローマ帝国の有名無実化」

「ウェストファリア条約で諸邦がほぼ完全な主権を得た結果、帝国は約300の領邦国家に分裂」したことで、神聖ローマ帝国は、名前だけの存在になった。

実際には、誰も神聖ローマ帝国の言うことを聞かない。

ウェストファリア条約によって、神聖ローマ帝国はなくなったも同然になってしまった。神聖ローマ帝国を「殺して」しまったことになる。
このことから、ウェストファリア条約は「神聖ローマ帝国の死亡診断書」とも呼ばれる。

それにしても、ヨーロッパ人は、口が悪い。
19世紀のオスマントルコ帝国を「瀕死(ひんし)の病人」って呼んだりして。

 

この時代の神聖ローマ帝国の状態は、応仁の乱が起きた後の日本に似ている。

室町幕府に力がなくなって、日本各地の大名が将軍の言うことを聞かなくなる。
そして、ほぼ完全な主権を得て日本各地の守護大名たちが独立し、戦国大名になった。
当時のヨーロッパもそんな状態。

神聖ローマ帝国も足利幕府もいるけど、誰も命令を聞かない。
「存在すれども、統治せず」みたいな状態になっちゃってる。

 

 

○ここからは、みなさんも読んでください。

・スイスとオランダの独立が国際的に承認された。

このウェストファリア条約によって、スイスとオランダの独立が国際的に承認された。これによって、この両国が完全な独立国となった。

ウェストファリア条約

・三十年戦争の講和条約
・スイスとオランダの独立が国際的に認められ

(世界史用語集 山川出版)

・宗教で争そわないためには?

人間関係でも、価値観が合わない人とは、ケンカをすることがある。

三十年戦争という壮大なケンカをしたヨーロッパは、どうやって二度と大ケンカをしないにようにしたのか?

 

このウェスファリア条約は、三十年戦争の講和条約だから、一番大事なことは、「もう、旧教徒(カトリック教徒)と新教徒(プロテスタント)で争いはしません」ということ。

争いが起こらないように、各国が4年間も話し合って決めたのが、下の項目になる。

 

・アウグスブルグの和議の確認。

「アウグスブルグの和議」とは、このようなもの。
年は1555年で、とっても覚えやすい。

ルター派が公認され、諸侯に対しては領邦におけるカトリック派かルター派かの選択権が認められた。個人の信仰の自由やカルヴァン派は認められなかった。

(世界史用語集 山川出版)

このなかの「領邦における選択」というのが、難しい。

 

領邦は、「神聖ローマ帝国を構成した小国家群」と大辞泉にあるけど、ここでは分かりやすく、さっき例で出した戦国大名の「領土」とする。

徳川氏が、「私が支配する領土では、ルター派(新教)を信仰することにする」、今川氏が、「私が支配する領土では、カトリック派(旧教)を信仰することにする」という感じに、大名が自分が支配する領土で、信仰する宗教を決める。

 

だから、新教の徳川氏が「オレの領土のいる人間は、ルター派(新教)だけしか認めない!」と決めたら、徳川氏の領土にいるプロテスタントに、「ルター派に改宗しろ」と、迫ることになる。

当然、領土内のプロテスタントは改宗したくないから、徳川氏の強制改宗に大反対する。

 

 

ヨーロッパだと、これが三十年戦争のきっかけとなった。

「旧教を強制されたベーメンの反乱から始まり、神聖ローマ帝国全体の新旧両派諸侯の戦いへと拡大した」というもの。

だから、ウェスファリア条約ではこんな事態が起こらないようにした。
要するに、「一領土一宗教」のアウグスブルグの和議の原則を確認して、徹底させるということ。

「私の領土では、新教を信仰します。それが嫌なら、別の領土に行きなさい」ということになる。

 

例えば、徳川氏が、「ここは、カトリック教徒の領土にする」と決めて、今川氏が、「ここは、プロテスタントの領土にする」と決めたとする。

そうしたら、徳川氏の領土にいたカトリック教徒は、今川氏の領土に移住しなければいけないことになる。
もちろん、今川氏の領土にいるプロテスタントは、徳川氏の領土に移動しなければいけない。

 

すると、こんな状態になる。

徳川氏の領土には、新教徒だけしかいない。
今川氏の領土には、旧教徒だけしかいない。

完全に、旧教徒と新教徒が住み分けることになる。
そういう状態だったら、領土内には、新教徒か旧教徒だけしかいないことになる。

だから、新教と旧教との間に争いが起こりようがない。
これは、イメージで現実には、もっと複雑だったんだろうけど。

 

もう、壮大な規模の○×ゲームみたいなもの。
○がいいと思う人は、○の場所に移動して、×がいいと思う人は×に移動する、みたいな。

ということで、その後のヨーロッパは、こんな状態になった。

この条約によって、ヨーロッパにおいて30年間続いたカトリックとプロテスタントによる宗教戦争は終止符が打たれ、条約締結国は相互の領土を尊重し内政への干渉を控えることを約し、新たなヨーロッパの秩序が形成されるに至った。

(ウィキペディア)

イメージとして、三十年戦争とウェストファリア条約はこんなものだと思っていいでしょ。

・ドイツの領土内で、新教徒と旧教徒が争う→仲間意識から、新教徒・旧教徒の外国が、争いに加わって、国際戦争になる。

・ウェストファリア条約で、「一領土一宗教」の原則が確認されて、国内で旧教徒(カトリック教徒)と旧教徒(プロテスタント)が争うことがなくなった。
これで、「カトリックとプロテスタントによる宗教戦争は終止符が打たれ」という状態になる。

 

で、ヨーロッパでは、カトリックとプロテスタントの「住み分け」という状態が長く続いた。もちろん、時代や地域によって、違いはあるけどね。

これに大きな変化が訪れたのは、第二次世界大戦。

戦争で、人がぐっちゃぐちゃに移動して、カトリックとプロテスタントが「混ざり合う」ことにつながった。

戦争や居住地追放が、以前は閉鎖的だったカトリックやプロテスタントの居住地区や環境をこじ開け、いろいろな教派の信者が互いに混ざり合うこととなりました。

「キリスト教のとても大切な101の質問 創元社)」

まあ、これは大まかなイメージと思って。
疑問に思ったところやさらに細かいところは、各自調べてください。

 

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オランダとベルギーの誕生の歴史・人間や国の違いは、宗教でしょ。

 

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今まで、東南アジア、中東、西アフリカに旅をしてきました。外国に行って初めて気がつく日本の良さや特長があります。以前、歴史を教えていたので、その経験もいかして、日本や世界の歴史や文化などをテーマに、「読んでタメになる」ようなブログを目指します。