【世界の食文化】韓国・台湾・日本の“犬肉食”

 

シェークスピアの悲劇「ハムレット」に、とても有名なセリフがある。

「生きるべきか死ぬべきか(To Be or Not to Be)」という言葉がそれ。

シェークスピア(William Shakespeare)

[1564~1616]英国の劇作家・詩人。俳優ののち、座付き作者として37編の戯曲、154編のソネットを書き、言葉の豊かさ、性格描写の巧みさなどで英国ルネサンス文学の最高峰と称された。

四大悲劇「ハムレット」「オセロ」「リア王」「マクベス」のほか、「ロミオとジュリエット」「真夏の夜の夢」「ベニスの商人」など。

デジタル大辞泉の解説

 

*イギリス人にとって、シェークスピアはどれほど大事な存在か?
イギリスが大英帝国と呼ばれていたころ、「(植民地の)インドを失っても、シェークスピアだけは失いたくない」と言われていたという。

でも、友人のイギリス人はこの言葉を知らなかった。

 

行くか?行かないか?

 

ハムレットと同じように(は?)、ボクも韓国を旅行していたときに悩んだことがある。

「行くべきか行くべきではないか?」

くわしく言うと、「犬肉を食べに行くか行かないか?」で迷っていた。
韓国には犬肉を食べる食文化がある。

ポシンタン(補身湯、ほしんとう)とは犬の肉を使用した朝鮮半島の料理で、言葉通りに体に栄養を補うスープを意味している。

「ウィキペディア」

このときは犬のスープではなくて、犬鍋を食べに行くかどうかを考えていた。

 

 

たまたま、ソウルで泊まっていた宿の近くに犬鍋を出す店があった。

それで、宿にいた日本人の旅行者から「明日の夜、犬肉を食べに行きませんか?」と声をかけられる。

それでそのときから、犬を食べるかどうかで迷ことになる。

 

外国に行ったら異文化にふれたい。
特に日本にはない食文化を味わってみたい、といつも考えている。

そんなわけで、東南アジアを旅行したときにはヘビやカエルを口に入れてみた。
味は「まぁ悪くはないね」というぐらい。
正直おいしいとは思わない。

肉よりも味付けの問題だっと思う。
とにかく、異文化経験をして話のネタにはなった、というだけのこと。

 

 

「犬を食べる」なんてなかなか経験できない。

中国やベトナムでも犬を食べる文化はある。
でも中国やベトナムを旅行していたときは、宿の近くにそんな店はなかったし地球の歩き方にものっていなかった(と思う)。

「もし犬を食べるのなら、韓国かな?」とは思っていた。
韓国なら安心感があると思ったから。

そう思っていたから、日本人の旅行者から誘われたのはまさに渡りに船という感じ。

 

それで「行くべきか行くべきではないか?」と、ハムレットになっていたのだけど、結局は行くのはやめてしまう。

やっぱり犬は食べられない。
それに、韓国ならいつでもまた来れる。
食べようと思えばまた食べることはできる。
ということで、「今回はいいや」とパスした。

「そうっすか。じゃ、ボクらは行って来ます」と彼らは宿を出ていく。

後から話を聞いたら、「犬肉はふつうにおいしかったですよ。一緒に来ればよかったのに」と言う。

そのときに聞かれたのがこれ。

「ヘビやカエルを食べることができたのに、なんで犬は食べられないんですか?」

これはハッキリとは答えられなかった。
ヘビもカエルも犬も、日本の食文化にはない食材という点では同じ。
でも、なんでヘビやカエルは食べることができて、犬はダメなのか?

今でもよくわからないけど、「あのとき、犬肉を食べときゃ良かったかな」とは思う。

 

カンボジア人はクモを食べる。
この食文化はポル・ポト時代にうまれたという。

 

4月12日のCNNのニュースで、「台湾で犬や猫を食べることが法律で禁止されることになった」ということを知った。

「犬や猫を食べるのは違法」 台湾が愛護法強化

台湾の立法院(国会)で11日、動物愛護法を強化する改正案が可決され、犬や猫の肉を食べることが禁止された。

*こんなニュースを見ると、「あのとき、犬肉を食べときゃ良かったかな」と思う。

 

この禁止の理由には、台湾人の考え方の変化があるらしい。
「犬の肉を日常的に食べる社会」から「多くの人がペットの猫や犬を大切な家族の一員と考える社会」へと変わっていくことをしめしているとか。

台湾の蔡英文(ツァイインウェン)総統は、大の動物好きで知られているらしい。
だからその影響もあるのかもしれない。

 

 

今では考えられないけれど、江戸時代には日本人も犬を食べていた。

かつて江戸では武家も町方も、下々の食べ物として犬にまさるものはなく、とくに冬場は犬をみかけしだいに殺して食べていたという(大道寺友山『落穂集』)。

会津藩の江戸屋敷で奉公人たちが犬喰いをしていた話も残っている。

「詳細 日本史研究 山川出版」

台湾での動きもそうだけど、今世界的に犬肉を食べることを禁止する風潮が広がっている。

ふう‐ちょう【風潮】

時代の推移に伴って変わる世の中のありさ

goo辞書

「その気になったら、いつでも韓国に行って犬肉を食べることができる」なんて考えていたけど、それもできなくなってしまうかもしれない。

なんだかんだ言って犬肉を食べられなかったボクが言うのもなんだけど、犬肉を食べるかどうかで迷っていたら、早く食べた方がいいかもしれない。

犬食の食文化がなくなってしまったら、迷うことすらできなくなってしまう。

ちなみに韓国でも犬食は本当は違法。
でも、実際には見て見ぬふりをされている。
レストランで食べることができるから、状態としては合法も同然。

くわしいことはニューズウィーク誌の記事(2017年7月24日)をご覧ください↓

韓国では犬肉を食用に販売することは法律で禁じられているが、実際にはこの法律はほとんど施行されておらず、取引市場や犬食のレストランも公然と営業を続けるほど、犬食が盛んだ。

韓国でスープになる直前の犬を救出 ベトナムでは犬食が国際問題に!

そういや、中国でサソリも食べました。

 

おまけ

この記事で、「ハムレット」の「生きるべきか死ぬべきか(To Be or Not to Be)」という言葉を紹介した。

大正時代、坪内逍遥(つぼうちしょうよう)はこの英語をこんな日本語にしている(ウィキペディアから)。

「世にある、世にあらぬ、それが疑問ぢゃ」

 

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旅㉑おにぎりをめぐる日本と中国・韓国の食文化のちがい

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5 件のコメント

  • 私は韓国人と日本人のハーフです。母と母の両親は日本で産まれ、日本語しか話せないですが、国籍や血統は韓国です。そのため、母の両親の両親(私から見て曽祖父母たち)はみんな韓国で産まれ育ったため韓国語と少し日本語が話せる程度でした。
    母が小さい頃、家にフミヤという柴犬を飼っていました。家族で可愛がり、本当に愛情を持って育てていたそうです。ですが、ある時(私から見て)曽祖父が知り合いの妊婦にフミヤを捌いて渡したんです。曽祖父は可愛がってるとは思わなかったと言っていたそうです。
    その話を聞いてから、私は犬食を受け付けなくなりました。もちろん家で出たことも見たこともないですが、体感として凄く身近に犬食があったんだと思うと悲しい気持ちになります。かと言って反対デモは行いません。個人の感情を他人に押し付けることは凄く野蛮なことだからです。犬食を可哀想だから禁止とすると、牛や豚や鶏も禁止にするべきだと私は思います。彼らにも感情はあるのですから。犬食自体は文化かもしれないですが、勝手に家族を捌いて渡すのは許せないし同じ人間とも思えません。私には犬食は本当に難しい問題です。

  • コメントありがとうございます。
    友人の韓国人の女の子を思い出しました。
    その子は幼稚園ぐらいの時に、おじいちゃんに連れられて犬鍋を食べたそうです。
    でも、大人になってから犬がかわいくなります。
    それで、犬を食べてしまったことを思い出すと心苦しくなるそうです。

    自分の価値観は自分内で有効と考えるべきですね。
    日本人がイルカやクジラを食べることを非難する外国人もいますが、何を食べるかどうかはその国の問題ですから。
    外国人が良い悪いを言うと、別の問題がうまれてしまいます。

  • 先日、犬食は難しい問題とコメントした者です。
    実は、わたしはいま高校生なのですが、改めてこちらの記事を見て、人同士の価値観や命の尊さなど、本当にたくさん勉強になりました。

    kokontouzaiさんの仰る通り、食べる食べないはその国々の文化の違いです。
    ですが、畜産業の実態を踏まえて、もし自分が食用の動物として産まれたら…と考えると、わたしは本当に心苦しくなります。今まで食べ切れなくて残してしまったことを思い出して、命を頂いているのに申し訳ないことをしたと、心苦しくなります。
    力のある者が弱い者を食べるのは弱肉強食で自然の摂理ですが、牛や豚に人工授精をさせたり、品種改良して人間の都合のいいように創ることは本当に正しくて真っ当なことなのかな…と考えさせられました。
    そんなことを考えていると動物由来のものを口にするのが躊躇われて、ヴィーガンの生活になりました。私にとって大きな人生の転機です。
    この記事のおかげで、今まで食べ物として当たり前だった動物たちのことを、初めて考える良い機会になりました。また、長々と書いてしまいましたが、私の人生においてとても大切なことを学べた気がします。本当にありがとうございました。

  • こんにちは。
    そう言ってもらえると、記事を書いたかいがあります。
    ありがとう。
    イギリス人の友人で個人的な考えからヴィーガンになった人がいます。その人を思い出しました。

    >もし自分が食用の動物として産まれたら
    これは仏教の輪廻の考え方ですね。
    その仏教のでは、「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」という考え方があります。
    「生きとし生けるものは、すべて生まれながらにして仏となりうる素質をもつ」という意味です。
    牛や豚にも仏性があるということですから、大事にいただきたいと思います。
    個人的にそう思っています。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。