外国人の好きな日本文化「着物」。歴史と特徴を簡単にご紹介。

 

はじめの一言

*明治時代、清水寺のあたりを歩いたアメリカ人の感想

「ある幸運な午後、清水の祭りに参加する機会に恵まれました。ティーポット・ヒル全体が、まばゆい彩りの縮緬や紗を着た民衆、少女、子供たちで混雑し、飾り立てた家々は鮮やかさを競っています。

「シドモア日本紀行 (講談社学術文庫)」

 

 

日本の文化には中国から伝来したのものが多い。

でも日本人は、中国から来たものに変化を加えている。
日本文化の特徴とくちょうにはそんなことがある。
外国から来たものを日本風に変えて、独自のものにしてしまう。
いわゆる「日本化」というもの。

前に、日本と中国の「はしのちがい」について書いた
中国から伝わった箸が、日本で独自の進化をとげて中国の箸とは別物になった。
そんな日中の箸の違いから、日本文化の特徴が見えてくる。

 

そんな日本文化の例には、他にも「着物」がある。
着物も中国から伝わって、今では日本独自の衣服になっている。
今回は、そんな着物の簡単な歴史や特徴について書いていきたい。

外国人と話をすると、着物に興味を持っているという人はたくさんいる。
今回の内容は、外国人に着物を紹介するときにも役に立つと思う。

 

 

 

着物という言葉には、「人が着るすべての衣服」という意味があるけど、日本人が「着物」と聞いて思い浮かべるのはこれだろう。

 

 

日本人がこうした着物につながる衣服を着るようになったのは、飛鳥時代のころからだろう。
この当時の日本人が身につけていた着物は、中国の衣服とあまり変わらない。

『日本書紀』によると、603年に、聖徳太子が、優れた人を評価する冠位十二階を定めて、役人の位階によって冠の色を定めている。これより上層階級は、隋の衣服令に従って大陸の服装を模倣することになる。

(ウィキペディア)

 

上の写真のような着物の原型となった衣服ができたのは、奈良時代のころらしい。

着物型の衣服が成立したのは奈良時代といわれる。

(百科事典マイペディアの解説)

 

これもやはり、中国の唐の文化の影響が強い。

奈良時代の服飾は、中国大陸の唐の漢服の影響を受けているとされ、意匠的に似ている部分が多く、前合わせで帯を締める構成が基本となっているなど、基本的な構成にも似た部分がある。

 

奈良時代の着物

大阪歴史博物館のホームページから。

 

中国から取り入れた着物は、この後日本人の好みに合うように変化が加えられていく。
着物の「日本化」がはじまった。

そのことは特に「帯」にあらわれている。

日本のキモノも、中国の古制とはいうものの、そのとおりではなく、やはり日本ふうにアレンジして保存されたのだ。とくに帯などは、まったく別物になってしまっている。

「日本的 中国的 (陳舜臣)」

 

ここでいう「アレンジ」というのが「日本風に変化させた」ということ。
中国から伝来した服を「日本化」して日本の着物にしている。

 

着物の帯が今のようにハデで大きくなったのは、江戸時代になってから。

江戸時代は、「平和な時代が長期に渡り、また華美を競う風潮と相まって女性の帯は時代が下がるごとに長大化が進んだ(ウィキペディア)」ということらしい。

 

唐の時代の女性の服(中国の博物館)

 

 

日本の着物のような帯はない。
下の男性の着物も同じ。

 

 

日本では、着物の帯は後ろで結ばれている。
でも中国では、着物の帯は前で結ばれていた。

それを「しん」という。

この紳をしている人間は限られた身分の高い人だけで、中国ではそうした人は「紳士しんし」とよばれていた。

中国の帯は「紳」といって、前に長く垂らして結んだものである。

りっぱな帯をしめている人間が、紳士といったのだ。日本でもはじめは前に垂らしたが、しだいにうしろにまわって、現在ごらんのとおりのものと相成った。

「日本的 中国的 (陳舜臣)」

 

今の日本語にある紳士服の「紳士」は、もとは中国の上流階級の人間をさした言葉だった。

 

遣隋使が学んでいた中国の洛陽

 

 

今でも京都のことを「洛陽」ということがある。

 

 

日本の文化には中国から来たものがたくさんある。
そのことをもって、中国人が「日本の文化は、結局は中国文化のこと」、「中国文化のコピー」と言うことがある。

でもそれはちがう。
日本に来てから、日本人が独自に変化を加えて別物にしている。

そのことを韓国人の作家(大学教授)の呉善花さんがこう書いている。

日本の生け花、お茶、庭、盆栽などについて、そのベースが中国にあったにせよ、
(中略)
それらの文化は、日本の土壌のなかで高度につきつめられ、もはやコピーを脱した独自の輝きをもって自立していることを、誰もが認めるしかないからである。

「ワサビの日本人と唐辛子の韓国人 (呉善花)」

 

今の清水寺のあたりには、着物を来た人がたくさんいる。

でもまず間違いなく、観光客が着物をレンタルしているだけで本物の舞妓ではない。
でも外国人の観光客には大人気。
この時は「いっしょに写真を撮ってほしい」というオファーが殺到していた。

「でもこの着物を着ている人は、舞妓じゃなくてふつうの観光客なんだろうな」と思ったら、中国語を話す中国人だった。
最近では、中国人や台湾人にも着物のレンタルが人気らしい。

この記事のはじめに紹介したシドモアが見た清水とはかなり変わっているはず。

 

 

おまけ

中国の唐の時代(唐代)は女性が自由な時代で、女性は帽子をかぶっておしゃれを楽しむことができた。

 

 

また、馬に乗って遠出をすることもできた。

 

でもあまりに女性が自由に行動していたために、いろいろな問題が生まれてしまったらしい。
それでこの後、女性が自由に外出や行動できないようにするため「纏足」が広まっていく。

てん‐そく【×纏足】

中国で、女性の足を大きくしないため、子供のときから親指を除く足指を裏側に曲げて布で固く縛り、発育をおさえた風習。唐末ごろに始まり、宋代から流行したが、清末に廃止運動が起こり、清滅亡後消滅した。

デジタル大辞泉の解説

 

でも纏足の理由はこれだけじゃない。
興味があったら調べてください。

 

マレーシアの中華街で売っていた纏足

この纏足屋のおじさんの話では、纏足をしていてこの靴が必要な女性は2、3人だけで、後は観光客へのお土産としてこの靴をつくっているらしい。
15年ぐらい前のこと。

1970年代には、横浜や神戸の中華街にも纏足の女性がいたらしい。

 

おまけのおまけに西安の「兵馬俑へいばよう」をどうぞ。

 

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今まで、東南アジア、中東、西アフリカに旅をしてきました。外国に行って初めて気がつく日本の良さや特長があります。以前、歴史を教えていたので、その経験もいかして、日本や世界の歴史や文化などをテーマに、「読んでタメになる」ようなブログを目指します。