海外には月収825万円の物乞いもいる!日本の価値観や考え方との違い。

 

「ドバイの物乞いは、月に825万円もかせぐ!」ということが話題になっているらしい。

こんな記事をみた。

ドバイの乞食が月収825万円と話題に! それ目的で入国する人まで

 

ドバイの現地メディア「ガルフニュース」が、物乞いにかんする統計調査を発表した。

それによるって、物乞いが月に27万ディルハム(約825万円)かせいでいたことがわかる。
この「アラビアン・ドリーム」を聞きつけて、ドバイで物乞いをしようと密入国した外国人もいるらしい。

物乞いの月収が825万円というのは、さすが石油大国。
日本に住んでいて日本の価値観や考え方に慣れていると、ワケがわからない。

 

ドバイはアラビア半島の「角」のところにある。

 

でも、一年前に同じことが話題になっていた。

2016年4月のレコードチャイナにこんな記事がある。

ドバイのこじきは月収800万円、中国のプロこじきも真っ青=「みんなで稼ぎに行こうぜ!」―台湾メディア

 

このとき、ドバイには「プロの物乞い」が増えていて社会問題になっていた。
それで地元の警察が59人の物乞いを逮捕する。

その全員がビジネスビザや観光ビザで入国した外国人だったという。
先ほどのアラビアン・ドリームを夢見てドバイに来たのだろう。

このときに判明したのが、これら外国人の「プロ物乞い」の月収。

時給に換算すると1500ディルハム(約4万5000円)で、1カ月27万ディルハム(約810万円)という極めて高額の収入を得ていることが分かった。つまり、3カ月滞在するだけで、81万ディルハム(約2400万円)もの収入が得られることになる。

ドバイのこじきは月収800万円、中国のプロこじきも真っ青=「みんなで稼ぎに行こうぜ!」―台湾メディア

物乞いの月収が800万円なら、今とほぼ同じ。

 

これにはビックリしたけど、個人的にはこっちにも驚いた。

台湾メディア・東森新聞雲によると、中国の路上に「プロこじき」が現れ、年収が30万元(約500万円)にも上ると報じられた

中国で物乞いをすると500万円もかせげるとは!

 

 

海外に行くと物乞いをよく目にする。

日本人のボクからすると、物乞いに対して「かわいそう」とか「貧しい」といったイメージを持ってしまうけど、現地に行って地元の人の話を聞くと案外そうでもない。

当たり前のことだけど、現地の人は日本の価値観や考え方で物ごいをとらえてはいない。

たとえば、インド旅行でこんなことがあった。

インドのヴァラナシという街で、オートリキシャーをチャーターして観光地をめぐりをした。

 

オートリキシャー

 

その時に、オートリキシャーのドライバーとインドの物ごいについて話をする。

「インドを旅行していてたくさんの物乞いを見たよ。彼らは貧しいし同情してしまう」

なんてことをボクが話すと、インド人のドライバーが「ちょっと待て」と言う。

「ちょっと待て。物ごいは貧乏じゃないぞ。ヤツラらの収入はオレよりいいんだ」

え?
これを聞いてビックリ。
なんで物乞いがドライバーよりかせぐことができるのか?

「物乞いはオレよりかせぎがいいんだよ。オートリキシャーのドライバーなんて、もうからんよ」

「じゃ、アンタも物乞いになったらいいじゃないの?」

「できればな。でもジャーティ(カースト)がちがうから、オレは物乞いにはなれんよ」

そうだった。
インドにはジャーティ(カースト)があるんだった。
インドには、物乞いにもそれを職業とする「物乞いカースト」みたいなものがある。

その「物乞いカースト」以外の人間は、絶対に物乞いになることはできないのか?

それは知らないけど、物乞いには「縄張り」のようなものがあるという。
だから、よそ者がプロの物乞いになって金をかせぐのはむずかしいと思う。

 

 

物乞いは「乞食(こじき)」ともいわれる。

「乞食」という言葉は、もともとは悪い意味ではない。
ウィキペディアには乞食についてこう書いてある。

本来は仏教用語で「こつじき」と読む。比丘(僧侶)が自己の色身(物質的な身体)を維持するために人に乞うこと。

上に写真のような、タイでよく見られる托鉢(たくはつ)も乞食になる。
この仏教の言葉が今のような乞食(物乞い)の意味になった。

 

「日本の常識は世界の非常識」なんてことはずっと前から言われている。

当たり前のことだけど、日本人の価値観や考え方がそのまま外国でも通用することはない。

でもそれが海外旅行の楽しみでもある。
日本とはちがう価値観にふれたり、日本にはない考え方に出会ったりすることはおもしろい。

インドの場合、物乞いをふくめて「すべては自分と神との関係」として考えることがあるという。

もしも自分が貧乏で、隣の人が金持ちだとしても、それは「神様そう決めたのだ」とインド人は思うのです。
自分が貧乏なのは、私と神さまとの関係であり、彼が金持ちなのも、彼と神さまとの関係であると考えるので、焼きもちを焼くこともありません。
他人と同じものを欲しがったり、競争したりはしないのです

(インド流! マルカス サンガ新書)

日本では、こんな考え方は一般的にはない。
物乞いやホームレスは宗教ではなくて社会の問題。
神との関係ではなくて、社会との関係でとらえる。

日本で「わたしと神との関係」とする考え方は聞いたことがない。
日本の価値観や考え方からすると、「ドバイの物乞いは月収825万円」と知るとビックリしてしまう。

 

でも日本での物乞いの見方を、そのままドバイの物乞いに当てはめることはできない。
インドの物乞いの見方をドバイでの物乞いに当てはめることもできない。
ドバイの物乞いは日本やインドの物乞いとはちがう。

ヒンドゥー教徒であればヒンドゥー教の考え方から物乞いを理解するだろうし、イスラーム教徒ならイスラームの教えからそれをとらえるだろう。

 

ドバイにはドバイの常識や社会構造がある。
日本では考えられないけれど、現地の人からしたら「物乞いの月収が825万円というのは不思議ではない」という感覚なのかもしれない。

アラブのお金持ちの価値観や考え方には興味がある。

 

 

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1 個のコメント

  • […] 置き、投げ銭を待っている人①は海外には存在している。 参考:ゆかしき世界(海外には月収825万円を稼ぐ乞食が居る) 自分を見世物にし、自分をコンテンツ化していると言えるかどう […]

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。