インドでガンディーは尊敬されてる→マウリヤ朝のアショーカ王だな。

 

「インドで一番尊敬されてる人は誰?」
と、インド人に聞けば、「ガンディーだよ」という答えが、当然返って来るものだと思ったら、コルカタでは違った。

 

 それで、今度は、場所と人を変えて聞くことにした。
インドの北部のパンジャーブ州に行ったとき、シーク教徒のインド人に同じ質問をする。
結果、「一番は、アショーカ王だな」
と言い、二位と三位は、聞いたことがないシーク教徒のマハラジャ(王)だった。
ガンディーは、ベスト3にも入らないのか?

 

 アショーカ王は、紀元前3世紀の「マウリヤ朝」という王朝の王で、こんな人だ。


カリンガ国の征服により、南部を除くインドの統一に成功し最大領土を築いた。仏教に帰依し第3回仏典結集やスリランカ布教を行った。一方でダルマ(倫理・法)による統治を理想とし、各地に磨崖碑・石柱碑を建てた
(世界史用語集)」


でも、不思議だ。
なんで、アショーカ王が一番に来るのか?
アショーカ王は、仏教を深く信仰していて、インド中に仏教を布教した「仏教王」だったはずだ。
しかし、現在のインドには、その仏教がほとんど残っていない。

 

 「インドは、仏教発祥の地であるが、現代、インド仏教はほとんど消滅してしまった」
と、ウィキペディアにも書いてある。

 

 仏教を(ほぼ)なくしてまったインドで、何で仏教の王が、一番尊敬されているのか?

 「そりゃ、アショーカ王は、初めてインドを統一したからだよ。これは、すごいことさ」 

 

 このことは、「世界史用語集」の「マウリヤ朝」にも記述がある。
「アショーカ王の時代に南部を除くインドの統一に成功した」
つまり、アショーカ王は、歴史上、初めて中国統一を成しとげたという「秦の始皇帝」のような人物だ。彼は、その「インドの天下統一」という点に注目したようだ。

 「ガンディーも尊敬しているよ。でも、今のインドには、アショーカ王の影響がたくさんあるんだぞ。例えば、デリーの鉄柱だ。あれは、アショーカ王が建てんだ。そ以来、まったく錆(さ)びてないんだぜ。すげえよ」
それは、デリーに行ったときに見たことがある。

 

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「デリーにあるこの鉄柱」

 

しかし、残念ことがある。

一般に『アショーカの柱』と呼ばれているが、アショーカの建てたものではなく、アショーカ王より700年近くも後のものである。(ウィキペディア)

 

ということで、紀元前3世紀のマウリヤ朝の時代の物ではなく、グプタ朝のものらしい。
ただ、この鉄柱がアショーカ王の時代のものだと思っているインド人は他にもいた。

 

 調べて見ると、現在のインドで、アショーカ王に由来するものは、かなりある。 先ほどの用語集の「石柱碑を建てた」という記述に注目してほしい。
 アショーカ王は、自分の考えを民衆に伝えるため、インドの各地に「アショカ・ピラー(柱)」と呼ばれる柱を建てた。


この柱の先には、四頭の獅子(しし)と仏教の教えを表す「法輪(ダルマ・チャクラ)」のデザインがある。

 

Emblem_of_India_svg

「四頭の獅子と仏教の法輪(ウィキペディアより)

 

 「サールナートのアショカ・ピラーはインドの国章に採用され、アショカ・ピラーのダルマチャクラ(Dharma Chakra)は国旗を飾っています(インド政府観光局)」

 

Flag_of_India_svg

    これね。ウィキペディアより

 

 これは国旗だけじゃない。


「この獅子が、新しい大統領旗にも描かれているだけでなく、インド政府の文書をはじめ、インドを象徴するあらゆるものに用いられている
(古代インド 中村 元)」

 

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インド人にパスポートを見せてもらったら、ここにもあった。
四頭のライオンがいるし、よ~く見ると、その後ろには、「法輪(ダルマチャクラ)」もある。 


インドのお金「
100ルピー札」の左下にもある。

IMG_7708[1]

 

 こう見ると、アショカ・ピラーは、インドのシンボルになっているのが分かる。だから、アショーカ王がインドで深く尊敬されている理由が分かる気もする。

 この後も、いろいんなインド人にガンディーについて聞いたけど、「ガンディーは、尊敬されているさ。でも、~」という感じの人が多かった。

 

 別のインド人は、
「ガンディーは、インドの軍人には人気がないよ。軍人は、国のために戦わないといけないから、『不暴力』というガンディーの考えを好きじゃない人が多いよ」
と言う。

 

 確かに、軍人にとっては、「不服従」はともかく、「非暴力」という考えは、受け入れられないかも。

 さらに、違うインド人は、

「相手が20世紀のイギリスだから、ガンディーのやり方が成功したんだ。イギリスが法や人権を大切にする文明国だったから、非暴力・不服従運動がうまくいったんだろ。でも、どんな相手にも通じる手段じゃないと思うぞ」
と、「敵」であるイギリスを文明国であると、「よいしょ」していた。

 

 ただ、この意見には、考えさせられた。
確かに、これが、インド大反乱の時代であったら、ガンディーは、容赦なく殺されていて、運動は終わったかもしれない。
ガンディーの「サティヤグラハ(非暴力・不服従運動)」は、どんな場所でも、どんな相手にも、成功する「ジョーカー」のような手段なのだろうか?

このことを、インドで会った日本人旅行者に聞かれて、ボクは、答えらなかった。

 

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今まで、東南アジア、中東、西アフリカに旅をしてきました。外国に行って初めて気がつく日本の良さや特長があります。以前、歴史を教えていたので、その経験もいかして、日本や世界の歴史や文化などをテーマに、「読んでタメになる」ようなブログを目指します。