インドの歴史②アウラングゼーブ、ジズヤでムガル帝国を崩壊へ。

 

まずはインドという国を大ざっぱに確認しておこう。

インドは大きい
日本の約8.7倍の面積がある。
この広大なインドには、日本の人口のほぼ10倍、約13億の人たちがいる。

 

ちなみに、インド人と中国人で地球の人口の約3分の1になる。

 

それはいいとして、インドというと「ヒンドゥー教の国」というイメージが強いと思うけど、イスラーム教徒もたくさんいる。
インドでの宗教の割合はこんな感じ。

外務省のインド基礎データから。

ヒンドゥー教徒79.8%、イスラム教徒14.2%、キリスト教徒2.3%、シク教徒1.7%、 仏教徒0.7%、ジャイナ教徒0.4%

(2011年国勢調査)

 

インドの人口を13億人として計算すれば、インドには約1億8000万人のムスリム(イスラーム教徒)がいることになる。
インドは世界第3位のイスラーム大国でもある。

そんなインドでもクリスマスになったら、外国人が多いホテルやレストランでならクリスマスツリーを飾っている。

 

前回、ムガル帝国の皇帝アクバルについて書いた。

ムガル帝国は1526年から1858年までインドにあった国。
日本ではだいたい、織田信長から大政奉還(江戸時代の終わり)までの期間になる。

 

今のインドでアクバルはとても人気がある。
イスラーム教徒のこの皇帝は、非ムスリム(イスラーム教徒以外の信者)に対してとてもやさしかったから。
先ほど紹介したように、インドにはいろいろな宗教がある。
アクバルは異教徒とも友好的に接していた。

宗教的には寛大政策をとり、ジズヤを廃止するなど諸宗教の融合を目指した。

「世界史用語集(山川出版)」

 

ヒンドゥー教徒を敵にまわしたら、インド支配はきっとうまくいかない。

 

ヒンドゥー教の王たちと面会するアクバル(ウィキペディアから)

 

アクバルはイスラーム教徒であるにもかかわらず、ヒンドゥー教徒の女性と結婚までしている。
さらにアクバルはヒンドゥー教徒やシク教徒たちとうまくやっていくために、ジズヤを廃止した。

ジズヤとは人頭税じんとうぜいのこと。

財産は関係なくて、その国に住んでいる人間ならだれもが一定の額の税金を払うというのが人頭税。

10人の仲間から10万円を集めるために、1人1万円ずつとるのが人頭税の考え方。
そうではなく、財産に応じて金持ちは多く払って貧しい人は少しでいい、というのは累進課税の考え方になる。

 

宮古島の人頭石は有名。

宮古島では、人頭税石と同じ背の高さになると適齢に達したとみなされて課税されたと伝えられている。

「ウィキペディア」

 

イスラーム教徒が支配する国では、非ムスリム(イスラーム教徒以外の人間)はジズヤという人頭税を払うことになっていた。
イスラーム教徒だったら、ジズヤを払う必要はない。
だから、ヒンドゥー教徒やシク教徒であればジズヤを払わないといけない。

アクバルはこれを廃止する。
ヒンドゥー教徒をはじめ、インドにいる様々な宗教の人たちと友好的な関係を築くために。
税金を払わなくていいのだから、非ムスリムは当然よろこぶ。

 

 

税金を下げてくれる政治家なら、国民は大歓迎するはず。

ムガル帝国のインドでもそれは同じ。
ヒンドゥー教やその他の宗教の信者は、ジズヤをなくしてくれたアクバルを支持する。

異教徒に対して寛大なアクバルの政策は、インドを統治するうえでとてもうまくいった。
アクバルの次の皇帝もこの政策を受け継ぐ。
そしてムガル帝国は強大になっていく。

でもそれをアウラングゼーブがぶち壊してしまう。

 

ムガル帝国第6代皇帝アウラングゼーブ(ウィキペディアから)
「ムガル帝国誌 (岩波文庫)」によると、アウラングゼーブとは「玉座の飾り」という意味らしい。
実際には、飾りではなく玉座の主になっている。

アウラングゼーブは1618年から1707年までの人。
日本だと、だいたい大坂夏の陣(1615年)から生類憐みの令の廃止(1709年)までになる。

 

アウラングゼーブは、アクバルが廃止したズヤを復活させてしまう。

いつの時代でも国民を怒らせるのは簡単。
税金を上げればいい。

どこの国でも、税金を上げる政治家は国民から嫌われる。
日本の場合、1989年の選挙で自民党が大敗北した大きな原因は、消費税を導入したことだった。
朝日新聞の記事から。

竹下首相が消費税を導入した直後の89年の参院選で自民党は惨敗した。

〈争点を追う〉消費税、出たり消えたり

日本に消費税がなかった時代がなつかし・・・。

 

話をアウラングゼーブに戻す。
アウラングゼーブも消費税をつくった自民党と同じで(?)、増税によってムガル帝国内の人たちを敵にまわしてしまう。
ヒンドゥー教徒やシク教徒といった非ムスリムがアウラングゼーブとたたかった。

人頭税を復活させたため、マラーター王国やシク王国の反抗を受けた。治世の後半は農民反乱や貴族層の困窮化が進み、支配はゆらいだ。

「世界史用語集(山川出版)」

 

ムガル帝国が強大だったのはアウラングゼーブの時代まで。
それからは坂を転がるように、帝国は弱体化していく。

アウラングゼーブ

帝国の領土を最大にしたが、厳格なスンニー派イスラム教徒として他教徒を弾圧したため反乱を招き、財政を破綻(はたん)させ、帝国を衰退させた。

デジタル大辞泉の解説

アウラングゼーブがムガル帝国を崩壊へ導いた大きな理由は、ジズヤの復活にあった。

 

 

友人でヒンドゥー教徒のインド人と話をしていたときに、驚いたことがある。

彼とイギリスの植民地支配の話をしていて、ボクが「あなたはイギリスが嫌いですか?」と聞いたら、「ボクはイギリスよりもアウラングゼーブの方が嫌いだ」と彼が言う。

「アウラングゼーブはヒンドゥー教徒を迫害した。ヒンドゥー教の寺院を破壊したりたくさんのヒンドゥー教徒を殺したりしていた。『ヒンドゥー教徒だから』というだけの理由で。イギリスはそんな野蛮なことはしなかったよ」

今のインドでアクバルの人気が高いのは、アクバルはヒンドゥー教徒をはじめ異教徒にやさしかったから。
これと反対のことをアウラングゼーブはしていた。
そりゃ嫌われるわな。

 

でもそれだからこそ、イスラーム教の国パキスタンではアウラングゼーブの人気は高い。

パキスタンでは建国の経緯からイスラーム復古主義と世論の親和性が強く、アウラングゼーブは国民的英雄とされており、インドでアクバルが尊敬されているのと対照的である。

「ウィキペディア」

アウラングゼーブの墓

 

ムガル帝国が滅亡する様子をどんな思いで見ていたのか?

インドには、アウラングゼーブが自分の名前にちなんでつけた「アウランガーバード」という街がある。
このアウランガバードから世界遺産のエローラ遺跡を見に行く旅行者は多い。

 

おまけ

デリーの夜の様子

 

 

宗教 「目次」

インド 「目次」

タージマハルの説明④ 装飾・その後も元気なシャー・ジャハーン!

 

コメントを残す

ABOUTこの記事をかいた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。