そしてカンボジアは、地獄と化した「トゥールスレンとキリングフィールド」~ポルポト政権下のカンボジア人②~

 

はじめの一言

「この町でもっとも印象的なのは(そしてわれわれ全員による日本での一般的観察であった)男も女も子どもも、みんな幸せで満足そうに見えるということだった。(オズボーン 幕末)」

 

 

では、ポルポト派の支配下にあったカンボジア人の様子について見てみたい。


でもその前に、「ポル・ポト政権」というものが、どんなものであったかをざっと確認しておこう。

1975年にカンボジアで成立したポル=ポト(?~1998)の急進左派政権。都市から農村への強制移住、通貨の廃止、反対者の大量虐殺などをおこなった。

文化大革命の影響を受けて中国に接近し、隣国のベトナム・ラオスとは対立した(世界史用語集 山川出版)

この大量虐殺の犠牲者は、一説には150万人と言われている。


この当時、ポル・ポト政権では、カンボジア国内にいた人々を「処刑すべき人間」と「その必要がない人間」と、大きく二種類に分けていた。

大ざっぱな見方だけど、自分たちの考えに反対する(またはそう見える)人は「敵」であり処刑の対象となる。
そして、自分たちの考えに賛成する(または従う人)は「味方」と見られていた。

 

そしてポル・ポト政権の人間は、自分たちの「敵」は「ばい菌である」と考えていた。

ポル・ポト政権指導者たちがばい菌(敵や家族まで含めて)は絶滅させなければならないとし、800万人の小国の人口を100万人に削ってもよいなどと口にする時、それがどれほど国にとって深刻なことかを自覚していた様子はない

(ポル・ポト〈革命〉史 山田 寛)

こうしたポル・ポト政権にとっての敵を、カンボジアから「取り除く」ためにつくられたのが、首都プノンペンにある「トゥールスレン」という施設。

このトゥールスレンに、ポル・ポト政権への反対者、またはその疑いのある人間が連れて来られた。

そして、尋問・拷問・殺害が行われた。
ここで殺された人たちの人数は、15000人にものぼるという。

 

トゥールスレンの建物は、もとは高校でここの所長の「ドッチ」という人物は、元教員でもあった。

確かに、見た目はどこにでもありそうな古びた校舎で、ここで拷問や虐殺がおこなわれていたとはなかなか信じられない。

 

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 「トゥール・スレン虐殺犯罪博物館」

 

でも、ポル・ポト政権時代、ここから聞こえてきたのは死におびえる囚人の泣き声であり、拷問による断末魔の悲鳴であった。

先ほどの「ポル・ポト〈革命〉史」 山田 寛)」では、当時の様子は、このような状態だったという。

「何十人もの囚人の妻や子、母親もいて、皆殺された。親と離れ離れの『子どもセンター』にいた子どもをそこから連れてきて殺している。赤ちゃんまでも殺している(同書)」

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トゥールスレン虐殺博物館にある絵

 

ポル・ポト派の人間は、囚人たちをどう思っていたのか?
それは、この文で分かる。
この文に出て来る「S21」とは、トゥールスレンのこと。

ポル・ポト革命の指導者たちにとって、国民は人間ではなく、いつでも処分できる家畜に過ぎなかった。S21の所長のドッチは報告書の中で、監獄で飼っていたアヒルと鶏が死んだことを七行にわたって嘆いているのに、拷問で囚人十四人が死んだことは、たった二行で済ませていた(同書)

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囚人たちは、この小さな空間に閉じ込められていた。
かすかに見えるのが、囚人の足に付けられていた鉄の鎖と排泄用の容器。

 

このトゥールスレンで次々と人を殺していくうちに、こことは別のところに、死体を埋めたり処刑したりするための場所が必要になってきた。
そして、「キリング・フィールド」と呼ばれる処刑場を兼ねた死体の埋葬場がつくられた。

そのころのカンボジアを描いた「キリング・フィールド」という映画がある。
原題は、「キリング・フィールズ」という複数形なのだけど、日本語のタイトルでは、なぜか「キリングフィールド」と単数形になっている。

 

ボクはカンボジアに行くまで、「キリング・フィールド」というのはてっきり、カンボジアに一ヶ所だけあるのだと思っていた。


でも実際には、首都プノンペンだけではなくてカンボジア国内各所にある。

 

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キリングフィールドの一つ

 

一方、ポルポト政権の「味方」とされていた、一般のカンボジア人の生活も悲惨をきわめていた。

七七年には、収穫はわりあいよかったのに、みんなどこかへ運ばれてしまうので、民衆の不満は増大している。収穫期など朝四時から働かされるが、南西部の幹部が来てから集団食事制度が導入され、もらえるコメの量は一日ミルク缶半分だけだ。人々はバナナの木まで食べている。最近も自分のいた村ではマラリヤと飢えで、一日一〇人の割合で死んだよ(同書)

この記述を見ると、「毎日が地獄だった」と話していたおじさん(前回書いた)は、恵まれていた方だったのかもしれない。

「バナナの木まで食べている」というのは、もう、自分が何をしているのかとい感覚を、なかば失っているのではないだろうか?

 

また、ポル・ポト政権は家族の「親子関係」を徹底的に破壊した。
家族と一緒に住むことを禁止して、人びとは年代や性別ごとのキャンプで生活させられていた。

「党の組織と人民」との関係だけを強制させられた結果、本来の人間性を維持した生活を送ることは不可能になった。

あの時代、一般の農民は「夕食のテーブルで妻子と一緒に食事をしたい」などと口にしただけで、殺された可能性が強い(同書)

先ほど、処刑場である「キリングフィールド」はカンボジアの各所にあると書いたけど、その認識も間違っていたかもしれない。


カンボジアの国王であったシアヌーク殿下は自身の回想録の中で、ポル・ポト政権の支配下にあったカンボジアを「大規模な屠殺所」と表現している。

巨大な〈グーラーグ〉(強制収容所)に変え、アウシュビッツそこのけの大規模な屠殺所(とさつじょ)

(シアヌーク回想 中央公論社)

この記述を読むと、カンボジアのいたるところにキリングフィールドがあったのではなくて、カンボジアという国自体が「一つの巨大なキリングフィールド」だったということが分かる。

 

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「犠牲者の頭蓋骨でつくられたカンボジア」
「赤い血の色は、トンレサップ湖とメコン川を表している」

 

そしてシアヌーク殿下は、その時代を生きたカンボジア人の生活をこうも述べている。

三年間にわたった強制労働、あらゆる自由の剥奪、人類史上、比類のない不幸(同書)

じつは、前回の記事で出てきたスナックの「クモのフライ」は、「ポル・ポト以前」には、食べられていなかった。

ポル・ポト時代、前回書いたおじさんのように、人びとは食べ物がなくて、常に飢えていた。
それをしのぐために、それまで食べていなかったクモさえも食べるようになったという。
それその始まりだという。

こうした習慣がどのようにして始まったかは定かではないが、クメール・ルージュ支配下にあった時代の食糧難に始まったとする見方もある。ポル・ポト政権の圧政の下でカンボジア人は必要に迫られクモ、ネズミ、トカゲなどを食すようになったという

(ウィキペディア)

カンボジア人も「ポル・ポト時代からクモを食べるようになった」と話していた。別の本でこのことを読んだこともあるから、信憑性は高いだろう。

 

いずれにせよ、「バナナの木」を食べたり飢え死にしたりすることよりは、クモを食べても生きているほうがましだったはず。
ポル・ポト政権下の生活では、人びとは「選ぶ」という贅沢な行為は許されなかったのだから。

 

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カンボジア人民の手によって、今、ポル・ポトら政権指導者たちは、永遠の牢獄に入れらている。

 

プノンペンに入るポルポト派

 

機械を使わず、土木作業をしている。
日本の歴史なら、鎌倉時代や室町時代と変わらないだろう。

 

ポルポト
画像と下の言葉は「NHK 映像の世紀 第10集」から。

 

この理想社会を実現させるため、ポル・ポト政権は家族を解体し、子どもたちを親から離して集団生活させた。
そして、洗脳教育をおこなう。

この当時、ポル・ポトは子どもたちに、こんなスローガンをかかげていた。

我々は独自の世界を建設している。
新しい理想郷を建設するのである。
したがって伝統的な形をとる学校も病院もいらない。貨幣もいらない。
たとえ親であっても、社会の毒と思えばほほえんで殺せ。
今住んでいるのは新しい故郷なのである。
我々はこれより過去を切り捨てる。
泣いてはいけない。泣くのは今の生活を嫌がっているからだ。
笑ってはいけない。笑うのは昔の生活を懐かしんでいるからだ。

 

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今まで、東南アジア、中東、西アフリカに旅をしてきました。外国に行って初めて気がつく日本の良さや特長があります。以前、歴史を教えていたので、その経験もいかして、日本や世界の歴史や文化などをテーマに、「読んでタメになる」ようなブログを目指します。