中国人に人気の日本米。日本人を救った農林1号に感謝を!

 

最近の中国では日本の米の人気が高いという。

Record chinaでそんな記事(2017年8月8日) を見つけた。

中国人はタイやベトナムからの輸入米より、日本産米を好むという。食感が中国人の好みにあっており、日本に住んだ中国人はたいていファンになるそうだ。

中国人、日本産米の「爆買い」も?ネット販売人気―華字紙

「日本に住んでいて、おにぎりが好きになりました」

前に、香港人の友人がそんなことを話していた。
その香港人の頭の中には「ご飯は温かいもの!」というイメージがあって、彼女が香港にいた時はおにぎりのように冷えた米を食べることはなかったという。

中国人か台湾人か忘れたけど、「冷えたご飯には、『罪人の食べもの』というイメージがあります」と聞いて驚いたことがある。

 

罪人は別としても、単純に中国の米は冷えたら本当にまずくなるらしい。
でも日本の米は冷たくてもおいしい。

それでその香港人は日本に来てから、おにぎりに目覚めたらしい。
こんなことも言っていた。

「中国の米でおにぎりをつくったらダメですね。日本の米は、やっぱり違いますよ」

ボクも中国には何度も旅行をしたことがある。
数えられないくらい白米を食べたけれど、そのたびに日本米のおいしさに感謝した。
正直、あの米でつくったおにぎりなら食べたいとは思わない。

でもチャーハンにすると、とてもおいしい。

まあ、ボクが行くような店は安食堂だから、高級店で出る白米はおいしいのかもしれない。

 

 

「日本の米」について語るなら、外すことはできないし個人的にも知ってもらいたいものがある。

それは農林1号という稲の品種だ。

この農林1号が日本米にあたえた影響は絶大。
今の日本人がよく食べているコシヒカリやササニシキは、この農林1号から生まれた。

水稲農林1号(すいとうのうりん1ごう)は、日本のイネ品種。イネ品種としては初めて農林登録された。後にコシヒカリなどの品種の交配親に用いられ、多数のイネ品種の祖先となっている。

「ウィキペディア」

コシヒカリやササニシキのない日本米なんて想像できない。
というか、コシヒカリやササニシキのない日本が考えられない。

だから、日本人がつくり出した稲の品種でもっとも重要なものが農林1号だ。
と言い切っても、間違いではないだろう。

今の中国で日本米の人気が高いのも友人の香港人がおにぎりを好きになったのも、この農林1号によるところが大きい。

 

 

日本人にとって農林1号が特別だという理由には、「有名な日本米はこのイネから生まれたから」ということがある。

それがウィキペディアに書いてあった「多数のイネ品種の祖先となっている」というところだけど、それだけじゃない。
それ以上に重要なことがある。

この農林1号はたくさんの日本人を救っている。

 

農林1号ができた昭和6年(1931年)のころ、世界や日本はどんな状態だったのか?

一言でいったら、とても悲惨ひさんな世の中だった。

1929年にアメリカのニューヨークで株が大暴落して世界恐慌がはじまる。
その影響を受けて日本では昭和恐慌がおこった。

昭和恐慌のとき、日本の農村部は特に大きな被害を受けてしまう。
日本史ではそれを農業恐慌という。

農業恐慌

1930年の豊作による米価下落で、農業生産はいっそう悪化した。豊作飢饉・豊作貧乏という。翌1931年の東北大飢饉などで農村困窮が深刻化。欠食児童・娘身売りなどの惨状が続出した。

「日本史用語集 (山川出版)」

平成の今では、「食べるものがないから、自分の娘を売ってしまう」という身売りなんてあるはずがない。
でも昭和のはじめには、そうでもしないと生きていくことができない人がたくさんいた。

 

「娘を売るときは相談を」と呼びかけている。
歴史の教科書で見たことがある人も多いと思う。
画像はウィキペディアから。

 

評論家の山本七平氏は、この農林1号を「世界ではじめての『寒冷地用水稲』」と書いている。

農林1号が誕生したことで、寒い北陸や東北でおいしい米がとれるようなった。
それまでの北陸の米はとてもまずかったらしい。
「北陸の米は、鶏でも食べずに通りぎてしまう」ということから、「鶏(とり)またぎ米」と呼ばれていた。

農林1号の誕生によって今のササニシキやコシヒカリが生まれ、北陸は日本有数の米どころになっている。

 

さらに食糧難のときに、農林1号によって救われた日本人はたくさんいた。

これによってどれだけ多くの人が救われたかわからない。それは単に東北の農民を冷害から救っただけでなく、戦中戦後の食糧事情の苦しいとき、多くの人を飢餓や栄養失調から救った。「農林1号」は、ある意味では何よりも貴い資産であり、その後の品種改良の第一歩であった。

「昭和東京ものがたり (山本七平)」

この時代を生きた山本七平氏は、この農林1号が東北に広がっていくにつれて、東北が冷害で苦しむことが減っていったと書いている。

それまでは「冷害に苦しむ東北の農民を救おう」というキャンペーンが何度もあって、渋谷駅で募金活動などをおこなっていた。
けれど、それも次第になくなっていったという。

 

 

公益社団法人農林水産・食品産業技術振興協会(ながっ!)のホームページには、この農林1号が日本の「戦後飢餓を救った」と書いてある。

農林1号が真に名を上げたのは、敗戦直後の食糧危機の時である。昭和21、2年の端境期に、北陸から送られてきた早場米がいかに飢餓におびえる国民の救いとなったことか。 農林1号の名は救世主のように国民に知れわたった。

戦後飢餓を救った「水稲農林1号」

効果的なダイエット方法が見つからなくて困っている今の日本人からは想像できないけど、日本にも飢餓という状態があった。
でも日本で飢餓があったのは、この時代が最後だろう。

 

 

農林1号によって救われた日本人はたくさんいた。

もし農林1号がなかったら?

多くの人の命が失われていて、今の日本に生まれてこなかった人がたくさんいたはず。

お米を食べるときや日本米のニュースを見たときには、農林1号を思い浮かべてもいいと思う。
そう遠くない昔、日本には子どもを売らないと生活できなかった時代があったことも。

 

 

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今まで、東南アジア、中東、西アフリカに旅をしてきました。外国に行って初めて気がつく日本の良さや特長があります。以前、歴史を教えていたので、その経験もいかして、日本や世界の歴史や文化などをテーマに、「読んでタメになる」ようなブログを目指します。