「地球市民(地球人)になる」って、日本人をやめること?

 

始めの一言

「私が断じて滅びないことを願う一つの国民がある。それが日本人だ。あれほど興味ある太古からの文明は消滅させてはならない。
(ポール・クローデル 大正時代)」「日本絶賛語録 小学館」

 

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ちょっと、前回のおさらい。

アメリカの国際政治学者である「サミエル・ハンチントン」は、著書「文明の衝突」で世界を次の八つの文明圏に分けている。

「西欧文明」「ラテンアメリカ文明」「アフリカ文明」「中華文明」「ヒンドゥー文明」「東方正教会文明」「イスラム文明」と「日本文明」。

日本だけが、「国=文明」になっている。
でも、そのことによってこんな弱みがある。

そのことによって日本は孤立しており、世界のいかなる他国とも文化的に密接なつながりをもたない
(文明の衝突 サミエル・ハンチントン)

 

世界の人からしたら、日本は「変わった国」と見られてることも多い。
明治時代、シドモアというアメリカ人は日本をこう表現している。

日本は今世紀最大の謎であり、最も不可解で矛盾に満ちた民族です(シドモア日本紀行 講談社学術文庫)

このときの日本は、富国強兵や文明開化の時代で社会を欧米のものに近づけようとしていた。
それでも、アメリカ人かしたら「謎」だという。
でも日本では、「外国人も日本人も、みんな同じ」といったことをよく言うように思う。

外国人と一緒に生活する住む「多文化共生社会」について記事を書いたときに、そう感じた。
その記事を書くために、日本の地方自治体のホームページを見たり本を読んだりしたときによく目にしたのが、「同じ人間」「民族や言葉を越えて」「地球人」といった「同じ」を強調するような言葉。

 

これはこれで「排他的になっていけない、仲良くしよう」ということで、一つの理想的な社会ではある。

ただ、どこまで「同じ」なのかがよく分からない。
日本人も外国人も関係なく、同じように働いて税金を払う「同じ市民」ということならいい。

 

このブログの記事を書いているときに、「地球人」という言葉をよく目にしたけど、それは具体的にどんな人間なのかは書いていなかった。
それと疑問なんだけど、外国人も日本人がいう「地球人」になりたいと思うのだろうか?
最近では、イギリスがEUから離脱している。
あれは、イギリス人が同じヨーロッパ人になることを拒否したという見方もできる。

 

 

「日本人も外国人も同じ」ということを強調する自治体がある一方で、別の地方自治体では「互いの違いを認め合うことが大事です」と「違い」を重視している。

重要視するポイントが「同じ」でも「違い」でも、目的は同じ。
「外国人と一緒に暮らす」という共生社会の実現。

では、外国人と仲良くつき合うための「心がまえ」としては、日本人と外国人は「同じ」と考えた方がいいか?
それとも、「違う」と考えた方がいいか?

 

ボクは「外国人とは違う」と考えたほうがうまくいくと考えている。

なぜなら、外国人が日本について書いた本を読んでいると、良い意味でも悪い意味でも「日本は独特」「日本人は、変わっている」といった内容のものが多いから。

 

記事の始めにも書いたけど、「日本文明」というように1つの国で1の文明を形成しているのは世界で日本だけ。
日本人にとっては、神様も仏様も同じくらい大事。
神道というその国に固有の「民族宗教」と仏教という「世界宗教」を同時に同じくらい大事に信仰しているの日本人だけ。

 

「日本人も外国人も同じ人間としてつき合う」「民族や言葉の違いを越えて」というのはいいけど、そうしたことをするのを難しいのが日本人。
日本人の価値観や考え方は、外国人とは大きく違うのだから。

それは、「日本の常識は、世界の非常識」という言葉がよく使われていることからも分かる。

 

「日本人も外国人も同じ人間だ」と思って外国人とつき合っていると、実際に「違い」に直面したときに、ショックを受けてしまうと思う。

例えば同じアメリカ国民でも、ユダヤ人と他のアメリカ人とではこれくらい違う。

有名なユダヤ系哲学者のヤコブ・クラッツキンは次のように述べている。

「―われわれはユダヤ人たることをはばからない。アメリカに住む外国人なのであり、そうした身分を隠し続けていきたいと思う。われわれとあなた方アメリカ人との間には、大きなへだたりがある。それは橋でつなぐことができないほどかけはなれたものである。あなた方の精神はわれわれには異質であり、あなた方の神話、伝説、風俗、習慣、伝統、そして休日―これらすべて、われわれにとって異質なものである」。

「民族とは何か 山本七平」

このクラッツキンというユダヤ人はアメリカに住み、英語を話してアメリカの法律を守って生活する完全なアメリカ国民。
「あなた方の精神はわれわれには異質であり」といっても、ユダヤ教徒とキリスト教徒は、同じ聖書(旧約聖書)を聖典にしている。

 

アメリカに住んでいるアメリカ国民としては同じで、いろいろな共通点はあっても、「民族」としてはユダヤ人とアメリカ人これだけの大きな違いある。

「あなた方の神話、伝説、風俗、習慣、伝統、そして休日―これらすべて、われわれにとって異質なものである」

これは間違ったことではないし、過激なことを言っているわけでもない。

 

ユダヤ教徒・キリスト教徒・イスラーム教徒は、それぞれ「神話、伝説、風俗、習慣、伝統、そして休日」は違う。
ごくごく当たり前のこと。

そしてこれも当たり前のことだけど、日本人と外国人との違いは、このアメリカに住むユダヤ人とアメリカ人の違いよりはるかに大きい。

こういう違いを認識すると、「同じ地球市民」になるというのは、なかなか大変だ。

 

 

でも、「地球市民」や「国際人」になるには、日本人であってはいけないの?
「民族を越える」「脱日本人」とかをしないと、地球市民や地球人にはなれないの?
「日本人のままではダメ」というのなら、地球市民になりたいとは思わないけどね。

 

ボク自身は、日本人であることと地球市民や地球人であることは矛盾していないと考えている。
「脱日本人」なんてする必要がない。
「自分は、日本人であると同時に地球人でもある」と考えることは自然なことで、おかしくはない。

 

日本人が外国人と「民族の違いを越える」というのは、本当に難しいと思うよ。
どちらかが、相手の考え方や行動基準に合わせることで「違いを越えた」としたら、それは「同化」になってしまう。

その考えは、危ない。
日本には、朝鮮人を日本人と「同じ」にさせようとして、激しい反発を招いた過去があるからね。

考えすぎかもしれないけど、「みんな同じ」という考え方の延長にこうした「同化」があるんじゃないの?

「いやいや、地球市民というのは『みんな同じ人間になる』という考え方じゃない。日本人も外国人も、それぞれの違いを尊重するのが地球市民だ」

というのなら、賛成だけどね。

 

おまけ

2016年9月20日の時事通信の記事に、「安倍首相が地球市民賞を受賞した」というニュースがあった。

安倍首相に「地球市民賞」

【ニューヨーク時事】安倍晋三首相は19日、米国の有力シンクタンク、大西洋評議会から国際的に優れた功績を残したとして「地球市民賞」を授与された。

ニューヨーク市内で行われた授与式で、首相は「私がこの賞を受賞するのは日本人を代表してのものだ」と述べた。イタリアのレンツィ首相らも同時に受賞した。

「日本人の代表」として地球市民賞をもらっている。
やっぱり、日本人であると同時に地球市民であるということは、当たり前のことだね。

 

 

 

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今まで、東南アジア、中東、西アフリカに旅をしてきました。外国に行って初めて気がつく日本の良さや特長があります。以前、歴史を教えていたので、その経験もいかして、日本や世界の歴史や文化などをテーマに、「読んでタメになる」ようなブログを目指します。