「日本=ケンシロウ説」② 中国(長安)に学び、京都をつくった。

 

はじめの一言

「日本!それはヨーロッパ並びにヨーロッパ文明の支配する世界にとって日出る国である。さまざまの夢、奇蹟への期待、芸術文化と人間文化との連想がこの国に結びつけられている(ブルーノ・タウト 明治時代)」
「ニッポン 講談社学術文庫」

 

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今回の内容

・「日本=ケンシロウ説」
・「学習能力」で、京都をつくった。
・京都と洛陽

 

・「日本=ケンシロウ説」

北斗の拳のケンシロウの強さは、「学習能力」にある。

自分より強い人間と戦うという経験をくり返すことで、自分も強くなる。
ケンシロウの強さの理由はそんな「学習能力」の高さだった。

北斗神拳の奥義に「水影心(すいえいしん)」がある。
これは、一度戦った相手の技を身につけて自分のものにするというもの。
優れた学習能力をあらわしている。

 

じつは日本の「強さ」の理由もこれと同じ。

「相手の良さを身につけて、自分のものにする恐るべき学習能力」

よって、ここに「日本=ケンシロウ説」が成立する。
たぶん。

歴史上、日本の学習能力の高さをしめしたことは2つある。

1つ目は、奈良・平安時代に中国に学んで律令国家にして国を発展させたこと。
2つ目は明治時代、西洋に学んで富国強兵を成功させ、近代国家(立憲国家)にしたこと。

2つとも北斗神拳の奥義「水影心(すいえいしん)」のように、相手の良いところを自分のものにしている。

 

・「学習能力」で京都をつくった。

日本はまず、中国(隋・唐)に学んで強くなった。

この時代の日本は学生で、唐は「先生」のような存在。

唐 618~907

・隋を滅ぼして李淵(りえん)が建てた王朝。都は長安。律令制・均田制・租庸調制を確立。

・領域を拡大して東アジアに唐文化圏を形成したが、内乱の後、朱全忠(しゅぜんちゅう)に滅ぼされた。

「日本史用語集 山川出版)」

中国人に「中国の歴史で、一番好きな王朝はなに?」と聞いたとき、最も多かった答えがこの唐王朝だった。
現在の中国人からみても、唐は誇りにできる大帝国だったらしい。

 

この唐という「先生」から、進んだ文物や制度を学んで日本にもたらしたのが、遣隋使や遣唐使たち。

遣唐使

・日本から唐に派遣された正式な外交使節。
・律令国家の政治・文化の発展に大きく寄与した。

「日本史用語集 (山川出版)」

今の日本で唐の面影を感じられるところに、京都がある。
京都は、遣隋使たちが唐から持ち帰った情報をもとに、唐の都・長安をモデルにしてつくられた。

モデルというか、平安時代の日本人にしてみたら、日本に長安を再現しようとしたのではないか。

 

正門である「羅生門(らじょうもん)」やそこから始まる朱雀大路(すざくおおじ)は、そのまま長安の門や道と同じ名前だ。
「平安京」の「平安」という言葉も、「長安」という都市名を参考にしてつけられたといわれる。

つまり、世界的な観光地である京都も日本人の学習能力によってつくられた、ということ。

 

 

・京都と洛陽

京都の大学に受かったとき、合格案内に「上洛(じょうらく)のさいは」という言葉があって驚いた。
「上洛」とは「京都に行く」ということで、「洛」は「京都」のことを指している。

平安時代の日本人には、隋の都「洛陽(らくよう)」や唐の都「長安」は憧れの都で、自分たちが住んでいる京都をその名で呼ぶことがあった。

京都は、古く詩文において中国王朝の都に因み、洛陽、長安などと呼ばれた

(ウィキペディア)

「憧れの地名を、自国の領土の地名にする」というこの発想はタイにもある。
バンコクの公園や駅名にある「ルンピニー」は、シャカが生まれた「ルンビニ」という古代インドの地名からつけられている。
さすがは仏教国のタイ。

また、「アユタヤ」はインドの「アヨーディア」から名づけられた。

一般には『ラーマーヤナ』物語のラーマ王子の国、インドのアヨーディヤにあやかってアユッタヤーと名付けたと言われる

(ウィキペディア)

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タイのアユタヤ

 

長安は滅ぼされてなくなったけれど、洛陽なら今でも中国にある。
洛陽では、街のいたるところに「千年帝都」という文字を見た。

香港人と京都へ行ったとき、この文字を見て香港人が驚いていた。

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「これは、中国の洛陽のことですか?何でこんなところに洛陽の文字があるんですか?」

その香港人は、京都も洛陽も知っている。
けれど、京都と洛陽の関係が分からなくて混乱していた。

 

京都が洛陽や長安と呼ばれていても、現在の京都は中国の都市とはまったく違う。
最初は、日本に中国風の都市・長安を築こうしたのだろう。

でも、それから1300年もたった。
今では、すっかり「日本の京都」として世界に定着している。

 

長安や洛陽には、日本で生まれた神社・畳・枯山水の庭などはない。
現在の京都から上の3つがなくなったら、もうそれは京都ではない。
「畳のない京都」なんてあり得ない。

 

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それに、京都は”石”も違う。
中国の御影石と日本の御影石はかなり違うため、石畳の道をつくるにしても、どちらの石を使うかで雰囲気が変わってくるという。
やはり、京都の雰囲気には日本の御影石が合うらしい。

 

ということで、ケンシロウの強さに通じる日本人の「学習能力」が発揮された例には、長安を参考にして京都をつくったことがある。

でも、日本の国にとって大切なことは、このことより唐という国をよく学んで、日本を律令(りつりょう)国家にしたこと。

次回に、そのことを書きます。

 

 

おまけ

「京都と洛陽」について、レコードチャイナにこんな記事(2016・8・15)がある。

中国の古都・洛陽が日本でしっかりと保存されていることに中国ネットは「日本に感謝すべき」「中国の良いものはみんな破壊されてしまった」

記事は、1500年の歴史を持つ古都・洛陽は、中国では戦火や工業化などのために、今では面影がほとんど残っていないが、日本の京都には完全な形で保存されていると紹介。

平安時代に洛陽を模して造られた平安京は、現在では京都と名前を変えたものの、いたるところに「洛陽」を見ることができるとした。

このことに対する中国人の反応は、こんな感じ。

「唐と宋は日本に、明と清は韓国に、民国時代は台湾に、マルクス主義は中国に残っている」

「中国のものはみんな無くなってしまったよ。どの駅でおりてもみんな同じ光景だ」

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京都御所の清涼殿。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。