中国文化の日本文化への影響②日本風にアレンジした5つの具体例。

 

前回、中国にくわしいある大学教授のこんな言葉を紹介した。

「中国文化が日本文化に与えた影響は非常に大きく、日本文化の起源である」

これに対して、SNSでの反応はホントいろいろ。

「日本文化にオリジナルなんて何もないもんなあ」とガッカリする人がいれば、次のように中国の日本文化への影響を認める人もいた。

「古代中国には色々と世話になった」
「漢字とか食文化やら中国伝来は日本文化の礎は間違いない」
「昔の中国は尊敬に値する だが、今の中国は?」

今回はその続き。

 

 

「中国文化は日本文化の起源である」という言葉に対して、一番多かったのが「でも日本人はそれをアレンジした」「それを日本風に変えた」といったコメントだった。

たとえば、こんな感じ。

日本には独自の文化が有り確かに他国の文化も良いところは取り入れてきたがそれを上手に育み発展させている

中国文化に大きな影響受け 日本人風にアレンジしながら
大切に今も残して来たものが多くあるのは確かだな

世界で一番高性能のコンピュータや自動車を製造している国と、
コンピュータや自動車を最初に発明した国は同じか?
スポーツでもなんでも、発祥の国がいつも金メダルを独占してるか?

日本人は中国をはじめ、外国から来たものに変化を加えて日本風のものにつくり変えてしまう。

それが日本文化の特徴とくちょうだ。
そのことは、外国人の方が気づきやすいかもしれない。

韓国人の作家・呉善花さんはこう書いている。

日本の生け花、お茶、庭、盆栽などについて、そのベースが中国にあったにせよ、(中略)
それらの文化は、日本の土壌のなかで高度につきつめられ、もはやコピーを脱した独自の輝きをもって自立していることを、誰もが認めるしかないからである。

「ワサビの日本人と唐辛子の韓国人 (呉善花)」

これからこの具体例を5つ書いていきーす。

 

 

1、茶道

SNSにこんな疑問を書き込む人がいた。

日本の畳文化は中国にもあるのか?

中国に畳はないっす。
畳は日本独特の文化だから。

「畳も中国から日本へ伝わったんですよ」と言う中国人もいたけど、その人に証拠となる画像を見せてもらったら、それは畳ではなくゴザのような敷物。
とても畳とはいえない。

そもそも中国は畳文化ではなくて、イス文化の国。
唐の時代に北方民族の影響でそうなったという。

 

 

「日本で畳が生まれた」というのは大事なこと。

日本の茶道は畳なしでは成立しない。
つまりお茶(喫茶)は中国から来たけれど、茶道は日本で生まれた日本文化ということになる。

日本でお茶が広く飲まれるようになったのは、鎌倉時代のころ。

平安時代にもお茶はあったけれど、広く人々に飲まれてはいなかった。
日本でお茶を飲む習慣が定着したのは、栄西(えいさい)の活躍のおかげだ。

いってみたら、栄西は「お茶の伝道師」のような人。

栄西

1168・87年の2回入宋して臨済宗を伝えた。旧仏教の攻撃に対しては「興禅護国論」をもって反論。

鎌倉に寿福寺、京都に建仁寺を開く。中国から茶をもたらし「喫茶養生記」も著した。

「日本史用語集 山川出版」

中国から伝わった喫茶の文化と日本の畳が融合して、茶道という日本文化が生まれた。

 

栄西がとなえたお茶の効果
お茶を飲めば、「悪魔降伏」もできるらしい。笑。

 

2、扇子(せんす)

中国文化に大きな影響を受け、日本人がアレンジしたものに扇子(せんす)がある。

日本人は中国から来た団扇(うつわ)を日本に合ったものにつくり変えて、扇子をつくり出した。
そのことについて、日本と中国の文化にくわしい作家の陳舜臣氏がこう書いている。

夏になると団扇でバタバタやっていたのを、折り畳み式の扇子で懐にはいるように改造したのも日本人である。平安時代から、扇子は日本から中国への重要輸出品だったのである。

「日本的 中国的 (陳舜臣)」

 

3、着物

着物もそう。
中国から取り入れた着物は、その後日本人の好みに合うように変化が加えられていく。
着物の「日本化」がはじまった。

そのことは特に「帯」にあらわれている。

日本のキモノも、中国の古制とはいうものの、そのとおりではなく、やはり日本ふうにアレンジして保存されたのだ。とくに帯などは、まったく別物になってしまっている。

「日本的 中国的 (陳舜臣)」

ここでいう「アレンジ」というのが「日本風に変化させた」ということ。

着物の帯が今のようにハデで大きくなったのは、江戸時代になってから。

江戸時代には、「平和な時代が長期に渡り、また華美を競う風潮と相まって女性の帯は時代が下がるごとに長大化が進んだ(ウィキペディア)」ということらしい。

 

 

4、鯉のぼり

中国にはこんな言い伝えがある。

黄河には「龍門」とよばれる急流(滝)があって、その龍門を登りきることができたこいは龍になるという。

「鯉が龍になる」という話から、人が出世するための関門を「登竜門」と呼ぶようになった。
これは「後漢書」李膺(りよう)伝の故事による。

ちなみに、登竜門の話は韓国人も知っている。
ハングル文字だと등용문で、「トゥンヨンムン 」と言う。

 

中国のお寺にある龍門

 

鯉が龍門をこえると龍になる。

 

 

鯉が龍になるように、親が自分の子どもの成功や健康を願って日本の鯉のぼりが生まれた。
日本にいた中国人や香港人は、これに驚いていた。

「龍門の話は知ってましたけど、龍門が鯉のぼりの元になっているとは知りませんでした」

そんなことを言う。

 

 

5、金閣寺

ハッキリ言おう。
これはムリヤリ付け足したもの。
具体例が4で終わると縁起が悪いから、強引にもう一つ金閣寺を加えただけっす。

この金閣寺は英語で言うと「ゴールデンテンプル」。
日本のお寺は「わびさび」という日本人の美意識を反映した落ち着いたものが多い。

でも、金閣寺は明らかに違う。
外国人が好きそうなピッカピカでハデ。

なんで足利義満は金箔をはったのか?

NHKの「歴史秘話ヒストリア」によると、その理由は「ここは中国人を迎えた迎賓館だったから」ということらしい。

室町幕府3代将軍足利義満が築いた北山山荘。その遺構「金閣」が黄金に輝くのは、義満がここを迎賓館として、中国・明の使節を招くためだった!?

切り札は金閣!最強将軍の秘策

義満は中国(明)からの使者をここに迎えていた。
そして、自分が「日本の支配者」であることを使者にアピールするために、義満はこの建物を金箔でおおったという。
そのおかげか、明は義満に日本国王の称号をあたえ、義満は日明貿易で大もうけすることができましたとさ。

金閣寺の「金の理由」には、中国人の影響がある。

 

ラーメンと餃子も日本風にアレンジされている。
中国のものとは別物。

 

おまけ

前回も書いたけど、これは日中国交正常化45周年のロゴマーク。

なんでこれが日本と中国の友好をしめしているのかわかりますか?

日中交流の基本は「心(ハート)」。
それで、China-Japanの頭文字「CとJ」を組み合わせて、このハートを(心)を形作っているとか。

くわしくは外務省のホームページをどうぞ。

ロゴマーク(CJハート)について

 

実は、今年2017年は日本とタイが正式な外交関係を結んでから130周年でもある。
これがそのロゴマーク。
わかりやすさでいったらこっちかな?

おまけのおまけ

平遥古城
中国らしくて好きなところ

 

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今まで、東南アジア、中東、西アフリカに旅をしてきました。外国に行って初めて気がつく日本の良さや特長があります。以前、歴史を教えていたので、その経験もいかして、日本や世界の歴史や文化などをテーマに、「読んでタメになる」ようなブログを目指します。