ナチス政権下のユダヤ人② ~「アンネの日記」から~


 

「アンネ・フランク (画像は、「meigen-ijin.com」より)」

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アンネ・フランクが住んでいたオランダのアムステルダムでは、ユダヤ人を見つけては、収容所に送るという「ユダヤ人狩り」が行われていた。
収容所に送られたら、ほぼ間違いなくそこで殺される。

 

そのため、アンネはゲシュタポ(ナチスの秘密警察)に見つからないように、家族と一緒に隠れ家に住んでいた。
しかし、不幸にもゲシュタポに見つかってしまったユダヤ人も多くいた。
アンネの日記には、こんな記述がある。

 

きょうは、悲しく憂鬱なニュースばかりです。たくさんのユダヤ人のお友達が、いっぺんに十人、十五人と検束されています。
この人たちは、ナチス秘密警察(ゲシュタポ)からこれっぽちの人間らしい扱いも受けず、家畜を運ぶトラックに詰めこまれて、ドレンデにあるオランダ最大のユダヤ人収容所、ウェステルボルグに送られてゆきます
(アンネの日記 完全版 文春文庫)

 

 

とはいえ、日記には、思春期の女の子らしい内容もある。

 

昨日の日づけを覚えていてください。わたしの一生の、とても重要な日ですから。もちろん、どんな女の子にとっても、はじめてキスをされた日と言えば、記念すべき日でしょう?(同書)


これを読む限りでは、今の日本の女子中学生と変わらないごく普通の女の子だ。

 

ときには、腹を立てたり笑顔ですごしたりするような日々をおくっていたけど、「ゲシュタポに見つかって、収容所に送られたら殺されてしまうかもしれない」という不安から逃れることはできなかった。

 

わたしたちの推測では、ほとんどの人が虐殺されていると思われます。イギリスのラジオでは、みんな毒ガスで殺されていると言っています。あるいはそれが、いちばんてっとりばやい死に方かもしれません。わたしは恐怖に打ちのめされています

(同書)

 

 

こうした恐怖や緊張感をかかえた生活を、こう記している。

いつも喉もとにナイフをつきつけられて暮らしてきました(同書)

 

アンネには、別の不安もあった。

もし、アンネたちが見つかったら、自分たちだけではなくアンネたちをかくまった善良な人々たちも捕まってしまう。
その後には、殺される可能性も十分ある。

 

このことも、アンネを悩ませていた。
こんな苦しい潜伏生活をしないで、いっそのこと死んでいたら良かったとも思うこともあったらしい。

 

そのときはこういうみじめさも味わわずにすんだはずですし、とりわけ、ほかの人たちまでも危険に巻きこむことはなかったでしょう(同書)

これは、中学生の女の子が背負うには大きすぎる悩みだ。

 

家の外に出ることもできない生活のため、自然と自分と向き合う時間も長くなる。 1944年4月11日の日記では、こんなことを書いている。

 

自分が何をもとめているかも知っていますし、目標も、自分なりの意見も、信仰も、愛も持っています。わたしがわたしとして生きることを許してほしい。そうすれば満足して生きられます。わたしには自分がひとりの女性だとわかっています。

しんの強さとあふれるほどの勇気とを持った、一個のおとなの女性だと。もしも、神様の思し召しで生きることが許されるなら、わたしはおかあさんよりりっぱな生きかたをしてみせます。つまらない人間で一生を終わりはしません。きっと世のなかのため、人類のために働いてみせます
(同書)

 

 

でも、この日記を書いた日から4ヵ月後の8月4日に、アンネたちはゲシュタポに見つかってしまう。

その後、アンネはベルゲン=ベルゼン強制収容所に送られた。
そして、そこでチフスによって亡くなっている。
アンネが15歳のときだった。


今の日本人なら、これから青春を迎えるというときだろう。
それは、1945年の2月か3月のことで、アンネの死体は収容所の死体投棄穴に埋められたという。

アンネだけではなく、その当時のナチス政権下のヨーロッパでは、すべてのユダヤ人たちが「いつも喉もとにナイフをつきつけられて暮らして」いたのだと思う。

 

追記

前回の記事の冒頭で、ヒトラーは「最後に自殺した」と書いた。
しかしその2日前に、ヒトラーはそれまで愛人だったエヴァという女性と結婚している。

 

ヒトラーに最後まで忠実につかえたエヴァは、ベルリン陥落で死を決意したヒトラーと正式に結婚し、二日後、ともに自殺した
(人名の世界地図 文春新書)

 

ユダヤ人、障害者、ロマ人、ロシア人など数えられないくらいの人間を殺し、現在では悪魔の代名詞にもなっているヒトラーだけど、死の直前に望んだことは、エヴァと一緒になることだった。

ただこの結婚は、あまり祝福できない。

 

人類の歴史上、最悪の強制収容所をつくったのはドイツだけど、強制収容所を「発明した」のはイギリスだった。


これは、1899年の南アフリカ戦争(または、ボーア戦争:南アフリカの植民地化をめぐるブール人とイギリスとの戦争)のときに、イギリスがブール人に対してつくったものがその始まりになる。

 

この戦争中、ブール人のゲリラ作戦に悩まされたイギリスが、抵抗するブール人を一か所に集めて住ませるための「強制収容所」をつくっている。

 

じつはナチスの強制収容所というのは、このボーア戦争の収容所をヒントに作られています(新・世界地図 福田和也)

 

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投稿者: kokontouzai

今まで、東南アジア、中東、西アフリカに旅をしてきました。外国に行って初めて気がつく日本の良さや特長があります。以前、歴史を教えていたので、その経験もいかして、日本や世界の歴史や文化などをテーマに、「読んでタメになる」ようなブログを目指します。

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