韓国の女性教育/女子大学、日本植民地時代に新しい時代を開く。

 

前回、韓国の名門女子大学「梨花(イファ)女子大学校」のことを書いた。

とはいっても、内容はこの大学そのものじゃない。
この大学に来て、やりたい放題していたスーパーフリーな中国人観光客について。
中国人観光客のあまりのマナーの悪さに大学が困り怒った、というもの。

今回はこの梨花女子大学を通じて、日本の植民時代に新しい時代を開いた韓国の女性教育について書いていきたいと思う。

 

梨花女子大学校

 

梨花(イファ)女子大学の始まりは、1886年に開かれた「梨花学堂」にある。
この「梨花学堂」をつくったのは、メアリー・F・スクラントンというアメリカ人の宣教師だ。
自宅を開放して生徒に教える塾のようなものだったらしい。

 

ちなみに、日本では1886年にノルマントン号事件が起きている。
沈没した船のイギリス人船長が日本人を助けなかった。
これに日本中が激怒した事件。

前年の1885年には、伊藤博文が初代の内閣総理大臣になった。
翌年1887年には東京に電灯がつく。

韓国で近代的な女性教育がはじまったのは、そんな時代。
梨花学堂の教育理念は、「韓国人をもっとすばらしい韓国人にしたい」だとか。

 

 

梨花(イファ)女子大学が大きく変わったのは、1910年のとき。

大学のホームページ(学校の歴史)には、「1910 大学科を設置、女性高等教育の新しい時代を開く」と書いてある。

さらに1925年になると、梨花女子専門学校が設立される。

「韓国の女性が専門教育を受けられる最初の女性最高学部が誕生しました」ということだから、韓国の女性教育にとって画期的なことだ。

この1910年~1925年の「最初の女性高等教育の扉を開いた時代」というのが、そのまま日本の植民地時代と重なる。

 

 

梨花(イファ)女子大学が「大学科を設置、女性高等教育の新しい時代を開」いた1910年は、日本による植民地支配がはじまった年でもある。

学校で「韓国併合」や「日韓併合」で習いましたね。

韓国併合

1910年8月の韓国併合条約で韓国を植民地とした。1909年の伊藤博文暗殺、韓国首相李完用(りかんよう)襲撃事件が契機となる。

「日本史用語集 山川出版」

伊藤博文を暗殺したのが安重根(あんじゅうこん)という人物。
安重根は、「韓国を日本の植民地にさせたくない」と思って伊藤博文を射殺したのだけど、皮肉なことに、この事件が韓国が植民地になる決定的なきっかけとなった。

 

これは2010年にソウルで撮ったバス停。
ちょうど韓国併合から100年だった。

 

「韓国併合」や「日韓併合」のことを、韓国では「韓日強制併合」と呼んでいる。
この「強制」というのは、韓国人の気持ちのこと。

韓国併合は当時の国際社会で認められていて、不当なものではない。

このことは、別の記事でくわしく書くつもりだけど、ここでも簡単に書かせてほしい。

日本による韓国併合は、国際的には問題視されなかった。
その理由の1つに、ポーツマス条約がある。
1905年に日露戦争の講和条約として、アメリカのポーツマスで結ばれた日本とロシアの講和条約。

こんな内容でしたね。

ポーツマス条約

合衆国ポーツマスで1905年に調印された日露戦争の講和条約。全権代表は、日本が小村寿太郎、ロシアがウィッテ。日本は韓国の指導権・監督権を認めさせ、遼東半島の租借権、南満州鉄道および付属地の租借権、樺太の南半分を獲得したが、賠償金を獲得することはできなかった。

「世界史用語集 (山川出版)」

日露戦争で活躍した乃木希典(のぎまれすけ)。
乃木坂46の「乃木」も、元をたどるとこの人物に由来する。

 

上の説明に「日本は韓国の指導権・監督権を認めさせ」と書いてある。

この時代、日本が韓国を指導(というか支配)することは、世界が認めていた。
だから、1910年に韓国を併合しても、これを不当だと主張した国はいなかった。

力の強い国が弱い国を支配することは、この時代の欧米列強がよくやっていたこと。

日本の韓国支配を国際社会が認めていたことについて知りたかったら、桂・タフト協定ハーグ密使事件を見てほしい。

 

 

もちろん2017年の今では、「韓国併合」のようなことは許されない。
今の価値観からしたら「悪」。

国を奪われてしまった韓国としては、「強制」という言葉をつけたくなる気持ちも分かる。
でも、くり返しになるけど、韓国併合は当時の世界では問題視されてはいない。

韓国を旅行していると、日本にかかわるものには「強制」という言葉がついているのを見る。
日本人としては、下を向きたくなってしまうかもしれない。
歴史を知ることは大事。
だけど、罪悪感を感じる必要はない。

 

韓国を旅行していて、「韓国に来ていろいろなものを見て、後ろめたさを感じた」という日本人に何人か会ったことがある。
でも、そうした人は、現代の感覚で当時のできごとをとらえていた。
さらに言えば、歴史を知らない。
歴史の知識がないから、「強制」という言葉だけでやられてしまう。

日本が植民地時代に、朝鮮半島の人たちに苦しい思いをさせたことはたしか。
でも、現代の常識や価値観で、1910年のできごとを道徳的に判断することは無意味。

 

 

はい、「簡単に書かせてほしい」なんて書いておいて、長くなってしまいましたね。
話を韓国の女性教育に戻しまっせ。

とにかく、韓国で「最初の女性高等教育の扉を開いた時代(1910~1925)」は、まさに日本による植民地支配がはじまった時代でもある。

1910年に梨花が大学科を設置し、1925年に梨花学堂の大学科が梨花女子専門学校に昇格したのも、日本がそれを承認したからだ。

日本では、1901年(明治34年)に日本女子大学校がつくられている。
日本での女性教育の流れにそって、韓国でも女性教育が進んでいった。
おそらくそういうことだろう。

梨花女子大学のホームページには、一言も書いてないけれど。

 

 

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今まで、東南アジア、中東、西アフリカに旅をしてきました。外国に行って初めて気がつく日本の良さや特長があります。以前、歴史を教えていたので、その経験もいかして、日本や世界の歴史や文化などをテーマに、「読んでタメになる」ようなブログを目指します。