イスラム教徒VSヒンドゥー教徒!タージマハルを巡る争い。

 

インドにはタージマハルがある。

こいつ。

 

タージマハルはお墓。
たぶん、世界でもっとも有名な墓。

タージマハルは17世紀のムガル帝国時代に建てられた。
時の皇帝シャー・ジャハーンが、亡くなった妻ムムターズマハルをしのんで、この巨大な墓をつくることを決めた。
インド有数の観光地で、今では世界中の観光客がここを訪れる。
その数は1日に1万人を超えるとか。

 

タージマハルはインド初の世界遺産として、1983年に登録されている。
このとき同時に登録されたのは、以下の3点。

・アジャンター石窟群
・エローラ石窟群
・アーグラ城塞

 

エローラ石窟群

 

タージマハルには、はかり知れない価値と世界的な知名度がある。
そして他民族国家のインドには、いろいろな考え方がある。

ということで、タージマハルについても様々な見方がある。

今までにインド人からこんな話を聞いた。

あるイスラーム教徒のインド人はこう言う。
「タージマハルはイスラーム教徒のものだ。イスラームの王がつくった墓なのだから」

でも、あるヒンドゥー教徒のインド人はこう言う。
「あれはヒンドゥー教徒のものだ。イスラーム教徒は何もしてない。実際にあれをつくったのはヒンドゥー教徒じゃないか」

別のインド人はこう言う。
「あれはインドの宝。インドにあればイスラーム教もヒンドゥー教も関係ない。すべてインド人のもの」

まあ、好きなように言ってくれ。

 

アジャンター石窟群

 

「タージマハルは、イスラーム教徒のものだ!」
「いや、ヒンドゥー教徒のものだ!」

インドにそんな意見があることは知っていた。

でも驚いたのは、「そもそも、タージマハルはイスラーム教徒の墓ではなくてヒンドゥー教の寺院だった」と主張するインド人がいること。

これはかなり本格的な論争になる。

しまいには、「タージマハルはヒンドゥー教徒のものであるはずだ!」と裁判に訴える人が出るほど。
しかも、これを訴えたのは弁護士だ。
イギリスBBCの記事(2015年12月1日)から。

タージマハルがあるインド北部アグラの弁護士6人が昨年、建物はヒンズー教徒に引き渡されるべきだと裁判所に提訴している。弁護士らはタージマハルが本来、ヒンズー教のシバ神に捧げられたものだという「かなりの証拠」があると主張している。

タージマハルはヒンズー寺院ではない=インド政府

インドの文化・観光相は、「タージマハルがヒンドゥ―寺院だという証拠は見つからなかった」と正式にこの説を否定する。

「そりゃ、当たり前だろ」と思ってしまうけれど、インドには本当にいろいろな人がいる。

 

ヒンドゥー教の最高神・シヴァ

 

 

昔は、「タージマハルをつくったのはヨーロッパ人だ」という説もあった。

19世紀に「密林の中に発見した」タージ・マハルは、イギリス人にとって驚きのものだった。未開の地にある荘厳な建造物に、やがてヨーロッパ人の関与があったという発想に至った。

「ウィキペディア」

それをイギリス人に話すと、彼女はあきれた様子でこう言う。

「ユーロ・セントリズム(ヨーロッパ中心主義)ね。ヨーロッパ人は、エラそうな考え方を持っていたのよ」

ま、それを日露戦争の勝利で、日本が壊しちゃいましたけどね。

 

 

インドのタージマハルをめぐる論争は今もある。

今週発売の「週刊エコノミスト」にも、そんな記事がある。

「タージマハル巡り論争 背景にヒンズー至上主義」

 

タージマハルがあるUP(ウッタルプラデシュ州)の政府がつくった観光パンフレットに、タージマハルが入っていなかった。

パンフレットには、ヒンドゥー教の聖地ヴァラナシはある。
ほかの観光名所ものっている。
でも、インドを代表する観光名所タージマハルが掲載されていなかった。

これを野党が怒った。

「ヒンズー至上主義的傾向が強い州政府がイスラム教建築のタージマハルを差別した結果だと批判している。(週刊エコノミスト)」

 

ヒンズー至上主義者からしたら、インドの外からやって来たイスラーム教徒は「インドの侵略者」になる。

タージマハルはその侵略者による建物だから、ヒンズー至上主義者はあまり良い気がしない。
それで、「タージマハルを観光パンフレットにわざと載せなかった。これはイスラーム教への差別だ」という見方が出てきて、論争になる。

これも当事者が納得するまで論争してほしい。

他民族国家インドはやっぱり大変だ。

 

アーグラ城

 

タージマハルというと、これを建てた皇帝シャージャハーンが息子のアウラングゼーブに捕らえられ、アーグラ城に幽閉されたことも有名だ。

彼は父をアーグラ城塞内に幽閉した。幽閉されたままのシャー・ジャハーンは1666年1月22日に亡くなった。

(ウィキペディア)

ある旅行サイトにはこう書いてある。

結局皇帝は塔の中から7年間タージマハールを眺め、その生涯を閉じた。運命とは実に皮肉で残酷である。

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アーグラ城から見るタージマハル。
ここからタージマハルを見ては、亡き妻と囚われの身となった自分を思って涙を流していたのだろう・・・。

 

なんてね。

でも、この時代のインドでアウラングゼーブと行動を共にした人の記録では、あまりロマンティックな話でもない。

アウラングゼーブがアーグラの城塞で、これ以上は考えられぬほど慎重かつ厳重に、シャー・ジャハーンを監視させていたのは事実だが、シャー・ジャハーンが相変わらず、ベーガム・サーヒブおよび妻たち全部、それに歌姫、舞姫、料理女などと一緒に、もとの居室で暮らすのを、特に妨げなかったことである。
この方面では、シャー・ジャハーンは何一つ不自由しなかった。

「ムガル帝国誌 ベルニエ(岩波文庫)」

シャージャハーンは女性の面では、「何一つ不自由しなかった」らしい。

さらに、シャージャハーンは自分の好きなことは、わりと自由にできていた。

好きな時に、式典用の馬や、闘争用に仕込まれた羚羊や、各種の狩猟鳥、その他さまざまの珍しい動物を連れて来させ、昔通りの気晴らしをすることができるのだった。

囚われの身とはいえ、手に負えぬほどの気位の高さと、とげとげしさは、相変わらずで、何事につけ、頑として意志を曲げなかった

「ムガル帝国誌 ベルニエ(岩波文庫)」

観光客を感動させる「皇帝の愛の物語」は、ちょっと疑って聞いたほうがいい。
けど、タージマハルは見に行く価値はじゅうぶんだ。

 

 

インド北部

たぶんヒマラヤ山脈の一部だと思う。
このへんはヒンドゥー教の影響を感じなかった。

 

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今まで、東南アジア、中東、西アフリカに旅をしてきました。外国に行って初めて気がつく日本の良さや特長があります。以前、歴史を教えていたので、その経験もいかして、日本や世界の歴史や文化などをテーマに、「読んでタメになる」ようなブログを目指します。