19世紀の明治日本と21世紀の韓国。外国人用の”ぼったくり対策”。

 

まずはクエスチョン。

日本が開国したのは何年でしょう?

 

 

答えは、1854年。

1853年にアメリカ人のペリーが日本にやってきて、「国を開けろ~」と言ってきた。

「イヤでゴザんす、ペリーさん」で、1853年をおぼえた人もいると思う。

そして翌年1854年に、日本は「日米和親条約」を結んで開国に踏みきる。
この条約によって下田や箱館の開港し、日本は多くの外国人を受け入れることになる。

 

明治時代になると、イザベラ・バードというイギリス人女性が日本にやってくる。

 

イザベラ・バード(1831年 – 1904年)
この人は多才。
「19世紀の大英帝国の旅行家、探検家、紀行作家、写真家、ナチュラリスト(ウィキペディア)」という。

 

イザベラ・バードが来日したのは1878年(明治11年)のとき。

日本では1876年 に廃刀令が出され、 1877年には西郷隆盛による西南戦争が起きている。
だからバードが来たときには、日本から武士が完全にいなくなっていた。

ちなみにこの1878年から、「旅券(パスポート)」という言葉が使われるようになった。
外務省ホームページから。

1878年(明治11年)2月20日に「海外旅券規則」が外務省布達第1号として制定され、「旅券」という言葉が初めて法令上使われました。これを記念して生まれた「旅券の日」、あなたも大切なパスポートを確認する日にしてみてください。

2月20日は旅券の日

このときには、多くの日本人が外国に行っていたことが分かる。
鎖国も武士も江戸時代も、完全に過去のものになった。

どうでもいいことだけど、1878年に東京で竹馬の使用が禁止されている。
東京で竹馬を使っていると、どんな不都合があったんだろう?

 

 

イザベラ・バードは船で日本にやってきて、横浜港から上陸した。

そのときの日本の第一印象をこう書いている。

わたしの受けた第一印象は、この国はよく統一されているというものです。上陸したとたん、サンパンや人力車の料金表、掲示板の広告文(中略)それにこれも言わなければならないでしょうか。ぼられることがまるでないのです!

「イザベラ・バードの日本紀行  (講談社学術文庫) 」

「サンパン」は小さな木造船で、荷物や人を運んでいた。
今でも、中国では水上タクシーとして使われている。

 

サンパン(ウィキペディアから)

 

明治の日本にやってきたイザベラ・バードは、日本政府か横浜の役所がつくった料金表のおかげで、ぼられずにすんだ。

こんなことを書いたのも、下の中央日報の記事(2017年11月02日)を読んだから。

価格もインターネットに公示させて料金を高くできないようにする環境も作った

「平昌オリンピック開催準備完了…ぼったくり料金ないようインターネットに公示」

もうすぐ、韓国の平昌でオリンピックが開かれる。
オリンピック開催を前にして、韓国では、ホテルの「ぼったくり料金」が問題になっている。
ふだんの10倍近くも値上げするようなひどいホテルもある。

それで韓国はぼったくり対策として、インターネットに適正料金をしめすことにしたという。
韓国政府かこの地域の役所がこれを公示している。

 

外国人のための「ぼったくり対策」としては、イザベラ・バードが見た明治の日本と同じだ。
19世紀の日本は紙に墨で書いた料金表を公示して、21世紀の韓国はインターネットで公示している。

あとは、韓国に来た外国人が「ぼられることがまるでないのです!」と、ネットに書きこんでくるかどうか?

 

 

おまけ

イザベラ・バードは韓国(朝鮮)にも旅行した。
その旅行記には、日本と韓国についてこんな記述がある。

一八九四年七月、大鳥氏は官報を鮮明な活版印刷で発行するという有益な刷新を行った。そして翌年一月には漢字と〔無知な者の文字〕とされていた文〔ハングル〕の混合体が官報に用いられ、一般庶民にも読めるようになった。

21世紀の日本の感覚から、ハングルを「無知な者の文字」と書いていることを「ひどい!」と思わないように。
ハングル文字を制定した朝鮮国王「世宗(セジョン:1397年 -1450年)」も、こと同じようなことを言っている。

「大鳥」とは、大鳥圭介(おおとり・けいすけ)のこと。
江戸・明治時代の洋学者、軍人だった人。

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。