ロシア革命から100年!で、社会主義は人間を幸せにしたの?

 

今から100年前、1917年にロシアで革命があった。

今年2017年はその100周年という記念の年だから、ロシア革命をふり返る動きがいろいろとある。

「100年 ロシア革命」と入力して検索すると、こんな画面が出てきた。

 

そういうことで、今回はロシア革命と社会主義ってやつを書いていこうと思う。

 

現在のロシア

 

ロシア革命のきっかけは、日露戦争中の1905年におきた「血の日曜日事件」だ。

血の日曜日

1905年1月22日(ロシア暦9日)の日曜日にロシアの首都ペテルブルグで起きた労働者虐殺事件。労働者とその家族が僧ガポンに率いられて冬宮(とうきゅう)に向かって請願行進中、軍隊の発砲を受けて二千人以上の死傷者を出し、第一次ロシア革命の発端となった。

「デジタル大辞泉の解説」

軍隊による襲撃を描いた絵画(ウィキペディアから)

 

これが1917年のロシア革命につながる。
ロシア革命は、2月革命と10月革命からなる。

・1917年2月、ロマノフ王朝を滅亡させた(2月革命)。
・1917年10月、レーニンが人類史上初となる社会主義政権を成立させた(10月革命)。

「社会主義」とはこんな意味。

生産手段の社会的共有・管理によって平等な社会を実現しようとする思想・運動。空想的社会主義・共産主義・社会民主主義など。

「デジタル大辞泉」

社会主義を説明するのはむずかしいけれど、「金持ちも貧しい人もいない、だれもが平等な社会」とイメージしてまちがいない。

中国人は日本の社会を見て、「日本は中国より進んだ社会主義の国ですよ」と言っていた。
国民全体がそこそこ豊かで、中国よりも貧富の差がなく、平等がいきわたっているから。

 

 

今のロシア人は、100年前のロシア革命をどう考えているのか?

韓国の東亜日報にこう書いてある。
*「あの日」とは、社会主義政権がつくられた11月7日のこと。

世界を揺さぶった「あの日」を記念するのに、肝心の革命の発祥地は冷淡だった。ロシア大統領宮の報道官は外国メディアに対して、「なぜ私たちが、この日を祝わなければならないだろうか?」と反問した。

色あせたロシア革命100年

今のロシア政府は、100年のロシア革命をまったく認めていない。

もちろん、「あの革命は良かった」というロシア人もいるとは思う。

でも、世界の多くの人たちも、ロシア革命を肯定的に考えていないだろう。
社会主義という「まちがいの始まり」と、とらえていると思う。

 

かつて社会主義は、資本主義と世界を二分するほどの勢力をもっていた。
それだけの魅力があったことはたしかだけど、結局人類が選んだのは資本主義だ。
社会主義国家を生んだロシアでさえ、社会主義を否定して、今では資本主義の国になっている。

 

 

それに社会主義の考え方は、あまりに多くの人間を殺してしまった。

毎日新聞の社説(2017年11月6日)に、社会主義がもたらした負の面が書いてある。

一方で、スターリンの大粛清に見られるように、共産党の一党独裁体制による市民社会の弾圧という負の側面も大きかった。中国やカンボジアなど各地に広がった社会主義国でも、虐殺や人民弾圧という共通現象を生み出した。

民衆の解放という理念を説きながら、暴力で民衆を弾圧するという矛盾を抱えていたのが社会主義の限界だったのではないか。

ロシア革命から100年 強権統治という負の遺産

東亜日報も、社会主義国家・ソ連を「皆の貧困と不幸」「残酷な権力闘争」「恐怖と暴力の政治」と表現している。

「だれもが平等な社会を実現する」という社会主義の考え方はとてもすばらしかったのだけど、人間がそれを実現することはできなかった。

 

 

毎日新聞の社説に「スターリンの大粛清」という言葉があった。
共産党の党員から民衆が犠牲になったこの大粛清はすさまじい。

大粛清

ロシア連邦国立文書館にある統計資料によれば、最盛期であった1937年から1938年までに、134万4923人が即決裁判で有罪に処され、半数強の68万1692人が死刑判決を受け、63万4820人が強制収容所や刑務所へ送られた

大粛清による死亡者の総数には50万人説から700万人説に至るまで諸説あり、長きにわたり論争になっている。

「ウィキペディア」

犠牲者数が700万人となると、これはポルポトやヒトラーの虐殺をも上回ってしまう。

この粛清は、ソ連につくられた強制収容所でおこなわれていた。

強制収容所

政治的理由から形式的な裁判で、あるいは裁判なしで、強制的に市民を収容する施設。ソ連では1930年代の「粛清」の時代に多くの人々が収容された。

「世界史用語集 (山川出版)」

ここに入れられたら、人間でいることをあきらめなければいけなかった。

囚人たちはあまりに飢えていたので、ザロースシィ鉱泉地では馬の死体を食べてしまったが、それは六月の暑さのなかに一週間も放置されて、悪習を放ち、蠅とうじがうようよとかっているものであった。

「収容所群島 (ソルジェニーツィン)」

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ポル・ポト政権による虐殺現場(カンボジアのキリングフィールド)

この人たちも社会主義という思想の犠牲者だ。

1970年代のポル・ポト政権時代、160万を超える人たちが殺されたといわれている。

 

ポル・ポト
画像と下の言葉は「NHK 映像の世紀 第10集」のキャプチャー

 

ポル・ポトは子どもたちに、こんなスローガンをかかげていた。

我々は独自の世界を建設している。
新しい理想郷を建設するのである。
したがって伝統的な形をとる学校も病院もいらない。貨幣もいらない。
たとえ親であっても、社会の毒と思えばほほえんで殺せ。

今住んでいるのは新しい故郷なのである。
我々はこれより過去を切り捨てる。
泣いてはいけない。泣くのは今の生活を嫌がっているからだ。
笑ってはいけない。笑うのは昔の生活を懐かしんでいるからだ。

トゥールレイン刑務所
ポル・ポト政権にとって「危険」と考えられた人間を収容していた。

 

世界初の社会主義国家を誕生させたロシア革命から、今年で100年。
100年たって分かったことは、「社会主義という考え方は、人間を幸せにすることはできなかった」ということだ。

 

世界的に有名なロシア土産「マトリョーシカ」。

このマトリョーシカの起源は日本だという説がある。

日本ユーラシア協会北海道連合会のホームページにこう書いてある。

マトリョーシカはロシアの伝統的な人形と思われがちですが、そのルーツは日本です。19世紀末、東京にあったロシア大使館の別荘が箱根にあり、日本の入れ子人形をお土産に持ち帰ったことが縁ともいわれています。

「マトリョーシカの由来」

起源が日本だったとしても、マトリョーシカはロシアのものだ。
起源を主張するのはあまり良いことではない。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。