韓国の独立門。中国への従属、日本からの「プレゼント」。 

 

今年2017年は、ロシア革命(1917年)からちょうど100年になる。
幕末の大政奉還(1867年)からは150年だ。

そして、韓国にとっては独立門がつくられてから120年になる。

そういうことで、韓国メディア「ニュースティーチャー」にこんな記事(2017.11.28)があった。
*日本語は機械翻訳したものに修正を加えている。

[뉴스 속의 한국사] 독립문, 사대주의 상징 헐고 佛 개선문 본떠 만들었죠

「独立門、事大主義の象徴を壊してフランスの凱旋門をまねてつくりました」

 

韓国の独立門

 

記事の内容はざっとこんなものだ。

独立門は韓国で初めての西洋式建築物。
韓国の自主独立の精神を広く知らせようとしてつくられた。

独立門はもともと「迎恩門」と呼ばれていた。
これは明(中国)の使節が「迎恩門」と名づけるように要求したためだ。

そして、中国から来た使者が泊まる建物を「慕華館」といった。
慕華とは「中国を慕(した)う」という意味。
迎恩門の「迎恩」は恩恵をほどこした中国の使節を迎えるという意味。

この迎恩門と慕華館は、朝鮮の事大主義の象徴であった。

じだいしゅぎ【事大主義】

勢力の強い者に追随して自己保身を図る態度・傾向。朝鮮史では朝鮮王朝のとった対中国従属政策をいう。 → 事大党

「大辞林 第三版の解説」

「事大主義」という言葉には、「中国への従属」という意味がある。
だから、今の韓国はこの言葉を嫌う。

 

でも、1895年に日清戦争で日本が勝った。
このことによって、朝鮮は清から独立することができた。

それで、朝鮮が自主独立国家であることを広く知らせる必要が出てくる。
そこで事大主義の象徴だった迎恩門を壊して「独立門」とし、慕華館を「独立館」と改名した。

これらは、脱中国、朝鮮の自主独立を象徴するものだ。

 

手前の門が1897年につくられた独立門。
左には柱だけが残された迎恩門がある。
中央の建物が「独立館」に改名された慕華館。
「ウィキペディアから」

 

「事大主義」は、大国である中国の隣で生き続けるために必要な考え方であり、知恵でもあった。

韓国人が書いた本にはこうある。

朝鮮の国王は、中国の天子=皇帝にたいし、「小を以て大に事える」の礼をとることによって、大国の脅威から小国の安全を保つことができた。つまり夜郎自大な態度をつつしみ、大国にたいする小国の礼を堅持したのである。

「朝鮮儒教の二千年(姜 在彦)」

「小を以て大に事(つか)える」が事大主義のこと。

朝鮮が中国にたいして「小を以て大に事える」の礼をとっていたことから、朝鮮は「東方礼儀の国」とも呼ばれていた。

 

 

以下、独立門ができる前後の歴史を書いていきたい。

この当時、朝鮮を動かしていた実力者に大院君という人物がいた。

だいいんくん【大院君】[1820~1898]

朝鮮李朝末の王族・政治家。李太王の父。
李太王初期に権力を握ったが、極端な排外鎖国政策と天主教迫害で外国の干渉を受け、また皇后閔妃(びんひ)一派と争って敗れ、失脚した。

「デジタル大辞泉の解説」

大院君(ウィキペディア)

 

あるとき朝鮮国王の父親である大院君が、朝鮮国内で中国人(清国人)によって捕まえられる。
そして大院君は中国に拉致されて、そのまま幽閉されてしまう。

李鴻章は、その配下をして国王高宗実父である大院君を天津に拉致し、保定府に幽閉したことは、彼自身が外国にたいして、朝鮮は清国と宗属関係にあるが、その内政外交は自主の国であると説明してきた建前に悖る乱暴な主権侵害であった。

「朝鮮近代史 姜在彦(平凡社)」

*悖るは「もとる」

日本なら、天皇の父親が拉致されるようなものだ。
こんなことをしたら、その国と戦争になる。

ここに出てくる李鴻章(り こうしょう)とは、清の政治家のこと。

李 鴻章は、中国清代の政治家。
洋務運動を推進し清後期の外交を担い、清朝の建て直しに尽力した。日清戦争の講和条約である下関条約で清側の欽差大臣(全権大使)となり、調印を行ったことでも知られる。

(ウィキペディア)

李鴻章(ウィキペディア)

 

このあり得ないような主権侵害行為にたいして、朝鮮は中国(清)に何も抗議しなかった。

これが、この当時の朝鮮と中国との関係(事大主義)をよくあらわしている。
中国が朝鮮国王の父親を拉致しても、朝鮮は何も言うことができない。

しかもこのとき李鴻章は、清の皇帝の許可を得ないで独断で大院君を拉致している。
これは皇帝が決めるまでもなく、李鴻章の権限の範囲内でできたということをあらわす。

中国は朝鮮国王を李鴻章よりも”下”と考えていたのだろう。

 

清の国旗

 

でも、日清戦争で日本が清に勝つことによって、朝鮮は清との屈辱的な従属関係から解放され、独立することができた。

そのことは韓国の記事に書いてあったし、日清戦争の講和条約である下関条約にもある。

下関条約

下関で結ばれた日清戦争の講和条約。
日本全権は伊藤博文と陸奥宗光、清朝全権は李鴻章。内容は、(1)清は朝鮮が独立国であることを承認、(2)遼東半島・台湾・澎湖諸島の日本への割譲、(3)2億両の賠償金支払い

世界史用語集 (山川出版)

 

日清戦争での日本の勝利をアメリカ人の歴史家はこう書いている。

日本からみれば、この戦争は完全な成功だった。西洋列強は喝采し、日本における彼らの『特権』を相次いで放棄した。そして、日本を対等の主権国家として承認した。日本は韓国に自由を贈り、韓国国王は中国皇帝、日本国天皇と肩を並べる皇帝の地位を得た。

「アメリカの鏡・日本 (ヘレン・ミアーズ)」

この「日本は韓国に自由を贈り」と同じようなことを書いていた人がいる。

この時代に朝鮮を旅行していたイギリス人イザベラ・バードはこう書いている。

一八九五年一月八日、わたしは朝鮮の歴史に広く影響を及ぼしかねない、異例の式典を目撃した。朝鮮に独立というプレゼントを贈った日本は、清への従属関係を正式かつ公に破棄せよと朝鮮国王に迫っていた

「朝鮮紀行 イザベラバード (講談社学術文庫)」

アメリカ人の「日本は韓国に自由を贈り」やイギリス人の「(日本が)朝鮮に独立というプレゼントを贈った」という表現は、日本の勝利によって朝鮮が独立できたことをあらわしている。

そしてそれを記念するため、今から120年前に独立門がつくられた。

 

おまけ

韓国の伝統音楽

 

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今まで、東南アジア、中東、西アフリカに旅をしてきました。外国に行って初めて気がつく日本の良さや特長があります。以前、歴史を教えていたので、その経験もいかして、日本や世界の歴史や文化などをテーマに、「読んでタメになる」ようなブログを目指します。