中国>朝鮮(韓国)。皇帝は「万歳」、国王は「千歳」を使う。

 

「今年は、韓国が日本に宣戦布告してから76周年になる」
前に、そんなことを紹介した。

中央日報の記事(2017年12月07日)にこう書いてある。

今回の記念式には朴維徹(パク・ユチョル)光復会長など約200人が出席する予定で、出席者は宣戦布告文の朗読後、万歳三唱をする予定だ。

大韓民国臨時政府は1941年12月10日、日本がハワイ真珠湾を攻撃して太平洋戦争を起こすと、日本に対する宣戦布告文「対日宣戦声明書」を発表した。

大韓民国の臨時政府、対日本宣戦布告76周年記念式

この記事について、日本のネットではこの「万歳三唱」に注目する人がいた。

・万歳三唱って日帝残滓じゃないの?
・>万歳三唱をする予定だ
これはいいのかよw

 

日程残滓(にっていざんし)とは、植民地時代に日本から朝鮮半島に伝わったいろいろな物事のこと。

ウィキペディアには日程残滓の例として、三三七拍子・運動会・家族や注意といった言葉、お金のウォンなどがあげられている。

「三唱」は分からないけど、「万歳」という言葉は、日本から韓国に伝わったものではない。
今回はこの「万歳」をいう言葉から見える、韓国(朝鮮)と中国の関係を書いていこうと思う。

 

 

「万歳」という言葉は中国で生まれた。
「千秋万歳」という言葉の後半部分を取ったものが「万歳」。

「万歳」は皇帝の寿命をあらわす言葉で、中国皇帝だけに使われる特別な言葉だった。

だから、朝鮮国王は中国皇帝に一歩遠慮して、「千歳」という言葉を使っていた。

韓流ドラマ「イ・サン」にそんな場面がある。
朝鮮国王が即位するとき、臣下たちが「千歳!」と言っている。

 

「万歳」は中国皇帝にたいして使う言葉。
だから、朝鮮国王に「万歳」を使うと、中国皇帝と”同格”になってしまう。

これは中国にたいして、大変な失礼になる。
「失礼になる」というより、この時代の感覚からしたら「許されない罪、不敬罪」にあたる。

朝鮮王朝時代、朝鮮は自国を「中国の下」と位置づけ、中国には敬意をもって接していた。

それを「事大主義」という。
韓国人が書いた歴史本にこうある。

朝鮮の国王は、中国の天子=皇帝にたいし、「小を以て大に事える」の礼をとることによって、大国の脅威から小国の安全を保つことができた。つまり夜郎自大な態度をつつしみ、大国にたいする小国の礼を堅持したのである。

「朝鮮儒教の二千年(姜 在彦)」

「小を以て大に事(つか)える」というのが、事大主義のこと。
朝鮮が中国に「小を以て大に事える」の礼をとっていたことから、朝鮮は「東方礼儀の国」とも呼ばれていた。

 

 

とはいえ、朝鮮が中国に敬意をしめしていたのは、中国をおそれていたからだけではない。

朝鮮が中国を偉大な国として尊敬していたこともたしかだ。

朝鮮時代に、朴趾源(ぼくしげん:1737年~1805年)という知識人がいた。
彼の言葉から、この時代に生きた朝鮮人の考え方が伝わってくる。

皇明こそ中華だからである。われわれが最初に朝鮮の国号を受けた尊敬すべき国だからである。

「熱河日記 ―朝鮮知識人の中国紀行  (東洋文庫) 」

「朝鮮」という国名は、中国皇帝が決めて朝鮮に授(さず)けてくれたものである。
だから、中国は尊敬すべき国なのだ。

今の韓国の考え方には合わないけれど、朝鮮時代にはこれが常識的な考え方だった。

 

「明」とだけ書いたら中国に失礼になる。だから「皇明」と皇の文字をつけて敬意をあらわしている。
豊臣秀吉が朝鮮半島に出兵したとき、明が援軍をおくって朝鮮を助けている。
このとき朝鮮の人たちは、「明兵」ではなくて「天兵」と呼んでいた。

朝鮮にとって中国とは「天」だった。
だから、中国皇帝に使う「万歳」という言葉を、朝鮮が使うことはできなかった。

 

 

1897年に大韓帝国ができる。
大韓帝国の初代皇帝が即位するときに、「万歳」が使われた。

この背景には、日清戦争での日本の勝利がある。
日本が中国(清)に勝ったことで、韓国は中国から独立することができた。

そのことは、この戦争の講和条約である下関条約に書いてある。

下関条約

下関で結ばれた日清戦争の講和条約。
日本全権は伊藤博文と陸奥宗光、清朝全権は李鴻章。内容は、(1)清は朝鮮が独立国であることを承認、(2)遼東半島・台湾・澎湖諸島の日本への割譲、(3)2億両の賠償金支払い

「世界史用語集 (山川出版)」

「清は朝鮮が独立国であることを承認」したことで、朝鮮は「大韓帝国」になった。

「朝鮮」という国名は、中国皇帝が決めて朝鮮に授けたものだ。
だからこれを機に、国名を「大韓」に変更したという。

 

この時代の朝鮮を旅行していたイギリス人のイザベラ・バードが、旅行記にこう書いている。

一八九五年一月八日、わたしは朝鮮の歴史に広く影響を及ぼしかねない、異例の式典を目撃した。朝鮮に独立というプレゼントを贈った日本は、清への従属関係を正式かつ公に破棄せよと朝鮮国王に迫っていた

「朝鮮紀行 イザベラバード (講談社学術文庫)」

下関条約で「清は朝鮮が独立国であることを承認」したことで、日本が「朝鮮に独立というプレゼントを贈った」。
このイギリス人にはそう見えた。

 

大韓帝国皇帝、高宗(ウィキペディア)

 

そして朝鮮国王は「大韓帝国皇帝」になる。
つまり、中国皇帝と”同じ”になった。

「世界史の窓」にそのことが書いてある。

1897年10月には独立国家であることを明示する措置として、国号を「大韓帝国」とした。朝鮮国王の称号も清と同格の「皇帝」に改め、同時に高宗が即位し、正式には「大韓光武皇帝」と称した。

大韓帝国

ソウルにある圜丘壇(えんきゅうだん)。
ここで大韓帝国皇帝が即位した。

韓国情報サイト「KONEST」にその説明がある。

美しい3層の八角形の建物を中心とした「圜丘壇」は、朝鮮王朝第26代王である高宗(コジョン)が大韓帝国皇帝に即位した場所であり、天に豊作や国家の安泰を祈る祭天儀式が行なわれた場所でもあります。

圜丘壇(円丘壇)

この圜丘壇を韓国人の友人と歩いているとき、その韓国人が「あれ?これ、『万歳』って書いてませんか?」と言って指さす。
それがこれ。

万(萬)                    歳

ボクは日本の漢字の「万」に見慣れていたから、旧字体の「萬」に気づかなかった。
たしかにこれは「万(萬)歳」だ。

大韓帝国皇帝が即位したことを祝って、ここに「万歳」の文字を刻んだのだろう。
ボクが知る限りで、朝鮮時代(1392~1910)、公式に「万歳」の言葉が使われた例はここ以外にはない。

「万歳三唱」が日程残滓かは分からないけれど、日清戦争での日本の勝利は影響していそうだ。

 

ちなみに、韓国では天皇のことを「日王」とよぶ。
個の理由には、「韓国の歴史上、「皇」の字は朝鮮国王の上にいる中国皇帝だけに使っていたから」ということがある。

 

中国の天壇(これはその中にある祈年殿)。

天壇【てんだん】

中国で古くから帝王が天帝をまつるために用いた祭壇。圜丘(えんきゅう)とも。

「百科事典マイペディアの解説」

韓国の圜丘壇は、これをモデルにつくられた。

 

黄色い瓦(かわら)は中国皇帝のもの。
朝鮮は中国の東にあったから、青い瓦を使っていた。

これは「五行」という中国思想による。

五行の色、四季、方位を表した図(ウィキペディアから)。

中国を中心にとらえ、自国を”下”とする考え方は「千歳」を使うことと共通している。

 

おまけ

中国皇帝が住んでいた紫禁城。

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。