十字軍について簡単に知っとこう。悲劇の少年十字軍とは?

 

少し前に、ヨルダンで出会ったパレスチナ人の話を紹介した。

彼はイスラエルに住んでいた20代の青年。
イスラエルでは仕事が見つからなかったため、ヨルダンへ出稼ぎに来ていた。
パレスチナ人でイスラーム教徒の彼にとって、イスラエルでの生活で一番イヤなことは、「エルサレムに行くことができない!」ということだった。

 

彼はこんな不満をぶちまける。

「エルサレムにある岩のドームに行って礼拝をしたいのだけど、ボクはエルサレムに入ることができないんだ。エルサレムに住んでいるパレスチナ人なら、岩のドームに行って礼拝することができる。でもイスラエル政府は、エルサレム以外に住んでいるパレスチナ人がエルサレムに入ることを認めていないんだよ。イスラーム教の聖地にイスラーム教徒が行くことができない。これはおかしいだろ?」

 

くわしいことはこの記事をどうぞ。

アメリカ、エルサレムを首都認定。パレスチナ人の思いは?

 

イスラーム教徒の聖地、岩のドーム。
画像はウィキペディアから。

 

「エルサレムに行って礼拝できないことが一番ツラい、と言っていたパレスチナ人がいましたよ」

この後、イスラエルで会った日本人旅行者に、パレスチナ人から聞いた話をする。

すると彼はこう言う。

「歴史はくり返す、ですね。ユダヤ教徒がイスラーム教徒に礼拝をさせないとなると、十字軍みたいですよ」

なるほど。
そう言われてみたら、たしかに十字軍と背景が似ている。
この後、世界史に興味がある者同士で十字軍の話で盛り上がった。

海外を旅するバックパッカーには、世界の歴史や文化に興味がある人が多い。
運良くそういう人と出会うと、いろいろな話を聞くことができる。
こういう意外性があるから旅はおもしろい。

 

 

ということで、これから十字軍について、その目的や具体的内容などを簡単に書いていこうと思う。

まずは、「十字軍」とは?

・ヨーロッパのキリスト教勢力が聖地エルサレムを取り返すことを目的におこなった軍事遠征のこと。
・当時エルサレムはイスラーム教の国、セルジューク朝が支配していた。
・第1回十字軍(1096年)~第7回十字軍(1270年)の約200年にわたっておこなわれていた。
日本だと平安~鎌倉時代の間。
・第3回十字軍では、アラブ側のサラディンとイギリス王リチャード1世が活躍する。

イギリスに興味があったら、リチャード1世は覚えておこう。
この国王は、現在のイギリスでとても人気がある。

彼はイングランドで最も愛された王のひとりであり、「獅子心王リチャード」の異名で知られる。

「イギリス社会入門 (コリン・ジョイス)」

スマップの「らいおんハート」は、このリチャード1世(獅子心王)に由来している。

 

 

十字軍の背後にあったのは、キリスト教徒による「聖地巡礼」だった。

巡礼の流行

封建社会の安定化ととも、11~12世紀に民衆の聖地巡礼熱が高まった。特にイェルサレム・ローマ・サンチャゴ=デ=コンポステラはキリスト教徒の三大巡礼地として信仰を集めた。

「世界史用語集 (山川出版)」

エルサレム(イェルサレム)はイエス=キリストが殺されて、後に復活したところ。
今でもキリストの墓(聖墳墓教会)がある。

神道の信者にとっての伊勢神宮のようなもので、エルサレムには多くのキリスト教徒が巡礼で訪れていた。

 

九州の隣にイスラエルがある。
エルサレムはこのイスラエルの中にある都市。
エルサレムとは「平和の都(町)」という意味だけど、昔から争いが絶えない。

十字軍の遠征はイスラーム教徒の側からしたら、キリスト教徒による「侵略戦争」だ。

今でも、イスラーム教徒の過激派がキリスト教徒と戦うときに、「十字軍」という言葉が使われることがある。
2001年のアメリカ同時テロをおこしたビンラディンは、「欧米諸国はイスラムに対し、十字軍の戦いを挑んでいる」と発言している。

 

 

十字軍の遠征がはじまる前、エルサレムはイスラーム教のセルジューク朝に支配されていた。
キリスト教徒がエルサレムに行こうとしても、イスラーム教徒に邪魔をされて自由に行くことができなかった。

日本人旅行者の「歴史はくり返す、ですね」という言葉は、このことをさしている。
ボクが会ったパレスチナ人の場合は、ユダヤ教徒に邪魔をされて、イスラーム教徒の彼が聖地に行けなかった。

 

「エルサレムをどげんかせんといかん」と、この状況を打開するためにローマ教皇が動く。
ローマ法王は「聖地イェルサレムはキリスト教徒が取り戻す」という目的で十字軍の派遣をとなえた。
それが世界史で習う「クレルモン宗教会議(1095年)」のこと。

ちなみにこのとき日本では、白河上皇による「院政(1086年)」がはじまっている。
院政と十字軍を同時に覚えておこう。

 

でも実際には、そんな立派な宗教的動機は最初のうちだけ。
十字軍の目的は、だんだん不純なものへと変わっていった。

教皇による東西教会の統一、国王、騎士・商人の経済的利益、民衆の巡礼熱や負債帳消など、様々な欲望や野心が背景にあった。正式には7回の遠征がおこなわれたが、第1回十字軍の成功以後はその大義を失った。

「世界史用語集 (山川出版)」

 

十字軍の歴史でよく語られる悲惨な例として、「少年十字軍」がある。

十字軍熱に呼応してドイツやフランスでおきた民衆運動。多数の子どもや貧民が非武装で聖地に向かったが、奴隷とされるなど悲劇的な結末に終わった。

「世界史用語集 (山川出版)」

「聖地エルサレムをイスラーム教徒から取り戻す!」と純粋な動機で戦いに出かけたら、悪い大人にだまされて奴隷として売り飛ばされてしまった。

しかも中には、イスラーム教徒の奴隷となって働かされた少年もいた。

 

少年十字軍(ウィキペディアから)

 

ただ、ここで書いた内容には古いものがある。
ボクが世界史を習ったときは、十字軍が聖地エルサレムを取り返そうとした背景には、「キリスト教徒のエルサレム巡礼をイスラーム教徒が邪魔するから」ということがあったと聞いていた。

でも、今では違うらしい。

「世界史の窓」にはこう書いてある。

セルジューク朝が進出しイェルサレムがその支配下にはいると、自由な巡礼が阻害されるようになり、十字軍運動の要因となった(最近の教科書では、セルジューク朝による巡礼の妨害の事実はない、とされている)。

十字軍運動

 

こちらの記事もいかがですか?

ヨーロッパ 「目次」

「らいおんハート」の意味とは?イギリスの王様と英仏の関係

仲の悪い隣国・イギリスとフランスは、これぐらい悪い。

フランス人にとって韓国とは?韓国人に「衝撃を与えた」その結果

外国人(アメリカ人とヨーロッパ人)との会話が盛り上がる話題

 

コメントを残す

ABOUTこの記事をかいた人

今まで、東南アジア、中東、西アフリカに旅をしてきました。外国に行って初めて気がつく日本の良さや特長があります。以前、歴史を教えていたので、その経験もいかして、日本や世界の歴史や文化などをテーマに、「読んでタメになる」ようなブログを目指します。