1933年、日本は国連連盟を脱退。棄権したタイの人気が爆発。

 

「エルサレムをイスラエルの首都と認める」

トランプ大統領のこの一言で、世界が大騒ぎになっている。

それで国連総会が開かれることになった。
国連総会で、トランプ大統領に決定を撤回するように求める決議が採択された。

 

これを受けてアメリカは、決議に賛成しなかった(つまり、アメリカに反対しなかった)国に感謝の言葉を表明している。

朝日新聞の記事(2017年12月22日)から。

ヘイリー米国連大使は21日、決議案に賛成しなかった米国以外の64カ国の国名を全て列挙し、「国連の無責任なやり口に加わらなかったことに感謝する」とツイッターで発信した。

賛成しなかった国と「友情の宴」 米大使、国連決議に

アメリカの国連大使は、感謝の言葉を伝えただけではなかった。
国連決議に反対・棄権した64ヵ国と、「米国への友情に感謝する宴(うたげ)」をおこなうことにしたという。
自分に反対しなかった国を招いてパーティーを開くというのは、アメリカらしいとも子どもっぽいとも思う。

 

ネット上ではこんな反応があった。

・友情の宴ってなんか良いな
キン肉マンに出てきそう
・友情の宴はやっぱりピザ食うのかな
・オーストラリア メキシコ 南米系 棄権は何となく分かるけれど
カナダ、ブータンがよくわからない。
・もう学級会だろ・・・
賛成したら支援しないもんとか言い始めるし・・・
・日本には、こういう状態を簡潔に表す言葉が既にある。
「ジャイアンリサイタル」という言葉が…

ちなみに日本は決議に賛成したから、このパーティーに参加することはできない。

 

 

アメリカの連大使は「国連の無責任なやり口に加わらなかったことに感謝する」とツイッターで発信していた。

1933年(昭和8年)の日本なら、これと同じ言葉をタイに発信していたかもしれない。
これから、そのことを書いていこうと思う。

 

この年、日本は国際連盟を脱退している。

原因はリットン調査団の報告にあった。
国連の総会で、「日本軍は満州国から出て行くべき」というリットン調査団の報告に対して、42カ国が賛成して日本だけが反対する。

国際連盟脱退

1932年10月、国際連盟理事会は13:1で満州国からの日本の撤兵を勧告。国際連盟総会も1933年2月、リットン報告書に基づく対日勧告案を42:1で採択。日本は3月に連盟脱退を通告した

「日本史用語集 (山川出版)」

この演説の後、日本は国連を脱退した。
「NHK 映像の世紀」のキャプチャー

 

先ほどの説明で、「対日勧告案を42:1で採択」と書いてあった。
これをもっと細かく見ると、「賛成42、反対1、棄権1」になる。
反対の1はもちろん日本だ。

棄権した1国というのが、タイ(シャム)だった。

「世界の中で、タイだけは日本に反対しなかった!」ということで、日本ではタイの人気が一気に高まる。

齋藤正雄氏が論文にこう書いている。

1933年の国際連盟脱退をきっかけにタイは日本から思ってみない熱い視線を投げかけられることになりました。

タイ国日本語教育小史 -昭和17年の柳澤健論文をもとに

日本の歴史上、タイの人気がもっとも高まったのはこのときだろう。

でも日本はこれで世界から孤立し、ドイツと手を組んで戦争へと進んでいく。

 

 

ただ、タイが棄権したのは「日本を支持したから」というわけではなくて、タイの国益を考えたらそれがベストの選択だと思っただけのこと。

タイは日本も欧米の大国も敵にまわしたくない。
そうなると棄権することが無難だ。

 

でも、その2年前のことも影響しているかもしれない。

1931年に、タイ(シャム)のプラチャーティポック国王が日本を訪問した。
これは非公式で、アメリカへ行く途中で日本に立ち寄ったていどの軽い訪問だったけれど、タイの国王が日本に来たのはこれが初めてだった。

 

アメリカからの帰りにも、国王は日本を訪れた。
そのときの様子が外務省ホームページに書いてある。

帰国後,国王付副秘書官長は「日本では,群衆が「チャイヨー」(シャム語で「万歳」)と叫び,至る所でシャム国歌が演奏され,観劇の際には日本人俳優によりシャムの演劇が上演されるなど,日本国民の熱心な歓迎振りに国王一行は深い感動を与えられた」と新聞記者に語りました。

プラチャーティポック国王の来日

こうしてタイと日本の関係が親密になっていたことも、タイの棄権に影響をあたえたかもしれない。

 

 

日本が国際連盟から脱退した8年後、日本が仲介役となって、タイとフランスとの間で東京条約が結ばれた。

これによって、タイとフランスの争いは解決され、タイは当時フランス領だったラオスやカンボジアの一部を手に入れることできた。
アンコールワットで有名なシェムリアップも、このときタイの領土になっている。

東京条約は、タイにとってかなり「おいしい結果」だ。
日本がタイに有利になるよう配慮したのも、「国連決議のとき、タイだけは反対しなかった」ということに日本が感謝していたからだという。

 

バンコクに行ったら、この戦勝記念塔を見かけるかもしれない。
BTSの「ビクトリーモニュメント駅」はこの塔のこと。

これは、フランスとの戦闘で亡くなった兵士のためにつくられた。
「勝利」とは、フランスに対する勝利のこと。

東京条約と同じ1941年に、戦勝記念塔が建てられた。

 

ちなみに今年は、タイとの関係が始まってから130年になる。

2017年は、日タイ修好130周年という両国にとって節目の年となります。今から130年前の9月26日、両国の間で「日暹修好と通商に関する宣言」という条約に署名が行われ、正式な外交関係が開始されました。

日タイ修好130周年公式ウェブサイト

おまけ

タイのショッピングモールで開かれていた日本祭り。

 

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今まで、東南アジア、中東、西アフリカなど27の国・地域に旅をしてきました。以前、中学生に歴史を教えていた経験もあります。 また、日本にいる外国人の友人も多いので、彼らの目から見た日本も知っています。 そうした経験をいかして、日本や世界の歴史・文化・宗教などをテーマに、「読んでタメになる」ブログを目指しています。