H&MやダヴのCMが”人種差別”と批判・日本にも来た黒人奴隷。

 

日本でも有名なスウェーデンのアパレル大手H&Mが、「それは人種差別的だろ!」と非難を受けて謝罪した。

H&Mがウェブサイトにパーカーの写真をのせたことが、ことの始まりだ。
そのパーカーには、「COOLEST MONKEY IN THE JUNGLE(ジャングルで一番クールな猿)」というプリントがされている。
ここまではいい。

でも、このパーカーを着ていたのが黒人の少年だったことから、「人種差別だ!」という指摘を受けてしまった。

くわしいことは、AFPの記事(2018年1月9日)を見てほしい。

H&MはAFPの取材に対し、「画像は全て削除済みです。気分を害した消費者の方々に謝罪します」と述べている。

黒人少年モデルの商品画像、人種差別と批判殺到 H&Mが謝罪

日本のネットでも「これマジでシャレになんない」「これはさすがに酷いな 」といったコメントが多い。

 

パーカーは今でもH&Mのウェブサイトにある。

 

企業がCMを公開したところ、「人種差別的だ!」と批判を受けて、謝罪に追い込まれることは去年もあった。

ボディケア用品でおなじみの「ダヴ」がそれをしてしまった。
ダヴのCMで「黒人女性がシャツを脱ぐと白人女性に変わる」というシーンがあったため、これが問題になる。

もっとも、このCMに出ていた黒人女性はBBCの記事(2017年10月12日)でこう言っている。

出演したモデル、ローラ・オグニエミさんはBBCに対して、CMの全編を見れば差別的意図はないと分かったはずで残念だと話した。

人種差別と批判されたCM 出演モデルが反論

*リンク先にそのCMがある。

それをした側に差別の意図がなくても、他人からそう見られてしまったらダメ。

差別問題は、内面よりも外見の問題だ。
ひどい差別意識を持っていても、それを言動に表さなかったら問題は起こらない。
良い言い方ではないけれど、まわりにそれを気づかせなければいい。

差別をする意識がなくても、そう見られる行為をしたらいけない。
動機よりも行動だ。

最近もダウンタウンの浜ちゃんが、顔を黒く塗ったことが世界的な批判をあびた。
人種差別については、「そんなつもりはなかった」が通用しない。

「ダヴ」という会社名は、愛や平和の象徴であるDove(ハト)に由来するらしいのだけど、このCMで痛いダメージを負ってしまった。

 

 

ここからは、黒人への人種差別と切り離すことができない「奴隷の歴史」について、簡単に書いていこうと思う。

日本に来て、サムライになった黒人奴隷がいることは知ってましたか?

 

16~19世紀に、アフリカの黒人が奴隷としてアメリカ合衆国やカリブ海諸国になどに運ばれていた。
アメリカ大陸にいた先住民(インディオ)が重労働や伝染病で激減してしまったため、その”穴埋め”としてアフリカの黒人が使われることになった。

 

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ムチ打ちによる傷跡のある黒人奴隷(1863年)
(ウィキペディアから)

 

アフリカ旅行で、セネガルの「ゴレ島」に行ったことがある。

首都ダカールにある小さな島で、かつてここには黒人奴隷が収容されていた。
今でもそのときの収容所が残されていて、島は「負の世界遺産」になっている。

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ゴレ島

 

アフリカで集められた黒人奴隷が船に乗せられる様子は、このようなものだった。

奴隷船に奴隷を積みこむ数日前に奴隷は全員、男も女も頭を剃られた。
また、積み荷の所有者のイニシャルか会社のブランドが奴隷の身体に焼き印された。
新世界へ向けて出帆する当日には、城塞や「バラクーン」と呼ばれる小さな檻に閉じ込められていた奴隷たちは、最初で最後となる豪勢な食事を与えられた。

食後奴隷たちは二人一組になって足首に鎖をつけられ、奴隷船に連れていかれた。彼らは全裸で、男女別々の船倉に入れられた。

(中略)
たいていの奴隷は、自分の生まれ育った大地から引き離される際に深い悲しみと絶望に陥った。絶望にかられて海に飛び込む者もいた。

「近代世界と奴隷制 (人文書院)」

なんで男も女も坊主にされたのか?

これからアメリカ大陸への長い船旅をすることになる。
船のせまい空間で集団生活をするため、病気がはやるとたくさんの奴隷が死んでしまう。
それを予防するために髪の毛をかっていた。

アウシュヴィッツの収容所でも、男女が頭の毛をかりとられて坊主にされている。
理由はこれと同じだろう。

 

ここまでを読むと「白人は、ひどいことをしてたなあ」と思ってしまうけれど、奴隷となる黒人を集めていたのは別の部族の黒人だった、というケースもある。
「黒人が黒人を売ってもうけていた」ということは事実だ。

 

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これはガーナにあるケープ・コースト城
ここでも黒人奴隷が収容されていた。

 

そんな黒人奴隷が戦国時代の日本に来て、サムライになっている。

キリスト教の宣教師が黒人の奴隷を織田信長に見せたところ、信長はこの黒人の肌の色に強い興味をもった。
信長は「きっと体にすみをぬっているにちがいない」と思いこむ。

信長に仕えたアフリカ人

イエズス会宣教師が、ポルトガル人によってアフリカから連れてこられた黒人奴隷を初めて信長に会わせたとき、信長はからだに墨を塗っているものと思い込み、それが肌の色であると説明してもなかなか信じようとしなかったという

「詳細 日本史研究 (山川出版)」

そして本当に肌が黒いのかを確かめるために、信長は彼の体を洗わせた。

「体を洗っても肌の色は変わらない!」と驚いた信長は、その黒人奴隷を自分の家臣にしてしまう。
ここに、「弥助(やすけ)」という黒人のサムライが誕生した。

この黒人侍は本能寺の変のとき、主君の信長を守るために明智光秀の軍とたたかっている。

 

ちなみに、これを黒人のアメリカ人に話したら、その人はこのストーリーをかなり気に入っていた。

 

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イエズス会の宣教師と黒人奴隷

 

 

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アフリカの旅(国)が、こんなにひどいなんて聞いてなかったから。

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。