海外での物乞い。イギリスやインドでの対応に批判の声。

 

今年5月、イギリスで重要な結婚式がおこなわれる。

イギリスのヘンリー王子とアメリカ人の女優メーガン・マークルさんが、ロンドンの西にあるウィンザー城で式を挙げることになっている。

日本とイギリスの共通点として、天皇と王という「君主」がいることがよく言われる。
でも、日本の皇太子が外国人と結婚をすることは想像できない。
この点は大きく違う。

 

 

それはともかくとして、世紀のロイヤルウェディングがおこなわれるのだから、世界中から観光客が集まってくることは間違いない。
それで現地では今、外国人を迎える準備が進められている。

でも、その準備の1つが問題視された。

現地の区長が、ホームレスや物乞いに対する取り締まりを強化するように提案したから。
街にそうした人たちがいることで、「美しい町に好ましくない光が当たってしまう」という。

区長としては、外国人観光客にホームレスや物乞いを見られるのがイヤなんだろう。
その気持ちは分からなくもない。

 

区長は「攻撃的な物乞い」を街から一掃したいらしい。
攻撃的な物乞いとは、観光客にしつこく付きまとって金品をねだったり、集団で金銭をうばったりする物乞いをさすらしい。

観光客に付きまとう物乞いなら、インドでよく見た。
あれが「攻撃的な物乞い」だったのか。

区長には、物乞いによる迷惑行為をなくしたいという思いもある。

 

でも、ロイヤルウエディングや観光客のためとはいえ、街からホームレスや物乞いを排除することには、イギリス国内から批判の声があがった。
慈善団体の代表者は、「不快感を覚える。誰かが路上で寝ているのは、そうせざるを得ないからだ」と区長の考えに嫌悪感を示し、メイ首相も「提案に同意しない」と言う。

くわしいことは、時事通信の記事(2018/01/07)を見てくださいな。

王子挙式で「物乞い追放」?=自治体提案に批判広がる-英

 

イギリスでは、みかんのことを「サツマ」と呼んでいる。
もちろん薩摩藩のサツマ。

 

街から物乞いやホームレスを”消す”のなら、経済を良くするべきだ。
それが難しいから、どこの国も苦労しているのだけど。

でも、物乞いを捕まえて強制的に移動させると、人権問題になる。
それでは、ドイツのヒトラーやイタリアのムッソリーニと同じになってしまう。

ナチス=ドイツがユダヤ人を捕まえて、強制収容所に入れていたはよく知られている。
でも、ユダヤ人だけではなく、物乞いも「邪魔者」と考えて収容所に入れていた。
こうしてナチス=ドイツは、街から物乞いを消していった。

 

ムッソリーニがイタリアの首相になったとき、こんな言葉がささやかれた。

「ムッソリーニが首相になってから、ローマ名物といわれた乞食がなくなった」

でもこれは、「ムッソリーニがすぐれた政治家で、イタリア経済を立て直したから」ということではない。
評論家の山本七平氏の本に、こう書いてある。

それは少しも偉くない。乞食を捕まえて収容所に入れ、街頭から一掃することは、独裁者が暴力を振るえばすぐにできる。しかしそれは乞食がいない豊かな社会をつくったということではない

「『常識の』非常識 (文春文庫)」

ヒトラーやムッソリーニのような独裁者がその気になったら、弱者を街から消すことは簡単にできる。

イギリスのメイ首相がホームレスや物乞いの排除に「同意しない」と言った理由も、こんな独裁者のイメージがあったからだろう。

 

ちなみに、ムッソリーニとはこんな人物。

1919年、ファシスト党を結成し、22年のローマ進軍で首相となり、43年までファシズム体制の下で独裁権力をふるった。第二次世界大戦末期、パルチザン(非正規軍)に処刑された

「世界史用語集 (山川出版)」

列車から降りるムッソリーニを出迎えるヒトラー(1938年9月29日撮影)
ウィキペディアから。

 

ムッソリーニは処刑され、遺体はミラノの広場で逆さづりにされた。
左から2番目がムッソリーニ。

 

 

イギリスでは物乞いの強制排除に批判的だったけど、インドでは違った。

以前、インドのコルカタに行ったとき、物乞いの数がずい分少なくなっていることに気づいた。
前回コルカタに来たときは、道の両側に物乞いがズラリと並んでいたけど、今回はそんな人たちが見当たらない。

「そうか、これがインドの経済成長か!」なんて思ったら、実際はまったく違う。
街から物乞いが消えた理由を、宿のインド人がこう話す。

「しばらく前にトラックが来て、道にいた物乞いが乗せられていたからな。デカン高原に運ばれて行ったらしい」

 

でもこの時は、そのインド人の話を半信半疑で聞いていた。
いくらインドでも、「物乞いをトラックに乗せてどこかへ運んでいく」ということを、外国人が多く住む国際都市のコルカタでやるだろうか?

でも、インドはマジでそれをやるらしい。
「シャルマ」というインド人のビジネスマンが、日本の街を見てこう書いている。

日本に着いてすぐに気になったことだが、乞食の姿がどこにもいない。道すがらも、喜捨(バクシーシ)を求める人たちや、裸足の人間や、物を売りつけてくる人間がいなかった。貧民や難民の姿もまったくない。彼らはどこにいるのだろう。デリーの場合のように、トラックに積み込まれてどこかに捨てられてしまったのだろうか

「喪失の国 日本 (文春文庫)」

でもこれは、ひと昔前のインドのこと。
今でもこんなことをやっているのかは、分からない。

 

 

分からないけれど、「やってんじゃね?」とは思う。
というのは、2017年にもインドでそんなことがあって、批判されていたから。

アメリカCNNニュース(2017.11.11 )にそのことがある。

インド南部ハイデラバード市で警察当局の命令により市内の路上から物乞いを一掃する異例の措置が進んでいる。

路上の物乞い追放、トランプ氏娘の来訪目前に インド

なんで街の物乞いを排除したのか?

「アメリカ大統領の長女イバンカ氏がハイデラバード市に来ることから、街の物乞いを強制的に排除したのでは?」と言われていた。

ハイデラバード市の警察は、「これはイバンカ氏の訪問とは関係がない」と言っている。
でも個人的には、イバンカ氏や要人の目に触れさせないために、強制的に物乞いを排除したのだと思っている。

だってインドなんだもん。

 

 

おまけ

今回、「イギリス」と「強制収容所」という言葉が出てきたから、ついでに書いておきたいことがある。
「強制収容所」というと、旧ソ連のグラーグやナチス=ドイツのアウシュビッツ収容所なんかが有名。

でも、こうした強制収容所のモデルとなる施設を、初めて作ったのはイギリスだった。

1899年の南アフリカ戦争(ボーア戦争、南アフリカの植民地化をめぐるブール人とイギリスとの戦争)のときに、イギリスが敵だったブール人に対して収容所を作っている。

じつはナチスの強制収容所というのは、このボーア戦争の収容所をヒントに作られています

「新・世界地図 (福田和也)」

この戦争でブール人のゲリラ作戦に悩まされていたイギリスが、抵抗するブール人を1か所に集めるために収容所を作ったことが、ナチス=ドイツの強制収容所の始まりになったという。

 

おまけのおまけ

これがコルカタだっ!

 

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