韓国”国家公認”の売国奴・李完用とは?子孫は墓をつぶした。

 

韓国の中学生向けの歴史教科書を読んでいると、「この書き方はないだろう」と思ってしまうところが時どき出てくる。

例えば、1905年の第二次日韓協約についてはこう書いてある。

この条約がまさに大韓帝国の外交権を強奪した乙巳条約で、主権を日本に譲り渡すことに賛成したのは、李完用をはじめ、(中略)民衆は彼らを乙巳五賊と呼んだ。
日帝は大韓帝国の外交権を奪い、統監府を設置して内政にも奥深く介入した。
少し後には高宗皇帝を強制退位させた後、軍隊を解散させるなど国家権力を掌握しはじめた。

「躍動する韓国の歴史 明石書店」

日韓協約というのは、日本が韓国を保護国化するためにおこなわれた協約のこと。
1904年から1907年までに、3回の日韓協約が結ばれた。

この3回の中で、2回目の第二次日韓協約(韓国では乙巳条約)がとても重要。
このときに韓国は外交権を失い、実質的に日本の保護国となった。

それが「大韓帝国の外交権を強奪した乙巳条約で、主権を日本に譲り渡す」という部分になる。

 

 

それにしても、乙巳五賊(いっしごぞく)の「賊」という言葉はひどい。

賊とは「時の政府や国家に反逆する者(デジタル大辞泉)」という意味で、日本の歴史教科書なら絶対に出てこない言葉だ。
国が歴史上の人物を「賊」と呼ぶことは、日本だったらない。
五賊とは「国を裏切った5人の卑劣な人間」といった意味で、「売国奴集団」ということになる。

ウィキペディアの乙巳五賊の項目にはこう書いてある。

現代の韓国においては、チニルパ(親日派、売国奴)とされ、政治的な忌避の対象となっている。

この乙巳五賊の中心人物が総理大臣だった李完用(り かんよう)という人。

李完用は「独立後は韓国植民地化の元凶の一人としての評価が強まり、憎悪を一身に受けた(ウィキペディア)」という人物で、今の韓国では売国奴の代名詞になっている。

李完用の名は乙巳五賊の他にも、丁未七賊(ていびしちぞく)や庚戌国賊(こうじゅつこくぞく)の中にも入っている。

この3つの賊集団すべてに名前があるのは李完用だけ。
「売国奴の中の売国奴」「キング オブ 売国奴’s」という感じの人物。

韓国社会で「おまえは李完用のようなヤツだ!」という言葉は、最大級の侮辱になる。

 

こんな李完用の子孫が韓国社会で生きていくことは大変だ。
中央日報にはこんなコラム(2001年08月27日)がある。

李完用は、いつまでたっても韓国の逆賊と言われ続けるのか。
1979年にひ孫の手で墓を廃棄されたことも、当然とされるべき人物なのか。

韓日合邦の魚

たしか李完用の墓が他人に破壊されてしまったことから、子孫が墓をつぶしてしまったのだと思う。
李完用は1926年に死んでいる。
数十年たった後でも李完用が許せず、その墓を掘り起こす人がいる。
日本の感覚だと理解がむずかしい。

 

1910年に韓国は日本に併合された。
このバス停には「強制」と書いてあるけれど、当時の国際社会はそれを認めていた。

 

第二次日韓協約(乙巳条約)は今から113年前のことだから、今でもこの乙巳五賊(いっしごぞく)の、そう遠くない子孫が韓国に住んでいる。
彼らは当然、クラスメートとこの教科書を読んで学んでいるわけだ。
そう思うと気の毒になる。

中学生の教科書なんだから、もう少し配慮した表現をしようよ。

という甘い考えは、韓国では通じない。
韓国社会では、「国家の裏切り者は絶対に許されない」という空気が支配的だ。
ズルをして徴兵逃れした人間は、絶対に許されない。

 

李完用は国から「親日反民族行為者」と指定されている。
言ってみれば、国家公認の売国奴だ。

2007年に、その子孫が財産を没収されている。

そんな日本ではあり得ないようなことが中央日報の記事(2007年02月15日)に書いてある。

調査委は財産調査が完了した親日派41人のうち代表的親日派の李完用(イ・ワンヨン、1858-1926)ら11人の名簿と財産目録をホームページ(icjcp.go.kr)に公開した。

「親日派の土地270万坪を没収」

このとき子孫の一部は異議を唱えたらしいけど、たぶん黙殺されたと思う。

 

 

そして2018年の今、新しい”逆賊”が韓国に生まれたらしい。

2015年の日韓慰安婦合意のせいで、逆賊と呼ばれるかわいそうな人がいる。

次回、そのことを書いていきやす。

 

 

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今まで、東南アジア、中東、西アフリカなど27の国・地域に旅をしてきました。以前、中学生に歴史を教えていた経験もあります。 また、日本にいる外国人の友人も多いので、彼らの目から見た日本も知っています。 そうした経験をいかして、日本や世界の歴史・文化・宗教などをテーマに、「読んでタメになる」ブログを目指しています。