今日はガンディーの命日。”非暴力・不服従”って無抵抗じゃないから。

 

今日、1月30日はガンディーの命日。

ガンディーは「インド独立の父」と呼ばれる社会運動家で、インドをイギリスから独立させるために生涯をささげた。

たぶん日本でもっとも有名なインド人。

ガンディーは1948年のこの日、ヒンドゥー原理主義者に射殺されてこの世を去った。
銃で撃たれたとき、ガンディーは額に手を当て「あなたを許す」というジェスチャーをしたという。

ということで今回は、ガンディーが人類にのこした「非暴力・不服従」という遺産について知っていきましょう。
非暴力とは、無抵抗ということではない。

 

ちなみに1948年の日本では、東京裁判の判決が言い渡されたりホンダ(本田技研工業)が設立されたりしていた。

浜松市民としては、「浜松事件」に触れないわけにはいかない。
この年4月、浜松市でとんでもない抗争事件が起きている。

朝鮮人が小野組組長宅を襲撃したことで、朝鮮人・小野組・浜松市警の三つ巴の抗争が勃発した。(中略)数日間の戦闘で死者数人・負傷者約300人を出した。浜松市警は岐阜軍政部にMPの出動を要請し、400人のMPが浜松に派遣されたことで漸く沈静化した。

浜松事件 (抗争事件)

今からは考えられない。

 

おまえ、知ってたか?

 

 

ガンディーはインドのお札に描かれている。
でも、「ガンディーはすべてのインド人から尊敬されている」ということでもない。

「ボクはガンディーを好きじゃないね。彼はヒンドゥー教徒で、(イスラーム教徒の多い)パキスタンは分離独立したから」

こう話していたイスラーム教徒のインド人もいた。

それにインド東部では、ガンディーよりチャンドラ・ボースを尊敬している人がたくさんいる。

 

チャンドラ・ボース
日本軍と一緒に戦ったわりには知られていない。

 

学校でガンディーについて学んだとき、彼がとなえた「非暴力・不服従」という考え方も教わったはず。

こんなの。

非暴力・不服従

ガンディーが展開した社会運動の理念。
その後の反政府運動や人権運動などに影響をおよぼした。ヒンドゥー教・仏教・ジャイナ教・『新約聖書』などの影響を受け、この理念を形成した。

「世界史用語集 (山川出版)」

ガンディーは非暴力・不服従を「サティヤーグラハ」と呼んだ。
サティヤ(真理)とアーグラハ(堅持)をくっつけたガンディーによる造語。

 

インド人はイギリスに非暴力・不服従で対抗し、みごと勝利してインドを独立に導いた。

「その後の反政府運動や人権運動などに影響をおよぼした」とあるように、このガンディーの理念は、アメリカで黒人差別とたたかったキング牧師や南アフリカの大統領ネルソン・マンデラにも影響をあたえている。

 

ガンディーは「非暴力・不服従」について、こう説明している。

この語は、人間たちが自分の権利を獲得するために自分で苦痛に耐える方法として使われています

「真の独立への道 (岩波新書)」

 

でも、ガンディーの非暴力・不服従は「無抵抗でいろ」ということではない。

ガンディーは臆病でいることよりも、暴力をすすめている。

暴力は残虐な者のための法であるように、非暴力はわれわれのような者のための法なのです。しかし、『臆病と暴力の間の選択しかなかった場合、私は暴力を勧(すす)めます』

「近代インドの歴史 山川出版)」

「非暴力・不服従」のイメージが強すぎるせいか、日本ではガンディーについて「暴力を否定した絶対的な平和主義者」と美化する傾向があると思う。

これはいわゆる”美しい誤解”だ。

他の本にもこう書いてある。

ガンディーは、こう言っている。『怯懦(きょうだ)か暴力か、二者択一を迫られたなら、私は暴力をのほうを勧めるだろう。・・・なぜなら、民族全体が去勢(きょせい)されるよりは、暴力に賭けるほうをよほどすぐれているからである』と

「喪失の国、日本 (文春文庫)」

ガンディーは暴力をすすめているし、「すぐれている」とまで言っている。

「非暴力・不服従」は無抵抗とはまったく違う。

 

 

ガンディーを聖人化する”美しい誤解”は他にもある。

今までいろいろなところで、「ガンディーはカースト制度を否定した」という話を聞いたことあるけど、ガンディーはそんなことをしていない。
ガンディーやインド憲法が否定したのはカーストによる差別。
カースト制度そのものは否定していない。
それはムリだから。

 

 

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「my life is my message」

非暴力・不服従もふくめて、ガンディーの生き方はひとつのメッセージだった。

 

おまけ

インドの鉄道駅。

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。