祝・建国記念の日。「日本はいつできたのか?」は知っておこう。

 

今日2月11日は「建国記念の日」。

ということで、今回は「日本はいつできたのか?」ってことを知っていきましょう。

2月11日が建国記念の日になったのは、紀元前660年2月11日に、初代天皇である神武天皇が即位したという日本神話の記述による。
言ってみればこの日が「日本の誕生日」だから、2月11日は建国記念の日として国民の祝日となった。
神武天皇が即位した年を起点に「皇紀」がはじまるから、今年で日本は2678歳になる。

日本では首相が毎年、建国記念の日に国民に向けてメッセージを出していて、ことし安倍首相はこう言った。

わが国は、幾度となく大きな困難や過酷な試練に直面してきたが、先人たちのたゆまぬ努力で平和で豊かな国を築き上げ、自由と民主主義を守り、人権を尊重し、法を貴ぶ国柄を育ててきた

建国記念の日は「日本ができた日」ということでも大事だけど、ご先祖様や過去の日本人のことを考えて感謝する日でもある。

 

 

日本の建国記念の日(皇紀)は意外なところにものっている。

CIA(アメリカ中央情報局)のウェブサイトにあるThe World Factbookでは、世界各国の「独立の年月日」を紹介している。

そこにある「Japan」には、こんな説明がある。

3 May 1947 (current constitution adopted as amendment to Meiji Constitution)

これは日本国憲法が施行された日(1947年5月3日)。
他にも、明治憲法(大日本帝国憲法)が施行された日(1890年11月29日)がのっている。

これは日本の政治的なはじまり。

ここには、神武天皇が即位した年が「日本のはじまり」として紹介されている。

notable earlier dates: 660 B.C. (traditional date of the founding of the nation by Emperor JIMMU)

日にちまでは書いてないけど、これは建国記念の日のこと。
こちらは日本の民族的なはじまりになる。

このことから、「日本は世界で一番古い国」と言われることもある。

 

 

神話ではなく、歴史上「日本」という国名ができたのは7世紀後半とされている。

そのことは遣唐使の記録から分かる。

670年の遣唐使のとき、日本側が中国の皇帝にわたした文書では国名を「倭国」としていた。
でも、701年の遣唐使では「日本」に変わっている。

「日本」という国号が国際的に認知されるのは七〇一年任命の大宝度(たいほうど)の遣唐使の時であり、六七〇年の遣唐使の際には「倭国」を称していたようであるから、倭国から日本へ国号が変更されたのも、この天武・持統朝頃であったと考えられる

「『日本』国はいつできたか (大和岩雄)」

「天武・持統朝頃であった」と書いてあるから、「日本」という国名がつくられたのは飛鳥時代(7世紀の後半)と考えていい。

中国人のつくった「倭」という言葉がイヤだったから、日本人は「日本」という国名をつくったという。
くわしいことはこの記事をどうぞ。

外国人に「日本」の国名の由来を説明する。倭を嫌った理由は?

 

 

ちなみに、「天皇」という言葉も7世紀にできたとされる。

だから、天皇は「世界でもっとも歴史のある君主」になる。

明治時代の日本を訪れたシドモアというアメリカ人の女性がこう書いている。

欧州の君主や権勢を誇る王族は、日本の統治者・天皇に比較すると成り上がり者にすぎません。皇室は紀元前六六0年に初代神武天皇が即位して以来とぎれることなき系統を保っています。後代へ下って、現在の天帝の子孫、睦仁(明治天皇)は歴代系図から一二二代目となります

「シドモア (講談社学術文庫)」

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。