平昌五輪①日本がすごい・日本人が誇らしい vs 選手がすごい

 

平昌五輪のすべての競技が終了した。
日本のメダルは過去最多となる13個になる。

平昌五輪では、日本の選手がすばらしい活躍をしてくれた。
そのことは日本中の人が認めているし、感謝もしている。

 

でもその反応には、大きく見て2つに分かれる。

「選手の活躍を日本や日本人に結びつける人」と「それらを切り離す人」。

「結びつける人」とは、日本人選手がメダルをとると「日本すごい」「日本人として誇らしい」と書きこむ人のこと。

「切り離す人」はそういう見方を嫌う。
そんなコメントを見つけると、黙ってはいられない。
「すごいのは選手であってあなたではない。日本も関係ない」なんてことを書きこんでしまう。

 

「切り離す人」のなか人には「日本はすごい」という言葉を見ると、「日本の選手がすごい=日本人がすごい=日本人である自分はすごい」と拡大解釈する人もいる。

たとえばカーリング女子の「そだねージャパン」が銅メダルを取ったときには、ネットにこんな書きこみがあった。

カーリング女子が銅メダル

カーリング女子すごい

カーリング女子は日本人

俺も日本人

俺すごい

この発想がすごぉ~く気持ち悪いですw

 

ジャーナリストの江川紹子さんも、「すごいのは日本ではなくて選手」という見方をしている。

 

選手の活躍を見て、だれがどう思うかはその人の自由。
でも、よろこんでいる人を見ると、イラッときて口を出さずにはいられない人もいる。

今回と次回で、平昌五輪のウラでおこなわれていた「日本すごい vs 選手すごい」の戦いについて書いていこうと思う。
*「日本すごい」という人は「選手すごい」もふくんでいる。
より正確にいうと、「選手がすごいのはもちろんだけど、日本もすごい」という考え方の人になる。

 

ちなみにボクは「日本はすごい」の側にいる。
だから「日本のメダルは過去最多となる13個」で、「選手のメダルは過去最多となる13個」という書き方はしない。

 

 

ノンフィクションライターの窪田順生氏は「すごいのは日本ではなくて選手」という考え方の人で、選手と日本を切り離している。

ダイヤモンド・オンラインの記事(2018.2.22)で、「日本のマスコミが選手個人の功績を『日本の功績』にすりかえている」と批判している。

読者や視聴者が「日本ってすごいんだな」と錯覚してしまう、かなり盛りに盛った話があふれているのは、見ていて不安しか感じない。

五輪「日本大躍進」報道のウソ、日本がメダル量産国になれない理由

 

この文章には、窪田氏の考え方がよくあらわれている。

「すごい」と評価されるべきは、小平選手であり、彼女の夢を支え続けた相澤病院や、スピードスケートの関係者という「個人」であり、「日本」がすごいわけではないのだ。

 

小平選手とは、スピードスケート女子500メートルで金メダルをとった小平奈緒選手のこと。
選手と日本を何とか切り離そうとして、「「日本」がすごいわけではないのだ」と強調している。

もちろんこれはこの窪田氏の見方で、小平選手がこう言うとは考えられない。

「すごい」と評価されるべきは選手であり、スピードスケートの関係者という「個人」であり、「日本」がすごいわけではない

 

インタビューでの小平選手の話を聞いていると、目に見えない人たちやいろいろなことををふくめて、日本全体に感謝しているような気がする。

 

 

東京新聞の考え方も同じで、「日本すごい」という発想を嫌っている。

社説(2018年2月18日)では、「自分」「選手」「個」という言葉をたくさん使っていて、国としての日本には触れていない。

「羽生・金 宇野・銀 幸せ運ぶ二つのメダル」から。

平昌五輪フィギュアスケート男子で羽生結弦選手が二大会連続の金メダル、宇野昌磨選手が銀メダルに輝いた。「自分」を表現し歴史をつくった。

自分自身という「個」を表現しきった両選手は、とてつもなく新鮮だった。

自分と徹底的に向き合って苦しみ、もがき、その中で積み重ねてきた自分自身を、世界が見つめる舞台で表現した結果、手にしたものといえる

選手個人のことだけではなく、メダルをとった意味として、応援してくれた人たちに対する「形ある感謝のしるし」とも書いてある。

でも日本は関係ない。
国も羽生選手をサポートしてきたはずだけど、東京新聞はそれには触れない。

 

 

次回は「日本じゃない。選手がすごいんだ」ではなくて、「選手もすごいけど、日本もすごい」といった声を紹介したいと思う。

たとえば、羽生選手が金メダルを獲得したとき、中居正広さんはテレビ番組の中で「日本人がホントにすごいなって。誇らしい」と話していた。

「選手すごい系」の人はイラッとするだろうけど、今の日本ではこういう言葉に共感する人は多い。
ボクも、こんな言葉が出てくることは自然なことだと思う。

 

2 件のコメント

  • オリンピックという舞台。選手スゴーい、日本スゴーい…何故分ける必要があるんだろうか?…スミマセン、カーリング銅メダルで浮かれてカキコしてしまいました。

  • 「日本はヒドイ国だ」と思いたい人にとって、「日本すごい」は不快でしょうね。
    私も「日本ヒドイ系」だったころだったら、「日本すごい」なんて聞きたくなかったです。
    でも、自国の選手が活躍して、表彰式で日の丸が掲げられたり君が代が流れたりすればうれしくなるのは自然なことです。
    選手と日本を引き離す方が不自然だと思いますよ。

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    今まで、東南アジア、中東、西アフリカなど27の国・地域に旅をしてきました。以前、中学生に歴史を教えていた経験もあります。 また、日本にいる外国人の友人も多いので、彼らの目から見た日本も知っています。 そうした経験をいかして、日本や世界の歴史・文化・宗教などをテーマに、「読んでタメになる」ブログを目指しています。