ペリーとマッカーサー。日本を開国させた2人のアメリカ人。

 

ベトナムや韓国など、中国周辺にある「漢字文化圏」の国は漢字を廃止してしまった。

でも日本はちがう。
日本人はいまでも漢字を使い続けている。

前回は、「なんで日本だけは漢字を捨てなかったのか?」という中国人の疑問について書いた。

その記事では、アメリカ人のペリーとマッカーサーが登場している。
今回は日本に大きな影響をあたえたこの2人について書こうと思う。

 

幕末に訪れたアメリカ人が当時の日本人を見てこんな感想を持った。

「文明世界の技能を手に入れたなら、日本は将来、機械工業の成功を目指す強力な競争国となるだろう」

「彼らは学問及び一般の知識においても、決してそのしとやかな態度や優しい気質に劣っていなかった。彼らは育ちが良いばかりではなくて教育も悪くなく、日本語はもちろん、オランダ語、シナ語にも上達し、科学のあらましにも世界地理にも通じていた」

「日本人のとんでもない好奇心には驚かされる。わが国の独創的な発明品の数々を見せると、彼らはあの手この手で飽くなき好奇心を満足させようとした」

 

こんな言葉を残したのがアメリカ人のペリー。
幕末にやって来て日本を開国させたペリーは、こんなふうに日本人を称賛していた。
逆に考えたら、「ペリーは日本人をかなり低く考えていた」ということでもある。

それはいいとして、ペリーがしたことを簡単におさえておこう。

・1853年に、神奈川の浦賀沖にやって来た。
・彼はサスケハナ号という蒸気軍艦に乗っていた。
・日本側にアメリカの国書をわたして、一度アメリカに戻る。
・翌年1854年に、ふたたび日本にやって来て日米和親条約を結んだ。
日本は”鎖国”をやめて、下田と箱館の港を開く。

 

この「サスケハナ」という船名は、「佐助」と「花」という日本語からできた言葉であることはあまり知られていない。
というのはウソです。すいません。

これは日本語とまったく関係がない。

「サスケハナ」はアメリカ原住民の言葉で、ウィキペディアによると「広く深い川」という意味になる。
アメリカには「サスケハナ川」という川もある。

 

1854年ごろ、日本の版画に描かれたペリー(ウィキペディア)

下が実際のペリー。

 

ペリー来航の92年後、日本にこの男があらわれた。

 

アメリカの軍人で連合国軍最高司令官だったダグラス・マッカーサー。

ペリーは海から来たけれど、マッカーサーは「バターン号」という飛行機に乗って空からやって来た。

この「バターン」という名称は、太平洋戦争中のフィリピンでおこなわれたバターン半島での戦いにちなむらしい。
多くのアメリカ人捕虜が亡くなった「バターン死の行進」をアメリカ人は深く恨みに思っていた。

 

 

このときの日本は完全にマッカーサーの支配下にあった。

ウィキペディアにはこうある。

天皇と日本政府の統治権はマッカーサーに隷属しており、その権力を思う通りに行使できる。我々と日本の関係は条件付きのものではなく、無条件降伏に基づいている。マッカーサーの権力は最高であり、日本側に何の疑念も抱かせてはならぬ。

マッカーサーを補佐していたウィリアム・ジョセフ・シーボルドは「物凄い権力だった。アメリカ史上、一人の手にこれほど巨大で絶対的な権力が握られた例はなかった。」と評した。

 

このときのアメリカが日本を変えた象徴に、日本国憲法がある。
日本は現在まで、この憲法を一度も変えずに守り続けている。

マッカーサーは日本を「戦争させない国」にするため、この国を徹底的に変えた。
くわしいことは政策を見てほしい。

 

でも、そんなアメリカに逆らっても、日本人は漢字をなくさなかった。
日本人はどれだけ漢字が好きなのか?

くわしいことはこの記事をどうぞ。

日本人と漢字②アメリカが日本の漢字を廃止しなかった理由。

 

 

日本は戦艦ミズーリ号の上で降伏文書に調印した。
頭を下げていているのが重光葵(しげみつ まもる)外務大臣。

 

このとき戦艦ミズーリには、こんな星条旗(アメリカ国旗)がかかげられていた。

 

日本を開国させるためにペリーがやって来たとき、ペリーの船にはこの旗がかかげられていた。

マッカーサーはこの日ために、アメリカからこの星条旗を取り寄せていたのだ。
バターン号でやって来て、降伏する日本人にこの旗を見せつけた。

マッカーサーが日本と日本人をどう見ていたのかが伝わってくる。

 

 

このときの演説からすると、マッカーサーはペリーのように、日本を開国させてやろうと本気で考えていたのだろう。

上の画像と下の文は「NHK 映像の世紀 ジャパン」から。

私たちは今、92年前の同胞ペリー提督と同じ立場にいる。
ペリー提督の目的は、日本に英知と進歩の時代をもたらし、世界の友情と貿易と通商に向かって孤立のベールを取り払うことであった。

しかし恐ろしいことに、日本は開国によって、西洋の科学から得た知識を利用し、迷信と武力に訴えることによって、言論の自由、さらには思想の自由までも否定したのである。

私の目的は、ふたたび日本民族のエネルギーと才能を建設的な面に向けることだ。
私たちの指導によって、この国は現在のみじめな状況から立ち上がり、尊厳に満ちた地位を獲得することができる。

 

マッカーサーは日本人を「12歳の子ども」と言った。
英語の「ティーンエイジャー(Teenager)」は日本語の「10代」とはちがって、13歳から上をさす。

日本人はまだティーンエージャーにもなっていない。
マッカーサーは日本人を徹底的に教育して、変えようと考えていたらしい。

 

 

こちらの記事もどうぞ。

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。