中国三大悪女「西太后」という最悪の女と関羽の墓参りの理由

 

今回の内容

・最悪のタイミングに西太后
・「中国三大悪女」
・麻雀と墓参り

 

・最悪のタイミングに西太后

「中国の不幸は、国が大変なときに西太后があらわれてしまったことです。あれは最悪な人間でした」

大連に行ったとき、中国人のガイドさんがそう話していた。

たしかに19世紀末の中国は、かなりヤバかった。
中国(清)はアヘン戦争に負けて、第二次アヘン戦争にも負けてしまった。
さらに、日清戦争で日本にも負けてしまった。

 

中国の領土がどんどん外国に奪(うば)われてしまう。

そんな国家存亡の危機に権力をにぎって中国を動かしていたのが、西太后(せいたいこう)という女性だった。

 

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西太后(ウィキペディア)

 

中国人のガイドは、西太后に怒る。

「日清戦争で中国が負けたのは、西太后のせいなんです!本当は、北洋艦隊に当てるはずだった予算を、西太后が自分のために使ってしまったんですよ」

「北洋艦隊」というのは、清が自慢にした艦隊のこと。

西太后は「頤和園(いわえん)」という大庭園と自分の「60歳の誕生日パーティー」のために、とんでもない金額の国の予算を使いこんでしまった。
それは本当なら、北洋艦隊を増強するためにつかうための予算だったらしい。

 

そのことはウィキペディアにも書いてある。

清朝の敗北は北洋艦隊の予算不足により、艦船は整備されたものの操練が遅れていたことが主要因とされている。

北洋艦隊の予算の不足については、1885年から始まった頤和園の再建と拡張に伴う予算が不足気味となったため、予算を内務府へ数百万両ほど流用した事や西太后の大寿(60歳)を祝う祭典で多額の出費をした事が影響している。

 

国の予算を自分の好きなように使ってしまう。
これが、前にかいた西太后による「国の私物化」というもの。

 

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北京にある王宮「紫禁城」
この獅子も西太后を見たはず。

 

・「中国三大悪女」

さらに西太后は、「中国三大悪女」の一人としても有名。

他には、漢の呂 雉(りょ ち)と唐の武則天(則天武后)がいる。
でもこのなかで、残酷さでいうなら漢の呂雉が一歩ぬけているかな。

ウィキペディアでは、文だけも「閲覧注意」というレベル。
食事中はやめた方がいいよ。

 

清朝の末期、「中国も日本のように、憲法をもった国にしよう!」と「変法(へんぽう)」という運動が起きたけど、西太后はこれをつぶしてしまう。
そして多くの人を処刑した。

西太后は宮中に乗り込み無血クーデターにより政権を掌握し、変法派の主要メンバーを処刑、さらに光緒帝を拘束して中南海の瀛台(エイダイ)に幽閉し、三度目の垂簾聴政を開始した(戊戌の政変)。

この結果、康有為や梁啓超といったリーダー格は日本へ亡命したが、康有為の弟や譚嗣同を含む6人が処刑された。

(ウィキペディア)

 

「西太后の残酷話」で、必ずといっていいほど出てくるのが「珍妃(ちんき)」というかわいそうな女性。

ca. 1860s --- Cixi, both as Empress and as Empress Dowager effectively ruled China from 1861 until her death in 1908. The Empire collapsed three years later. --- Image by © Bettmann/CORBIS

珍妃(ウィキペディア)

 

西太后の息子である「光緒帝(こうしょてい)」が、もっとも愛したのはこの珍妃という女性だった。

でも西太后は、義和団事件がおきて北京から脱げだすときに、この息子の妻を井戸に投げすてて殺してしまう。

ひきずり出された珍妃に、西太后はいった。

「洋鬼子(西洋の鬼ども)のはずかしめを受けたら困るので、お前もつれていってやる」

すると、地べたに伏していた珍妃は、

「皇帝陛下は北京にとどまり、洋鬼子との和議にあたられるべきでございましょう」

といったのである。西太后は激怒した。

「井戸にぶちこんでしまえ!」

光緒帝が泣いて西太后のひざにとりすがり救命を乞うたがだめだった。李蓮英ら太監たちがかるがると珍妃をだきあげ、寧寿宮わきの井戸にほうりこんだ。地に伏して泣く皇帝を輿におしこめると、一行は出発した。

珍妃の井戸

北京の紫禁城にはこのときの井戸(珍妃井)がある。

 

ちなみに「景福宮」は韓国だけではなくて中国にもある。

 

・麻雀と関羽の墓参り

北京から西太后が脱出したとき、宮廷の中にいた多くの人たちも逃げだしている。
そんな人たちが、それまで宮廷でやっていた遊びを一般の中国人に伝えたという葉話がある。

それが、麻雀(マージャン)。

一説によれば、義和団事件で西太后をはじめ王室の首脳が西安に逃げ、宮女たちが四散したとき、このゲームが民間にひろがったという。

(日本的 中国的 陳舜臣)

 

北京から逃亡した西太后は西安に向かう途中、洛陽に立ち寄った。
どうやら関羽のお墓参りをしたかったらしい。

洛陽のガイドの話では、このとき西太后は「逃げてきた」とは言わずに、「北京から狩りをしにきた」と地元の人間に言っていたという。

「『逃げた』といったら、西太后のメンツがつぶれてしまいますから。中国人にとって、メンツは本当に大事なんです」

「中国人にとって、メンツは命と同じぐらい大事」

それは他のガイドからもきいたことがある。

 

この字は西太后が書いた文字だという。

 

なんで西太后は、関羽のお墓に来たのか?

「関羽は本当に特別な人ですから。西太后は、中国をもう一度強い国にしてほしいと願ったか、力があって信頼できる人間がまわりにほしかったんでしょうね」

ガイドはそんな話をしていた。

「関羽は本当に特別な人ですから」という例として、ガイドはこんな話をしてくれた。
1970年のころ、中国では文化大革命がおきて国内の遺跡がメチャクチャに破壊されていた。
そのときでも、この関羽の墓はだれも破壊しなかったらしい。
関羽は、中国人にとって本当に特別な存在のようだ。

 

 

ボクが話を聞いた大連のガイドは、西太后の残酷さについて気にしていなかった。

「中国の歴史ではもっとひどいことがたくさんありましたから」

たしかに。

それよりもガイドは、西太后が国のお金を自分のために使ってしまったこと、国を私物化したことを怒っていた。
この点、同時代の日本には、一切の私物化がなかった明治天皇がいてよかった。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。