明治天皇という人を知る。お人柄・好き嫌い・「わがまま」

 

はじめの一言

「日本人のように遊び好きといってよいような国民の間では、子供特有の娯楽と大人になってからの娯楽の間に、境界線を引くのは必ずしも容易ではない
(グリフィス 明治時代)」

「逝きし日の面影 平凡社」

 

 

今回の内容

・天皇のプレッシャー
・明治天皇はどんな人?

 

・天皇のプレッシャー

明治時代の天皇はどんな存在か?

庶民からしたら、神にも近い存在だったかもしれない。
憲法では、このような存在とされていた。

天皇はその尊厳や名誉を汚してはならない神聖不可侵で、強大な天皇大権が存在した

(日本史用語集 山川出版)

憲法にはこう規定されている天皇だったけど、明治天皇が天皇になったのは本当に突然で、かなりの重圧があったようだ。
孝明天皇が病気で亡くなられてしまって、急に天皇になることになってしまった。

このとき、まだ16歳
これは当時の数え歳で、今なら満14歳。

 

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20歳のころの明治天皇
(「明治天皇を語る ドナルド・キーン」から)

 

しかも、ふつうの時代ではない。
この時代は、西洋諸国がアフリカやアジアを植民地にしながら、日本に近づいていたというとても大変な時代だった。

日本も政治のやり方をまちがったら、植民地にされるかもしれない。

日本がヨーロッパに征服されて植民地にされるかもしれないという、この時代の共通した危機意識があった

(「明治」という国家 司馬遼太郎)

いわゆる「風雲急を告げる」ってヤツですね。
そういう危機感や恐怖をたくさんの日本人がもっていた時代。

そんな困難なときに、16歳で急に天皇になるというのは、とんでもないプレッシャーだったはず。

あまりに突然の発病、死だったため、明治天皇は天皇になる準備を全然していなかった。
教育を受けたといっても伝統的な内容ばかりで、これから新しい時代への対応など何も教えられていません。
元服すら済ませていないほどで、天皇としてどうすべきか父親から聞く時間などありませんでした。
悲しみと不安からか、睡眠もままならず食もすすまなかったようです。

(明治天皇を語る ドナルド・キーン)

でも結果からしたら、日本は植民地になるどころか約50年後には国際連盟の常任理事国になって世界の五大大国になっている。

文明開化の日本の社会

 

・明治天皇はどんな人?

この時代に明治天皇がいなかったら、国際社会での日本の飛躍はなかったはず。
ところで、明治天皇という天皇は、どのような人だったのか?

 

先ほどの日本史用語集をみると、「神聖不可侵」「強大な天皇大権」という言葉があって、なんかものすごく遠い存在に感じる。

でも、実際の明治天皇は、地方にいったときに蚊に襲われても蚊帳をつかわないような方だった。

巡幸中のある日、寝ようとした際、蚊の大群襲われたことがありました。侍従が蚊帳に入るよう進言すると、天皇は、一般の民衆には蚊帳がない、自分は一般の民衆と同じような体験をしたい、貴族のように立派な蚊帳の中にいては民の気持ちがなどわからない、蚊に襲われることがないような巡幸は本当の巡幸ではない、と答えた。

(明治天皇を語る ドナルド・キーン)

また西南戦争で負傷者がいたら、その傷にふれていたわりのお言葉をのべられる。

西南の役では官軍側にも多数の死傷者がでました。 天皇は士官などを晩餐に呼び労をねぎらいます。
そのなかに腕や指をなくした者、片目を失った近衛士官も含まれていた。 彼は一人一人に負傷した場所や日時を聞き、「疼痛既に去れりや」と彼らの傷痕に触れてあげたのです。
負傷者はそのやさしさに泣き崩れ、それを見守っていた者たちも涙を流さずにはいられませんでした。

(明治天皇を語る ドナルド・キーン)

これ、以前の記事でもかいたけど、個人的に好きなエピソードだったから、また書いてしまったのだよ。

今の政治家から「国民とともに」という言葉を聞いても、その言葉と実態が合っているかかなりアヤシイ。
でも、明治天皇の言動をしると、その言葉が本当にふさわしいと感じる。
本当に、稀有(けう)な存在だと思う。

 

 

・刺身と花見と風呂が嫌い

こんな明治天皇は、実は刺身と花見と風呂が嫌いだったらしい。

食べ物に対する趣味のことですが、明治天皇はお刺身が大嫌いでした。絶対に食べなかった。川魚は好きでしたが、海魚は絶対に食べません。

花見も嫌いで、なるべく花見は行かないようにしていました。

風呂も嫌いでした。夏以外、風呂に入ることはまずありませんでした。
(明治天皇を語る ドナルド・キーン)

「刺身・花見・風呂」は、現在の日本人が大好きなものばかり。
これはお嫌いだったけれど、お酒とアイスクリームは大好きだったという。

 

 

明治天皇も人の子で、「わがまま」をいわれたたことがあったらしい。
この「わがまま」という言葉は、「明治天皇を語る」という本のなかでドナルド・キーン氏がつかっている。

それは、京都に母親のお墓参りをしてから東京にもどられるときのこと。

ついに東京に戻る日のことです。
天皇は名残惜しかったのか、御召列車の出発時間を急に二十分遅らせようとしたのです。
役人から時刻の変更は難しいといわれた彼は、そもそも特別に用意された列車なのにどうして変更できないのだ、と怒り出してしまった。(同書)

「明治天皇がわがままを言われた」

ということより、時刻を変えなかった役人のすごさの方が目立つ。
さすが、時間厳守で世界一といわれる日本人だ。

次回は、明治天皇の別の面を紹介します。

 

 

 

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2 件のコメント

  • 16歳というのは数え年なので明治天皇が即位したのは、満年齢だと14歳で現代だと中学2、3年生なんですけどね

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    今まで、東南アジア、中東、西アフリカに旅をしてきました。外国に行って初めて気がつく日本の良さや特長があります。以前、歴史を教えていたので、その経験もいかして、日本や世界の歴史や文化などをテーマに、「読んでタメになる」ようなブログを目指します。