日本とタイの良い関係、その歴史 泡盛・家康・トゥクトゥク

 

はじめの一言

「日露戦争でロシアが敗れて初めて独立という考えが生まれた(ネール 昭和)」

「‘日本離れ’できない韓国 黒田勝弘」

 

 

今回の内容

・日本とタイの関係
・徳川家康とタイ

 

・日本とタイの関係

前回、「日本が好きな国の第1位がタイだった!」ということを紹介した。

タイがそう言ってくれたことだし、これを機会に「日本とタイの関係」について書いていきたい。
もともとボクがタイを好きで、興味もあったしね。

 

さて、日本とタイの関係はいつから始まるのか?
東京のタイ王国大使館のHP「タイ日関係」によると、14~15世紀(室町時代)になる。

でも、このときは室町幕府とタイとの間で関係があったわけではなくて、琉球(沖縄)がタイと貿易をやっていたらしい。

 

この時代のタイは「アユタヤ王朝(1351年 – 1767年)」と呼ばれていた。
意外なことに、沖縄のお酒「泡盛(あわもり)」が生まれた背景にはタイの存在がある。

日本の文献によれば、沖縄の特産品「泡盛」は琉球貿易が盛んだった14 世紀中頃から製造され始めたとされる。
シャムの交易船が琉球に赴き交易をした際、土甕に貯蔵したラオロン(タイの廊酒)を持ち込んだ。

泡盛の酒造方法はラオロンと非常に似ている。泡盛は短粒種のジャポニカ米を原料としない唯一の日本酒で、昔からタイ米を原料として製造されている。

タイ王国大使館HP

 

・徳川家康とタイ

16世紀末、豊臣秀吉が朝鮮出兵をおこなっている。
実はこのとき、タイの軍隊と日本軍が戦う可能性があった。

このときのアユタヤ(タイ)の王は、「ナレースワン」という。
この王はタイの「三大大王」の一人として、今のタイ人の間でもとても有名で人気もある。

このナレースワン王が明(中国)に、日本と戦うためにタイの軍隊を派遣することを提案していた。

豊臣秀吉の朝鮮出兵の情報を耳にした一五九二年には、明に対して日本の行動を阻止するためにアユッタヤーの海軍を派遣することを提案していた。

(物語 タイの歴史 中公新書)

もちろんこれは実現しなかった。
もし、実際に戦っていたらどうなっただろう?

 

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朝鮮出兵のとき、日本と戦った朝鮮軍の旗
亀甲船のものかな?

 

日本とタイが記録に残るかたちで貿易がはじまるのは、1604年から。

このときは、徳川家康とアユタヤ朝の王「ソンタム」の間で次のようなあいさつが交わされている。

ソンタム王からの書簡

「タイと日本を隔てる海の存在が我々二国間の交流を困難なものとしていました。ですが、両国の商船が定期的に二国間を往復し、両者の関係を今まで以上に緊密なものにしています。

あなた(将軍)が私共に対して親愛の情を抱いてくださっていることは明白です。私達の血縁者よりも強い親愛の情を。

タイ日関係)

徳川将軍からソンタム王への書簡

「我々二国間の友好関係を壊すことはできません。両国を隔てる海の存在など、我々が持つ相互の信頼関係の前では大したことはないのです。

タイ日関係))」

と、こんな感じで、友好的に関係がはじまったという。

 

 

ところで、鎖国は徳川家康がはじめたと思ってなかった?
ときどきそう思っている人がいる。

実際には、家康は積極的に海外貿易をしていた。
それが朱印船貿易で、これは中学校のときにならったはず。
最初の鎖国令がだされたのは1633年で、家康が死んだあとのこと。

 

東京に「八重洲(やえす)」という地名がある。
これは、この時代に日本にきて家康のお気に入りになったオランダ人の「ヤンヨーステン」にちなんでつけられたもの。

 

 

ちなみに「鎖国」という言葉をつくったのは日本人ではなくてドイツ人ね。
それを日本語に訳した言葉。

鎖国の語は、19世紀初め、志築忠雄がケンペルの「日本誌」の一部を「鎖国論」と抄訳したのが最初。

(日本史用語集 山川出版)

意外じゃなかった?

 

 

さて、家康の時代には、日本から多くの日本人がアユタヤに渡っていた。

その中でもっとも有名な人は、「山田長政」だろうね。
タイ人の友だちも、彼の名は知っていた。

次回、この山田長政について書きます。

 

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おまけ

タイといったら、上の写真の「トゥクトゥク」が有名。
これが、「日本生まれ」って知ってました?

まあ、ボクは知らなかったけど。

東京のタイ王国大使館のHPに、そう書いてあった。

 トゥクトゥクは、人力車の車体とバイクのエンジンを組み合わせたものから発展し、物品の運搬によく利用されていた。

1934 年に日本自動車メーカー(ダイハツ)が軽三輪自動車(ミゼット)をタイに輸出したことにより、タイ人はミゼットを利用するようになった。特にバンコク市内で人力三輪車による人や物の運送が禁止されてからミゼットの利用が大変普及し、人力三輪車の代用となった。

しかし、その後ダイハツがミゼットの生産を廃止し、修理用の部品が入手困難になったため、タイの車修理工や職人達が三輪自動車の車体をタイ風に改造するようになり、独特なタイの三輪自動車トゥクトゥクが誕生し、修理部品も簡単に求められるようになった。

現在、タイはトゥクトゥクを生産、輸出している。日本生まれのトゥクトゥクはタイで改造され成長し、世界中でよく知られるようになったと言える。

日本生まれのタイのトゥクトゥク

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。