タイ好きへ!明治天皇と国王ラーマ5世「独立を守った名君」

 

はじめの一言

「この国には平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にもましてよく耕された土地が見られる。(シュリーマン 江戸時代)」

「日本賛辞の至言33撰 ごま書房」

 

 

今回の内容

・独立を守ったこと
・亡くなった年

 

「あなたが尊敬する歴史上の人物はだれですか?」

とタイ人にきいた場合、「ラーマ5世ですね」という人が一番多いと思う。

タイで国王は高い地位をしめているけど、ラーマ5世は歴代のタイ国王の中でも、特に人気があって尊敬を受けている。

実はそんなラーマ5世には、明治天皇とたくさんの共通点がある。
前回、その2つを紹介した。
今日はもう2つを紹介したい。
ではどうぞ。

 

1、独立を守った

このことについて、日本のことは書く必要はないよね。

今までに何度か書いたこともあるし。

ということで、タイついて。

ラーマ五世が30歳になったころ、国王がシャムの独立維持をどのように達成させるべきかの方法を探っていた。

(東南アジア史 山川出版社)

 

ラーマ5世は、1868年15歳でタイの国王になっている。
だから、30歳になったころというのは1883年のあたり。
このとき、タイの隣のビルマ(今のミャンマー)が大変だったんだよ。

イギリスとの戦争(第二次英緬戦争)に負けて、国土の多くをイギリスに奪われていたのだ。
アヘン戦争でイギリスに負けて、香港を奪われた中国みたい。

 

この当時のタイにとって、ビルマとはどんな国だったか?
一言でいえば、「最大にして最強のライバル」!

ケンシロウにとってのラオウみたいな。

なんせタイ(アユタヤ王国)は、一度ビルマによって攻め滅ぼされているからね。

侵攻してきたビルマによって14ヶ月間包囲された後、1767年4月7日の総攻撃で一夜にして破壊され、滅亡してしまいました。

(在日本タイ王国大使館)

ビルマ軍に破壊され燃やされたアユタヤ

 

だから、ビルマという国の強さや恐ろしさは、タイがどこよりも知っていたはず。

現在のバンコクの位置に、その「恐怖」があらわれている。
今のバンコクは、チャオプラヤー川の東側にある。

 

最初、タークシン王は川の西側に首都をつくっていた。
けれど、今の王朝の初代国王になるラーマ1世が、首都をチャオプラヤー川の東に移動している。
そしてこれが、現在のバンコクになっている。

 

王宮が川の東側にあるよね?

 

なんで川の東に移したか?
「対ビルマ」を考えてのこと。
西側からビルマに攻め込まれた場合、大きな川が間にあった方が首都を守りやすいから。

 

ビルマは強いし、戦っても勝てるかは分からない。
だから守備を重視して、首都を守りやすいところにおいた。
この当時、ビルマはタイを脅かす恐怖の存在だったのだよ。

 

 

1886年、そのビルマに決定的なことがおこる。

ビルマ王朝は滅亡し、1886年にイギリス領インドに併合されてその1州となる。ビルマ国王夫妻はイギリス領のインドのボンベイに流刑になり、その地で死亡した。

(ウィキペディア)

 

ビルマという国が地上から消えてしまった。
そして、ビルマの国王夫妻はイギリス軍につかまってインドに流された。

 

「これと同じことがタイでも起きたら?」
タイ政府の人たちは、言葉を失って背中に冷たいものを感じただろう。

アヘン戦争での清の敗北を知った日本以上の衝撃だったはず。

 

 

ここで、ラーマ5世が30歳になったころに戻る。

ラーマ五世が30歳になったころ、国王がシャムの独立維持をどのように達成させるべきかの方法を探っていた。

(東南アジア史 山川出版社)

 

ということで、これがだいたいビルマが滅亡したころになる。
そのちょっと前かな。
では、タイが植民地にはならず、独立を維持するためにはどうすればいいのか?

 

このときにタイがだした答えはこれだ!

イギリスやフランスにいた11人のタイ人王族・貴族がまとめた意見書には、こう提案している。
「東洋で西洋の道を進む唯一の国である日本をモデルとして立憲政体をつくることで、西洋の信頼をえるとともに、国民のあいだに愛国心を培うべきであると提案した

(東南アジア史 山川出版社)

 

アジアには、日本がいるじゃないか!

タイにとって明治の日本はどんな国だったのか?

タイの高校生が使う歴史教科書に、日清戦争と日露戦争で日本が勝利したことについてこう書いてある。

中国とロシアに対する日本の勝利は、ヨーロッパの植民地下にあるアジアの国々に影響を与え、小さな国のアジア人も、白人の大国ヨーロッパに勝てるかもしれないという確信をもたらした。この勝利はアジア諸国に影響を与えただけでなく、日本は自国の威力に自信をつけた。

(タイの歴史 明石書店)

 

タイは、このときから日本に一目おいていたはず。
同じアジア人だしね。

ということで、タイは「日本をモデルとして立憲政体をつくること」をめざした。
ここでいう「立憲政体」っていうのは、立憲君主制とおなじもの。
天皇(君主)と憲法があった日本の政治体制のことね。

 

ということで、ここでタイ(シャム)と日本のつながりがでてきました。
おめでとう!

西洋諸国に倣い国を発展させなければならない時代、二人の君主は外交交流を再開しました。

(在東京タイ大使館HP)

 

でも、タイがすぐに立憲君主制になったわけではない。
それは、これから先のこと。
でも、日本とタイが独立を守りとおしたことは事実だし、今の日タイ関係を考えるうえでもとても大事なこと。

 

 

2、亡くなった年

お二人は亡くなった年も近い。
ラーマ5世は1910年、明治天皇は2年後の1912年にこの世を去った。

前回書いたことを覚えてますか?

明治天皇とラーマ5世は、生まれた年がたったの1年違い。
さらに、王(天皇)に即位したのはともに1868年でまったく同じ年。
そして、亡くなったのは2年違い。

ここまでの共通点は運命だ。
タイと日本は仲良くしなきゃいけない。

 

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2 件のコメント

  • 亡くなったのは逆ではないでしょうか?ラーマ5世が2年先ではないでしょうか?

  • ご指摘ありがとうございます。
    調べてみたら、そのとおりでした。
    在日タイ大使館の記述が間違ってますね。
    訂正しておきました。

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    ABOUTこの記事をかいた人

    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。