日本史の特徴「君側の奸を討つ」の例①西南戦争・二二六事件

 

はじめの一言

世界的な建築家ドイツのブルーノ・タウトが昭和の日本にやって来て、御所を見てこう感心した。

「衣冠束帯に威儀を正した百官卿相の出入りする諸室も、簡素のきわみである。これほど質素な大臣たちの食堂(殿上間)が、世界のどこに見出されるであろうか」

ヨーロッパや中国の皇帝と違って、日本の天皇は国民の犠牲の上にぜい沢な暮らしをしていなかったようだ。

 

 

今回の内容

・日本の歴史の特徴
・二・二六事件
・西南戦争

 

・日本の歴史の特徴

前回、日本の歴史の特徴についてチョイと書いたわけだ。

ヨーロッパや中国の歴史では、困窮した国民を救うため、世の中を変えるために王や皇帝を倒す革命(易姓革命)が何度も起きている。
中国ではそれで自殺に追い込まれる皇帝が何人もいた。
たとえば明王朝最後の皇帝・崇禎帝(すうていてい:1627年 – 1644年)は、北京に敵がやって来て逃げられなくり、側室と娘たちを殺してから自分は宮殿(紫禁城)の裏で自殺した。

 

崇禎帝が死んだ場所に建てられた碑文

 

ヨーロッパ史をみると、フランス革命で国王ルイ16世はギロチンで処刑されたし、イギリスで清教徒革命が起きたとき、人びとは国王を捕まえてその首を斧(おの)で切り落とした。

でも日本の歴史では、こんな血なまぐさい革命が一度も起きていない。
明治維新は徳川幕府を倒して新しい時代をつくったことから、「革命」と表現することもあるけれど、「革命的な変化」のほうが正確だろう。
天皇を倒した上で新しい時代を築いたわけではないのだから。

ということで日本史には中国史や西洋史でいう革命はないのだが、その代わりに「君側(くんそく)の奸(かん)を討つ」という出来事は何度か起きている。
「天皇は悪くないけど、まわりにいる人間が腐っている。そいつらは倒さないといけない!」というものだ。

ということで今回と次回に分けて、日本史で特徴的なこの「君側の奸を討つ」の具体例を3つ書いていこうと思う。

 

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京都御所、紫宸殿(ししんでん)の門

 

・西南戦争

西南戦争は明治時代におきた内戦で、高校日本史ではこう習う。

1877年2~9月、最大の士族反乱。

鹿児島の私学校生を中心とした士族が、西郷隆盛を擁して挙兵。
(中略)政府軍に鎮圧された。
徴兵軍の実力が認められ、武力反抗に終止符が打たれた。

(日本史用語集 山川出版)

 

西郷隆盛を中心に、明治政府に不満を持つ人間らによって起こされた反乱だ。

しかし、西郷が敵としたのは政府であって決して明治天皇ではない。
この場合、明治政府が「君側の奸」になる。

一方西郷にしても、天皇に不満を抱いていたわけでは決してない。最後の内乱である西南の役をおこした西郷や鹿児島の士族にとって、その目的は天皇が周囲から悪い影響を受けることなく国を統治できるようにすることでした。

「明治天皇を語る (新潮新書) ドナルド・キーン」

 

これによれば西郷は、明治天皇に悪影響を与えている人間(君側の奸)を倒すために立ち上がったワケだ。
だからこれが「君側の奸を討つ」の代表的な例になる。

 

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明治天皇

 

・二・二六事件

2つ目は昭和のクーデタ「二・二六事件」。
1936年2月26日に発生した、陸軍の青年将校を中心とした集団が首相官邸を襲撃したクーデターだ。
これによって高橋是清大臣らが殺害された。

青年将校たちがこのクーデタを起こした目的も、いま多くの農民が貧困で苦しんでいる原因を天皇のまわりで政治を動かしている元老重心のせいと考え、こうした「君側の奸を討つ」ためだった。

こうした農村漁村の窮状に対する憂国の念が、革命的な国家社会主義者北一輝の「君側の奸」思想の影響を受けていった。北が著した『日本改造法案大綱』は「君側の奸」の思想の下、君側の奸を倒して天皇を中心とする国家改造案を示したもの

二・二六事件

クーデタを起こした青年将校

 

「あなた方陸大出身のエリートには農山村漁村の本当の苦しみは判らない。それは自分たち、兵隊と日夜訓練している者だけに判るのだ」と反発した青年将校たちにとって、 『日本改造法案大綱』は聖典で絶大な影響をうけた

青年将校たちは自分たちが「君側の奸」を討ち、天皇を中心とする新しい政治が行われれば、政治腐敗や深刻な不況などの現状を打破できるとホンキで考えた。

二・二六事件をおこした青年将校は、部下にこんな話をしていたという。

天皇陛下のまわりにいるやつは悪くて、お前たちの本当の状態が天皇陛下の耳へ真っ直ぐ入っていかないんだと。それで、お前たちの田舎の娘さんとか、妹さんが身売りしたりして、お女郎になっている。

「生テレビ・熱論 天皇 (テレビ朝日出版部)」

 

彼らは「天皇のため」と考えてこのクーデタを決起したものの、昭和天皇はこれに激怒した。

天皇はこの無法な行動に対して火のような怒りを示しました。「朕が最も信頼する老臣たちをことごとく倒すは、真綿にて朕が首を締めるに等しい行為なり」

「生テレビ・熱論 天皇 (テレビ朝日出版部)」

 

青年将校たちは忠臣である自分に心酔していただけで、実際には昭和天皇を完全に無視していた。
まぁこんな人間はたまにいる。
「おまえのためを思って、オレがこうしてやったのに」と勝手な思い込みで行動して、当人に迷惑をかけるような。

二・二六事件の首謀者である磯部浅一は獄中で、「天皇機関説を信奉する学匪、官匪が、宮中府中にはびこって天皇の御地位を危うくせんとしておりましたので、たまりかねて奸賊を討ったのです」と書いた。
昭和天皇を磯部らを「暴徒」と呼び、鎮圧を命じたというのに。

 

ということで、西南戦争と二・二六事件は「君側の奸を討つ」の代表的な事件だ。
そしてあともうひとつが1221年の承久の乱。
次回、そのことについて書きますよ。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。