日本の歴史の特徴・君側の奸を討つ②北条泰時の承久の乱とは?

 

はじめの一言

「日本人はたんに芸術の大家であるばかりではなく、人間の生活を芸術作品のように掌握しているのだ(タゴール )」

「日本賛辞の至言33撰 ごま書房」

 

 

今回の内容

・君側の奸を討つ!
・承久の乱

 

・君側の奸を討つ!

中国やヨーロッパの歴史では、王や皇帝を倒す革命が起きている。

でも、日本の歴史では一度もそれがない。
天皇を倒して別の人間が天皇になるということは起きなかった。
でも、天皇はではなくて「天皇のまわりにいる悪いヤツら」を倒そうとする出来事はある。

 

この「天皇のまわりにいる悪いヤツら」のことを、むずかしい言葉で「君側の奸」という。

読み方:くんそくのかん

君主の側で君主を思うままに動かして操り、悪政を行わせるような奸臣(悪い家臣・部下)、の意味の表現。「君側」は主君の側、という意味。

(Weblio辞書)

 

前回は、この「君側の奸を討つ」の具体的な出来事を2つ書いた。
それが西南戦争と二・二六事件ね。
今回はもう一つ重要な出来事である「承久の乱」について書いていきたい。

 

 

・承久の乱

中学校のときに習ったよね?
1221年の承久の乱。

後鳥羽上皇が鎌倉幕府を滅ぼそうとして、「北条義時を討て!」と命令する。
後鳥羽上皇からしてみたら、幕府には政権を奪った憎い相手。
だから、幕府からその政権を奪い返そうとした。
そして、天皇を中心とする政治をしたかったんだろうね。

ちなみに、それに成功したのが後醍醐天皇。

1333年、後醍醐天皇は幕府から政権をうばい返して、天皇を中心とする政治をおこなった(建武の新政)。
すぐ失敗してしたけどね。

 

話を承久の乱に戻す。
後鳥羽上皇から「北条義時を討て!」という命令がでたことで、朝廷側と幕府が戦うことになった。このときは北条泰時が率いる鎌倉幕府の軍が勝っている。
結果、後鳥羽上皇をふくめて3人の上皇を島流しにしてしまう。

日本史での承久の乱の意味はこれ。

幕府の朝廷に対する優位が確立した

(日本史用語集 山川出版)

 

このときまで、鎌倉幕府と朝廷の力の差はそれほど大きくなかった。
でも、この戦いで幕府が勝ったことで、実力としては幕府が朝廷の「上」に立つことになった。
この仕組みは、幕末の大政奉還まで続くことになる。

だから、承久の乱は日本史の中ではとても重要なできごとなんだね。

 

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京都御所の桜

 

このとき、幕府側が朝廷に兵をむけた理由が「君側の奸を討つ」というもの。それが北条政子のスピーチの中にある。

上皇が鎌倉幕府を討つように命じたを知って、幕府の御家人たちが動揺する。
これだと、自分たちは「天皇の敵」になってしまうことになる。
自分たちは滅ぼされてしまうのではないか?
そんな不安が広がった。

 

そんな御家人を落ち着かせるために、北条政子がスピーチをおこなう。
スピーチとしては、たぶん日本史でもっとも有名なものだね。

上皇挙兵の報に鎌倉の武士は大いに動揺したが、北条政子が御家人たちに対して鎌倉創設以来の頼朝の恩顧を訴え、「讒言に基づいた理不尽な義時追討の綸旨を出してこの鎌倉を滅ぼそうとしている上皇方をいち早く討伐して、実朝の遺業を引き継いでゆく」よう命じたことで、動揺は鎮まった。

(ウィキペディア)

 

「讒言に基づいた理不尽な義時追討の綸旨を出してこの鎌倉を滅ぼそうとしている上皇方をいち早く討伐して」

ここで、讒言(ざんげん)という難しい言葉がでてきている。

ざんげん【讒言】

他人を陥れようとして,事実をまげ,いつわって悪あしざまに告げ口をすること。

(大辞林 第三版の解説)

 

つまり、北条政子はこう言いたかったんだろう。

「『鎌倉幕府を討て』と上皇が命じたのは、上皇のまわりにいる人間が事実でないことを言って(讒言)、上皇をだましているからだ。だから、そんな人たちこそ討つべし」

こういうことにすれば、敵は上皇ではなくてそのまわりにいる人間(君側の奸)になる。
同時に自分たちは、「天皇の敵」にはならないですむ。

 

 

承久の乱を起こしたのは、「君側の奸を討つため」である。

このことは、上皇側と戦った北条泰時も言っている。
この乱が終わったあと、泰時の師といえる明恵(みょうえ)という仏教僧が泰時にこんな質問をしている。

「なんであなたは、承久の乱のような争いを起こしたのか?」

この質問を受けて、泰時は泣きだしてしまう。

泰時は流れ落ちる涙を知らぬ顔つきでぬぐい、鼻紙を取り出して鼻をかんだりして平静さをとりもどして

(明恵上人伝記 講談社学術文庫)

 

冷静さを取り戻した泰時は、父の義時からこう言われたと述べている。

君主を悪へ誤って導き申し上げてはならない。誤った道へと導き奉った側近の臣どもの悪い行為を罰するだけのことだ、早速出発せよ(明恵上人伝記 講談社学術文庫)

 

ここでいう「君主」は天皇や上皇のことだろう。
「側近の臣どもの悪い行為」というのは、後鳥羽上皇のまわりにいた人間が上皇に事実をねじ曲げたことを言ったこと(讒言)。
そして、「鎌倉幕府を倒せ」という命令を出させたことをさしていると思う。

 

承久の乱は、天皇や上皇をたおすための戦いではないから、泰時は3人の上皇を島流しにしたあと、自分は鎌倉に戻っている。
自分が天皇になるつもりや義時を天皇にするつもりなんてまったくなかったはず。

これが、中国の歴史とちがうところ。
中国人なら皇帝を倒して自分が新しい皇帝になっている。
そのことを次回、書きます。

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。