日本と中国の違い②猿まねではない3つの理由!科挙・道教・名前

 

はじめの一言

*日露戦争の日本の勝利について
「私はいまでも、日本の勝利のニュースが伝えられるたびに味わった、あのときの感激をまざまざと思い出す(ネルー)」

「日本賛辞の至言33撰 ごま書房」

 

 

今回の内容

・日本は猿まねの国?
・名前
・科挙
・宗教

 

・日本は猿まねの国?

「日本にあるものは、中国のコピーですよ」

西安に行ったときに、中国人のガイドさんがそんなことを言いやがった。
そういえば前に会った日本人の旅行者も、こんなことを言っていたのを思い出した。

「日本は結局、猿まねがうまいだけの国だよ」

そう?
日本って猿まねの国なのかな?

いやいやいやいや。ちがいます!
「考えもなく」まねたらそれは猿まねだろうね。
でも、日本は唐からちゃ~んと考えてまねて(学んで)たから。

奈良・平安時代の日本は、主体性があった。
「唐にあるものは全部良いものだ」と、むやみに取り入れていたわけじゃない。
唐にあった制度や文物の中から、「日本に合ったもの」や「日本にとって必要なもの」をよ~く選んで受け入れていた。

 

日本が取捨選択をしていて主体的に取り入れていたことが、猿まねじゃない理由。
「日本が唐から何を取り入れたか?」は以前の記事で書いたから、今回は日本が取り入れなかったことを3つ紹介します。

日本人が「これは日本には合わないな」「これはイヤだな」と思ったことを知ることで、日本がどういう国か分かると思う。
猿まねの国じゃないってこともね!

 

001029

紫禁城

 

1、名前

中国(唐)から学んでいたのは日本だけじゃなかった。
当時は新羅(韓国)も唐から学んで、いろいろなものを取り入れていた。

でも、その取り入れ方が日本とはちがう。
新羅の場合は、文明の中心である中国(唐)に近づこうとしていたようにみえる。
簡単にいったら、新羅は自国を「中国風」にしていた。

 

たとえば、名字を中国式に変えている。
今の韓国人は、「李」や「金」など漢字1字の名字がほとんど。
この中国人風の名字なったのは、7世紀ごろに新羅が中国式の名字を採用してから。

現在、使われている中国式の姓が一般化してきたのは、中国から漢字が導入され、定着してきた七世紀以後と考えられている。

実際に、朝鮮半島で姓が生まれたのは、統一新羅時代になったからである。統一新羅の王族、貴族が中国・唐の文化を取り入れるなかで、中国式に姓をもつようになっていったのだ

(人名の世界地図 文春新書)

 

日本は唐からいろいろなものを取り入れたけど、名前を中国式にはしてはいない。

 

枯山水の庭も中国にはない。
日本独自のもの。

 

2、科挙

さらに新羅は唐の科挙制度を取り入れたけれど、日本はそれも取り入れていない。

科挙《唐》

科目試験による官僚登用制度。隋の制度を継承したうえ、唐は科目として進士のほか秀才・明経などの諸科を設けた。

(世界史用語集 山川出版)

 

この科挙に受かれば国の役人になることができるから、今でいう「国家公務員試験」のようなもの。

上の文に「秀才」という文字が見えるよね?
以前の記事でも書いたけど、今の日本で「頭がいい人」の意味でつかう「秀才」という言葉は、ここから生まれているらしい。

秀才

2 中国で、科挙の試験科目の一。のち、科挙に応じる者および合格者をさすようになった。また、明・清時代には府・州・県学の在学生を称した。

3 律令制の官吏登用試験科目の一。また、その試験に合格した者。(デジタル大辞泉)

 

科挙試験の科目の名前であり、その試験に合格した人を「秀才」といったらしい。

 

韓国は科挙を取り入れた。
科挙試験に受かった人は両班という特権階級になった。

 

3、宗教

日本が受け入れなかったのは、他にも宗教がある。
唐では、道教を国の宗教にしていた。

この理由の一つは、「名字」にある。
唐を建てたのが李世民で一族は、「李氏」。
で、道教を始めた人をたどっていくと老子にいきつく。
この老子の名字が「李」ということで、同じ「李氏」になる。
これが、唐の皇帝が道教を国教にした理由の一つらしい。

 

唐の玄宗皇帝は、「道教を日本に持って行きなよ」と遣唐使にすすめたらしい。
こんなカジュアルに言ってはないだろうけど。
でも、日本人はそれを断ったという。
日本には必要ないからだろう。

 

韓国でも道教を取り入れたとは聞いたことがない。
その意味では、韓国も中国の猿まねではなかったと思う。
ただ、ムーダンの儀式のなかには道教の要素がある。
ムーダンの護符は道教の護符とそっくりだし。

 

ムーダン

 

日本は、道教の言葉なら取り入れている。
「天皇」という言葉は道教の用語だといわれている。

天皇

大王に代わる君主号。推古朝頃に成立とする説もあるが、律令制が急速に整備され、君主が神格化される天武・持統朝頃、道教の神、天皇大帝に由来するという天皇号が採用され、飛鳥浄御原令で正式に規定されたする見方が有力。

(日本史用語集 山川出版)

 

もちろん道教の用語を使っているだけで、天皇大帝という神と日本の天皇とはまったく別の存在。
日本人が天皇という言葉を選んだのだろう。

 

ということで、どうだろう?

何を選んで何を捨てるかを判断していれば、それは猿まねではない。
日本は「唐にあるものなら何でも取り入れようとした」というわけではなかった。
日本人が取捨選択をしていて、日本や日本人に合ったものだけを取り入れている。
盲目的ではなくて、あくまで主体的。

だから、日本は猿まねの国じゃないよ~。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。