横浜やタイの中華街、世界中にある「関帝廟」とは?歴史や信仰

 

はじめの一言

「郊外の豊饒さはあらゆる描写を超越している。山の上まで美事な稲田があり、海の際までことごとく耕作されている。恐らく日本は天恵を受けた国、地上のパラダイスであろう。人間がほしいというものが何でも、この幸せな国に集まっている(リュードルフ 江戸時代)」

「逝きし日の面影 平凡社」

 

 

今回の内容

・世界の関帝廟
・関帝廟とは?
・関帝廟の歴史

 

・世界の関帝廟

前回、道教という宗教のちょっと話をした。

奈良・平安時代、日本は唐からいろいろものを受け入れたけど、道教は受け入れなかった。
でも、今の日本で道教の影響を見ることはできる。
それが「関帝廟(かんていびょう)」という道教の建物。

 

横浜の関帝廟

 

横浜や神戸の中華街で見た人も多いと思う。
日本だけじゃなくて、世界中にこの関帝廟はある。

タイ

チェンマイ最大のマーケット、ワロロット市場のすぐ隣りにある中国の霊廟。財の神として名高い三国志の武将・関羽が祀られています。タイの寺院や祠とはまた違った魅力を備える霊廟で、商売繁盛を願いましょう!

バンコクナビ

 

韓国にも有名な関帝廟がある

壬申倭乱(イムジンウェラン、日本でいう文禄・慶長の役)の際に朝鮮と中国(明)の連合軍が日本軍を退けることができたのは関羽将軍の霊のおかげだとして、中国皇帝の要請により戦乱直後の1601年に建てられ、朝鮮王朝歴代の王にも尊ばれました。

KONEST

 

他にもマレーシア、台湾など世界中にこの関帝廟はある。
この関帝廟は、いつかどこかで見ると思う。
だから、知っておいても損はないはず!
ということで、今回はこの関帝廟について書いていきいたい。

 

 

・関帝廟とは?

「関羽って誰よ?」

という人もいると思う。
関羽は、三国志に出てくる化け物みたいに強い武将。
具体的には、こんな人。

関羽

[生]? [没]建安24(219)

中国,三国時代の蜀漢の武将。河東 (山西省) の人。字は雲長。劉備に従い,張飛とともにその経営を助けた。かつて曹操に捕えられたが,厚遇された。彼は袁紹の部将顔良を斬って曹操の恩に報いたのち,劉備のもとに帰った。

(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説)

 

この武将の関羽が神になって祭られているのが「関帝廟」という建物。
武将なんだけど商売の神様にもなっている。

また武将として理財にも精通していたため、商人は「財神」すなわち金儲けや商売繁昌の神として信仰しています。
武将にとっても商人にとっても一番大切なものは信義・信用という点から、商業神としての信仰も厚く奉られています。
關羽様に対する信仰は中国本土にとどまらず、次第に世界各地に広がりました。

横浜関帝廟HP

 

「理財にも精通していた」ということから、関羽が算盤(そろばん)をつくったという説まである。

金銭出納簿や算盤をつくったともされ、金もうけや商売繁昌の神として、商人、とくに中国料理屋の経営者はふかく信仰している。

(道教の神々 窪 徳忠)

 

ちなみに、横浜に関帝廟ができたのは1862年のことらしい。

1862年、一人の中国人が關羽の木像を抱いて、現在の地にささやかな祠を開いたといわれます。これが横浜の關帝廟の始まりです。

横浜関帝廟HP

この1862年には、坂本龍馬が土佐藩を脱藩したり、寺田屋事件や生麦事件が起きたりしている。
いよいよ、倒幕に動きだしている時代だ。

 

タイのワットポーというお寺にある門神
ひげといい持っている武器といい、関羽だと思うんだけどなあ

 

・関帝廟の歴史

三国志には、関羽の他にも張飛や馬超といった武将が登場している。
なのに、何で関羽が神となって祭られているのか?
この理由は、人々が関羽の「たたり」を恐れたかららしい。

 

関羽は呉の武将呂蒙(りょもう)によって倒された。
その呂蒙は44歳の若さで亡くなっている。さらに、副将だった孫皎(そんきょう)も若くして死んでしまった。

当時の人たちが、関羽の怨霊のたたりだと考えたのはとうぜんであろう。菅原道真の怨霊をしずめるために、彼を天神さんに祀ったように、関羽の怨霊をしずめるために廟が建てられた。

(曼陀羅山 陳舜臣)

 

神となった関羽への信仰がさかんになったのは、500年あとの唐の時代かららしい。

関帝への尊信は唐代からさかんになった

(道教の神々 窪 徳忠))

 

これが現在のように中国全土で有名な神様となったのは、清の時代からになる。

清朝は、中国東北部で挙兵して以来つねに関帝の神助があったというので、王室の守護神としてあつく尊信した。清代に関帝廟のない村はないといわれるほど全国的に信仰された背景に、このような王室の態度のあったことは注目すべきである。

(道教の神々 窪 徳忠)

 

現在、横浜やソウルを始め世界中で見られる関帝廟は、清代の信仰と普及が大きな理由になっている。

 

関羽は神となると「関聖帝君」と呼ばれる。
この正式名称はおそろく長い。

なお、関聖帝君は、一六一四年に明朝が与えた三界伏魔大帝神威遠震天尊関聖帝君という封号の略称である

(道教の神々 窪 徳忠)

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。