明治の日本②海外の反応とは?日露戦争・日本海海戦(東郷平八郎)

 

はじめの一言

「平野は肥沃で耕され、山にはすばらしい手入れの行き届いた森林があり、杉が驚くほどの高さにまで伸びている。住民は健康で、裕福で、働き者で元気がよく、そして温和である(オールコック 江戸時代)」

「逝きし日の面影 平凡社」

 

今回の内容

・明治の日本は猿まねの国?
・世界からみた日露戦争

 

・明治の日本は猿まねの国?

「日本は、結局猿まねの国だよ。昔は中国をまねて、明治時代は西洋をまねていただけ」

そんなことを言っていた旅行者と会ったことがある。

そうかな?
奈良・平安時代の日本は唐から多くのことを学んでいたけど、それは決して猿まねではなかったことは前に書いた。
今回の記事では、明治の日本も西洋のマネをしただけではないことを書いていきたい。

 

明治の日本は、ヨーロッパの各国から学んで国を発展させた。
学校の教科書で習う「富国強兵」のこと。

明治初年、自前の独立国として先進国の仲間入りをした日本は、欧米の先進国のいいところを、いいとこ取りで取り入れました。さきにのべたように、民法や刑法はフランス、海軍は英国、医学はドイツ、陸軍も、フランス式からドイツ式へといったふうで、そのあげく憲法もドイツを参考にしたのです

(明治という国家 司馬遼太郎)

富国強兵を成功させた明治日本のはじめの試練は、日清戦争だった。
そのことについては前回書いたね。
今回は、次の試練となった日露戦争について書いていきたい。

 

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日露戦争の旅順攻略でつかわれた280mm砲弾。
大連の博物館

 

・世界からみた日露戦争

日露戦争とはこんなものでしたね。

1904~05

満州・韓国をめぐる日露両国の戦争。

5月、日本海海戦でバルチック艦隊に勝利。9月、米大統領の調停によりポーツマス条約に調印。20世紀最初の帝国主義戦争。

(日本史用語集 山川出版)

はい、この文にある「日本海海戦でバルチック艦隊に勝利」という部分に注目してくだい。

これは東郷平八郎(とうごうへいはちろう)が率いる日本の連合艦隊が、ロシアのバルチック艦隊にこれ以上のないような勝利を収めたこと。

司馬遼太郎の「坂の上の雲」に、ウィルソンというイギリスの海軍研究家の言葉が書いてある。

なんと偉大な勝利であろう。自分は陸戦においても海戦においても歴史上このような完全な勝利というものをみたことがない

(坂の上の雲 司馬遼太郎)

Tōgō_Heihachirō

東郷平八郎(ウィキペディア)

 

この時代の日本をエセル・ハワードというイギリス人女性が訪れていた。
彼女は東郷平八郎のことを「日本のネルソンといわれ、また日本海軍の父といわれた」と絶賛する。

ネルソンはイギリス海軍の提督で、アブキール湾の戦いでフランス艦隊を撃破したりトラファルガー海戦で、フランス・スペイン連合艦隊を破って母国を守ったもはや伝説的な英雄。

イギリス人から「ネルソンのようだ」と言われるのは最高のほめ言葉と考えていい。
その東郷平八郎は目立つことが嫌いで、世紀の海戦に勝利した後もひっそりと暮らしていた。

東郷提督は大勝利を得た後も、東京の小さな人目につかない家に住み、一般の市民と同じく、外に彼の名を記した小さな木製の表札を掛けていた

(明治日本見聞録 講談社学術文庫)

 

明治の軍人とはこういう人だったらしい。

 

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激戦の末、203高地を制した(大連の博物館)

 

日露戦争では何とか日本がロシアに勝利した。
このことが世界中に伝わる。

日露戦争の日本の勝利を、インドネシアの高校の歴史教科書「インドネシアの歴史(明石書店)」ではこう記述している。

日本のロシアに対する勝利は、アジア民族に政治的自覚をもたらすとともに、アジア諸民族を西洋帝国主義に抵抗すべく立ち上がらせ、各地で独立を取り戻すための民族運動が起きた

 

また、インドのネルーは日本の勝利をこう言っている。

アジアの一国である日本の勝利は、アジアのすべての国に大きな影響をあたえた。わたしは少年時代、どんなにそれに感激したかを、おまえによく話したことがあったものだ。たくさんのアジアの少年少女、そしておとなが、おなじ感激を経験した

「日本賛辞の至言33撰 ごま書房」

 

先ほどのインドネシアの歴史教科書では、日本を「アジアの光」と書いている。

インド、フィリピンでは、日本の近代化のあと民族運動がいっそう活発になった。太陽の国が、いまだ闇の中にいたアジアに明るい光を与えたのである

(インドネシアの歴史 明石書店)

 

さらにアメリカ人の歴史家はこういう。

日本が西洋に認められるうえで、日露戦争は有益な学習だった。文明世界は奇妙な小男たちの勇気と闘争心に仰天し興奮した。彼らは民族衣装のキモノを着ながら、たちまちにして近代戦の技術を習得していたのだった。

(アメリカの鏡・日本 ヘレン・ミアーズ)

 

このロシアに対する勝利が、日本の国際社会での地位をおしあげることになった。
この日清・日露戦争の2つの大きな戦いに勝利し、日本は世界からその力を認められることで不平等条約(関税自主権・治外法権)を改正させることに成功した。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。