アメリカ人と京都旅⑧ 離婚にみる欧米の常識は、日本の非常識


 

一言
「オニーダ(オネイダ号)号事件」について」
「この勤勉な日本の仲間、漁民や作業の示した敬虔な行為、慈愛、雅量、そして物惜しみしない姿を米国人は深く心に刻むべきです(シドモア 明治時代)」

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外国人と結婚について話をしていると、つくづく感じることがある。

「結婚って、宗教行為なんだなあ」

と。
大抵の日本人は、宗教に強い関心がないから、結婚が宗教行為だということをあんまり意識していないと思う。
今回の記事は、そんな日本人とキリスト教徒との「宗教行為としての結婚(離婚)」の意識のギャップについて書いていきたい。

 

キリスト教(イスラム教、ユダヤ教も同様)では、人間にとって神(創造主)とは、自分を「つくってくれた」絶対的な存在になる。
その神との契約を結べば、その契約は「死んでも守らないといけないもの」という考えがある、ということは前回の記事で書いた。

 

現在のアメリカ人やイギリス人に聞くと、現実には「神との契約のために死ぬ」という極端なことはしないけれど、「神との契約」はそれぐらい大事なものだという認識はある。

例えば、離婚についても、その考えが表れている。
ここでは、カトリック(キリスト教)の「離婚」の考え方について書いていく。
プロテスタントとカトリックとでは、同じキリスト教でも考え方が違う。
結婚や離婚についても考え方やり方うらしいが、ここではそこまで細かいことは触れられない。

ボクが知っている範囲では、カトリックを広く信仰しているイタリアとフィリピンでは、離婚に対してとても厳しい考え方をしている。
キリスト教徒として、結婚をするときに神に誓って述べた言葉は、もう取り消すことができない。
これは、基本的に他の国でもそうだけど。

教会で「死ぬまで一緒にいます」ということを神に誓った以上、必ずそれは守らないといけない。
だから、日本のように、その後に「性格の不一致」といった理由で、離婚したくなっても、簡単にはできない。
人間が神に誓った言葉を、自分たちの都合で取り消すことはできない。
神にそう言ってしまったのだから、それを「なかったことにする」ということはできない。

 

かといって、離婚ができないと、現実の生活でいろいろと困る。
それで、イタリアでは、1970年に離婚が認められた。
以下のロイター記事にそのことがある。

 「イタリアでは、カトリック教会の妥協で離婚が合法化されたのが1970年。当時は5年間の別居が離婚検討の条件とされ、87年にこの期間が3年に短縮された。
(ロイター 2015年 04月 24日)」

1970年まで、イタリアで離婚が違法だったということが、ボクには意外だった。そんなに離婚に対して厳しい考え方をしていたとは。

戦国時代には、女性から離婚を申し出ることができたり、江戸時代では、「三下り半」で離婚が可能だったりした日本からすると、考えられないほど厳しい。

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 このイタリアの離婚事情をニューヨークにいるアメリカ人と話していたときに、こんなことを聞かれた。

「あなたは、『divorce(離婚)』と『annulment(婚姻の無効)』の違いを知っている?この二つは、まったく別のことなのよ?」

「annulment(アノウメント)」という単語をこのとき、初めて聞いた。
「ウィキペディア」によると、次のようにある。

 「婚姻の無効(こんいんのむこう、英語:annulment)は、婚姻が成立当初から効力を有しないことをいう。したがって、婚姻関係が事後的な事情によって将来に向かって解消される離婚や婚姻の取消しなどとは異なる」

 

ここでも、アノウメントとは、「離婚ではない」と書いてある。

 

「カトリック教会では伝統的に信徒の婚姻関係は神の前で結ぶものであり、それを解くこと、すなわち離婚することはできないと教えてきた。にも関わらず特別な場合に限っては「婚姻の無効」が認められることがある。しかし、カトリック教会での「婚姻の無効」は「離婚」と同義ではない。(ウィキペディア)

 

つまり、「annulment(アノウメント:婚姻の無効)」は、「結婚成立の時点へさかのぼってその是非を問う」というものであって、「結婚が成立した後で、その関係を解消する」という離婚とは違うらしい。

何か、難しい。

「婚姻の無効を実質的な離婚の手段として濫用することは、カトリック教会における本来の意図から離れたものであるため、「婚姻の無効」は簡単には認められない。カトリックの伝統的な婚姻観は(旧約聖書の「創世記」にあるように)神の前で「男女が一体になる」ものであることを示すものである(ウィキペディア)」

 

カトリックでは、この「アノウメント」という考えが、とても重要なことは分かった気がする。

 

でも、「辞書的な意味」だと、この言葉の概念がよく分からない。 ということで、ニューヨークに住む彼女に、実際の生活において「アノウメント」がどのようなものであるかを聞いてみた。

そのアメリカ人が言うには、「離婚」とは、役所に必要な書類を届けることで成立する法的なことで、「アノウメント」とは、教会に行って手続きをする宗教的なことだという。

神に結婚をしますと誓って述べた以上、人間がそれを無効にすることはできない。神に誓った言葉は守らなければいけなく、「別れる」ということは、神に事実と違うこと、ウソを言ったことになる。

これが、カトリックでは許されないという。

しかし、現実的に、「愛情はないし、これ以上、パートナーと一緒に住むことはムリだ」という現実がある。
そうした実情に対応するために、カトリックでは、アノウメントという手続きをすることで、婚姻を「無効にする」ことができるという。

つまり、二人は、「結婚していなかった」ということにすることができる(らしい)。
結婚していなかったのだから、当然、離婚することもないし、神にウソをついたことにもならない。

ボクは、それまでアノウメントという言葉も、離婚した日本人がそんな手続きしたということも聞いたことがない。
これは、欧米では常識的なことだろうけど、日本の常識からは、かけ離れたものだ。日本のカトリック教徒には常識だろうけど。

結婚は宗教行為だということが、分かってきませんか?

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 でも、そんな「面倒くさい」ことをしなくちゃいけないのか?
役所に離婚の書類を提出しただけではダメなのか?
教会でアノウメントをしなかったら、どうなるのだろう?

ニューヨークのカトリック教徒は、教会でアノウメントをしないと、自分が通っていた教会に行くことができなくなるという。
ふつう、カトリック教徒は、自分が子供のころから親とその教会に通っていて、その教会のコミュニティに所属している。
もう、教会に行くことは、自分の生活には切り離せない一部になっているという。でも、アノウメントをしないと、もう、その教会に行くこともそのコミュニティに入ることもできなくなってしまう。
つまり、アノウメントをしないと、これまでの生活の基盤を失うことになり、これは、ニューヨーク(おそらく世界中)のカトリック教徒にとって、とても深刻な事態だという。

彼女は、プロテスタトのキリスト教徒らから、離婚をするときには、このアノウメントの手続きはいらないらしい。
でも、アノウメントという言葉やその意味も、知っていた。
別のプロテスタントのイギリス人も、このアノウメントは知っていた。
アメリカ人やイギリス人、キリスト教徒にとっては、常識なんだろう。

 

このアノウメントという考え方だけでも、普通の日本人の考え方とは、まったく違う。
神と契約で結ばれたキリスト教徒と、神と何の契約も結んでいない日本人とは、やっぱり価値観が違う。

 

日本人のボクの友だちは、離婚そのものは、簡単に終わった。
必要な書類を記入して役所に提出して、知り合いに直接話したりラインで連絡したりして、すべての手続きを終えている。
もちろん、離婚を決めるまでは本当に苦しんだけど。

「結婚したときに、神様に誓ったから、教会でアノウメントしなくちゃ」と言う日本人なんて聞いたことがない。
結婚式での神への誓いに、それほど重要な意味があるとは、誰も思っていないだろう。
欧米のこのような常識から見たら、仏教徒の日本人がキリスト教の教会でGODに誓って結婚するということが、不思議に映るのだと思う。

 

ということで、今回の記事では、アノウメントというカトリックの概念から、キリスト教での「神と人間との関係」について書いてきた(つもり)。

次回は、キリスト教徒にとっての「神と人間との関係」を、カトリックもプロテスタントも関係なく、欧米では常識として行われていることを紹介して、記事を書いていきたい。

 

今回の記事のテーマは、「なんで、日本人は、行きたいお寺や神社に行って好きなお守りを買うことができるのか?」という友だちのアメリカ人の疑問から始まっている。

「アノウメント」とかって、もう、収集がつかないくらい、ブログが脱線してしまってますね。 本当にすいません。

 

でも、キリスト教徒の宗教観と日本人宗教観を知ることは、大事なことだと思います。
ということで、次回もお付き合いお願いしますね。


投稿者: kokontouzai

今まで、東南アジア、中東、西アフリカに旅をしてきました。外国に行って初めて気がつく日本の良さや特長があります。以前、歴史を教えていたので、その経験もいかして、日本や世界の歴史や文化などをテーマに、「読んでタメになる」ようなブログを目指します。

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