イスラム教と神道の共通点・キリスト教との違い「汚れ」

 

はじめの一言

「手入れのゆきとどいた高い生垣や垣根はまだ葉がびっしりとついており、オランダ造園風に刈りこまれ整えられている。何と驚嘆すべき植えつけ、刈りこみであることか。英国以外のどんなところでも、こんな生垣はお目にかかれない
(オールコック 江戸時代)」

「逝きし日の面影 平凡社」

 

 

今回の内容

・イスラーム教徒は「きれい好き」
・神道の清め「手水」
・イスラーム教の「手水」=ウドゥ

 

浜松でおこなわれた「アジアミュージックフェスティバル2016」で、イスラーム教徒がお祈りをするための「礼拝所」を見つけた。
ここには、モスク(イスラーム教の礼拝所)に必要なものしかない。
ということで、ここを見ながらモスクについて知っていこう!
の、続き。

 

このテントがイスラーム教徒のための礼拝所

 

・イスラーム教徒は「きれい好き」

清潔好きな人間といったら、日本人だろう。
でも、イスラーム教徒も負けず劣らず清潔好きらしい。

*下の文の「ムスリム」とは、アラビア語でイスラーム教徒のこと。
ムスリムの意味はアラビア語で「神に帰依する者」。
海外で外国人と話すしたときは「ムスリム」で通じた。

およそこの地球上でムスリムほどきれい好きの連中はまずいないだろう(ただし、例外として日本人もきれい好きである)。
というのも、イスラムの規範では一日五度の礼拝をする際に、身体を清浄にしておくべしとされている。

「何が正常で、何が不浄か」についても詳細な規定があるのだが、たとえば、汚い手でコーランを触るのは御法度である。
ことにモスクで礼拝を行なう前には清潔でなければならない。
そこでモスクのまわりには公衆浴場が造られるようになり、自然とムスリムには清潔を愛する習慣が定着したというわけだ

(イスラム原論 小室直樹)

 

「自然とムスリムには清潔を愛する習慣が定着したというわけだ」
本当っすか?

エジプトやシリアなどの中東や、マレーシアやインドネシアなどの東南アジアのイスラーム圏の国を旅した感想だと、このことにはちょっと同意できないなあ。
街ではそこら中にゴミが落ちていたし、バスの中はお世辞にもキレイとは言えなかった。

日常生活では汚くても気にしないけれど、神(アッラー)の前ではキレイにするということなんだろう。

 

 

・神道の清め「手水」

イスラーム教徒は、お祈りをする前に体をきれいにする。

この考え方は日本人には分かりやすい。
神社にある「手水(ちょうず)」と同じようなものだ。

ちょうず〔てうづ〕【▽手▽水】

《「てみづ」の音変化》

1 手や顔などを水で洗うこと。社寺に参拝する前などに、手や口を水で清めること。また、その水。「手水を使う」
(デジタル大辞泉の解説)

 

神様にお祈りをする前には、手に水をかけたり口にふくんだりしてキレイにするはず。キレイにするというより、これは宗教行為だから「清める」だけどね。

ちなみに、神道の手水の起源はこのようなものらしい。

手水の起源は、神道に由来し、聖域を訪れる際に周辺に流れる河川の水や湧き水で身を清めていたことにはじまる。
その名残は、伊勢神宮の御手洗場などで見られる。時代が変化するにつれ、河川の水質が汚染され、清流や湧き水の確保が困難になったことから、それに代わる施設として手水舎が併設されるようになっていった。

(ウィキペディア)

だから、本当は自然の川で清めることが望ましいんだろう。
さすが森の宗教!

 

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龍の形の手水

 

・イスラーム教の「手水」=ウドゥ

イスラーム教徒の場合は、身体全体をきれいにしないといけない。

具体的な例として、モスクなどに併設されている洗い場で「手」、「口」、「鼻」、「顔」、「腕」、「髪の毛」、「耳」、「足」の順に身体の部位を洗い、またその回数は各々3回と決められており、加えて「手」や「腕」、「耳」や「足」などは「右」から先に洗うことである。

(ウィキペディア)

 

これだけでも大変だけど、その後にお祈りをしないといけない。

イスラーム教徒は1日に5回お祈りをすることになっているから、信仰が深い信者はこれを1日に5回もするんだろうね。大変だ。

「アジアミュージックフェスティバル2016」にあった礼拝所では、さすがに体を洗う場所はなくて、手を洗うものだけがあった。

 

神道でいう「手水(ちょうず)」は、イスラーム教では「ウドゥ」といういうらしい。もちろん、アラビア語。

ウドゥまたは小浄(英語: Wudu、アラビア語: الوضوء‎ al-wuḍūʼ )とは、イスラム教で礼拝の前に体の一部を水で洗う清めの行為のこと。(ウィキペディア)

 

これも服装の規定と同じく、クルアーン(聖書:コーラン)に書いてある。

クルアーン(コーラン)2.222には「アッラーは、悔悟して一図に帰する者を愛でられ、心と体が清潔である者を愛でる」とも書かれている。(ウィキペディア)

 

神社では、手に水をかけて清めてから先に進むはずなんだけど、実際にはそうしないで進んでしまう人も多い。

その点、イスラーム教は厳しくて「ウドゥ」をしないとお祈りをすることができない。「日本ハラール協会」のHPには、こう書いてある。

神聖な礼拝を始める事と神の前に立つ事からムスリムは毎回の礼拝の前に体のお清め(ウドゥ・小浄)をします。
礼拝所を設置しても、体を清める場所が無ければ礼拝はできず、仕方なしに洗面所などを利用して行います

施設のムスリムフレンドリー化

 

このウドゥで清めたあとに、この中に入ってお祈りをすることになる。

そのことについては、次回に。

 

ちなみに、キリスト教の教会でこうした手水やウドゥのような体を清めるものを見た記憶がない。
プロテスタントのキリスト教の友人(アメリカ人)に理由をきいたところ、こんなことを言っていた。

「教会は、特別な場所じゃないから。別に体を清める必要がないでしょ」

彼女にとって教会とは、まったく神聖な場所ではないらしい。
これは意外だった。
カトリックの教会は、分からないけどね。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。