アメリカ人と京都旅⑨ 「アメリカは、神への宣誓をしすぎじゃない?大統領とか裁判所とか」

 

アメリカ人のドラマを見ていて、ときどき、「これは日本とは違うな」と思うことがある。
日本とは、価値観も常識も違う社会の話だから、「当たり前だろ!」と言われるかもしれないけど。

例えば、こんな場面。
アメリカのドラマで、これから裁判で証言を述べようとする人が、「今から話すことは真実です」と神に誓うシーンがあった。

「神に誓う」ということが、日常的に行われている。
アメリカの社会が、キリスト教と深く結びついていることを改めて認識させられた。 日本のドラマで、神に誓うシーンというのは、ほとんど見た記憶がない。
まあ、ドラマ自体、はあんまり見ないけどね。

 

この「神への宣誓」は、アメリカでは常識として定着していて、社会の「上から下まで」の様々な場面で見られる。
まずは、社会の「上」の部分、アメリカの政治の場では、「神への宣誓」がどのようなものになっているかを見てみたい。

以下は、「聖書で読むアメリカ( 石黒マリーローズ)」からの引用させてもらった。

 アメリカの上院の議場には、「In God We Trust(われわれは神を信ず)」という言葉が刻印されています。この精神に則った発言として、元上院院内のハワード・ベーカーがクリントン元大統領の弾劾のときに言った次のようなコメントがあります。「宣誓をすることや誠実に誓うことは、まさにアメリカの法体系の礎石です。

 

どこの国でもそうだろうけど、議会で政治家が発言をするときは、責任と信用があるものでなくてはいけない。
アメリカでは、そのためには、「In God We Trust(われわれは神を信ず)」ということを、常に心がけていなければいないようだ。
アメリカの政治の場で、キリスト教の精神がどれだけ強い影響を与えているかは、次の文で分かる。

 

アメリカの大統領や議会の議員や市長は聖書に手を置いて、「So help you(me) God(神のご加護がありますように) 」などと締めくくり、宣誓することによってその職務を始めます。大統領就任式の演説は、聖書からの引用を含んでいます(同書)

 

ここにあるように、アメリカ大統領の就任式では、神への誓いが行われる。
2005年にブッシュ大統領が、大統領就任式で聖書を前にして右手を挙げながら言った言葉は、このようなものだ。

 

わたくし、ジョージ・ウォーカー・ブッシュはおごそかに誓います。わたくしはアメリカ合衆国大統領の職務を忠実に果たし、わたくしの力の最善を尽くして合衆国憲法を維持し保護します。以上神に誓います(同書)

 

なるほど!アメリカでは、こうやって大統領になるんですね!
じゃ、日本の首相は就任するとき、何に誓うのだろう?
そんな疑問がわいてきた。
知ってましたか?
安倍首相の場合、所信演説でこんな言葉を言っている。

 

国家の舵(かじ)取りをつかさどる重責を改めてお引き受けするからには、過去の反省を教訓として心に刻み、丁寧な対話を心掛けながら、真摯(しんし)に国政運営に当たっていくことを誓います(首相官邸HPより)

 

「真摯に国政運営に当たっていくこと誓います」
ということらしい。じゃ、お願いしますよ!
でも、それを、何に対して誓ってるのか?
ここには、はっきり書いていないからよく分からない。
それは、日本国民に対して?日本国憲法に対して?ひょっとしたら、日本の神や仏に?

 

麻生元首相の就任演説の言葉を見ると、「国民の皆様にお誓いします」とある。安倍首相も同じく、日本国民に対して誓ったということだろう。
神に宣誓するアメリカとは、ずい分違う。
日本では、神も仏も関係ない。国民に誓っている。

 

では、アメリカ社会の「下の部分」と言っては失礼だけど、一般の人々の生活では、神への宣誓がいつ、どのように行われているかを見ていこう。

京都旅行に行った友人のアメリカ人が真っ先にあげたのが、裁判での「神への宣誓」だった。
「訴訟大国」と言われるアメリカでは、裁判が非常に多く行われる。 「お化け屋に入ったら、怖すぎて精神的苦痛を受けた」と裁判を起こしたというわけの分からない例もある。
ボクが話を聞いたこのアメリカ人も、交通事故を起こしてしまって、裁判沙汰になり、実際に出廷しなければならなくなったことがある。
日本では、示談でも終わるようなことでも、アメリカではすぐに裁判沙汰になってしまうらしい。

この法廷で彼がしたのが、この「神への宣誓」。
これは、必ずするものらしい。
人を訴えたり、人から訴えられたりすることがよくあるアメリカでは、裁判所で神への宣誓をすることは、ごくごく日常的なこと(らしい)。

 

この場合の「神への宣誓」というのは、具体的にどのような言葉だったか忘れてしまった。
ということで、今はニューヨークに住んでいるこのアメリカ人にメールで聞いてみた。
で、返ってきたメールがこんなもの。

 

「Put your hand on a Holy Bible and answer yes to “Do you swear to tell the truth, the whole truth, and nothing but the truth, so help you God?”

「あなたが行う証言が真実であり、すべての真実、そして真実以外の何ものでもないことを厳粛に誓いますか?神に誓いますか?」

 

この(裁判官?)の言葉に対して、これから発言を述べる人が「Yes,I do(はい、誓います)」と答えてから裁判が進むという。
公の場で重要なことを述べるときは、この「神への宣誓」は欠かせないらしい。
友人に話では、この「神へ誓う」という行為の背景には、次のような考えがあるらしい

前に記事で書いたことにくり返しになってしまって申し訳ないのだけど、キリスト教の考えでは、これはとても大事なことなのは確か。

キリスト教徒にとっては、神は「創造主」であり自分たちは、神によって造られた「被造物」であるという認識がある。
絶対的な存在であるGodと契約(上下契約)を結んでいるため、「神に誓った以上は、ウソをつくことはできず、真実を述べることしかできない」という考えが、「神への宣誓」という行為の根本にあるという。
でも、これは基本的な考え方としてはあるけれど、現在行われている「神への誓い」は、宗教的な理由というより、「そういう習慣」として行われているらしい。 先ほどの大統領が就任するときの神への誓いも、同じものだという。
今では宗教的な意味合いがかなり薄くなって、「伝統」として行われているという。

でも、この行為の背景にある「人間と神との関係」とそれにもとづく「神への宣誓」は、アメリカの社会でとても大事にされていることには変わりない。

 

でも、やっぱり疑問が残る。
「でも、やっぱりこれは、政治と宗教とを分けて考える『政教分離』の考え方に反しているのでは?」
彼女に聞いてみた。
でも、就任式の神への宣誓は「伝統」であり「儀式」だから、「政教一致」には当たらない、というらしい。 正直、これもよく分からない。
結局、日本とは、価値観も常識も違う社会だからね。

 

でも、神への宣誓っていうのは、キリスト教徒以外の人はどうしているのだろう? 当たり前だけど、アメリカには、キリスト教徒だけではなくて、仏教徒もイスラム教徒もいる。
彼らもアメリカの裁判で証言するときは、キリスト教のGodに誓うのだろうか?それはさすがにないかな?
これも、友人に聞いてみた。

すると、キリスト教徒以外の人は、先ほどの「Yes,I do」と誓う代わりに、「Yes,I affirm」と答えるという。 「affirm」とは、「確約する」という意味になるらしい。
でも、ボクの英語力では、「Yes,I do」と「Yes,I affirm」の違いが分からない。
ということで、このことは、ここで終わり。

でも、アメリカでは、神への宣誓は議会でも裁判所でも、社会のいろいろな場面で行われていることは分かった。
でも、これは友人が住むニューヨークのことだから、アメリカの他の州では違やり方が違うかもしれない。

 

おまけ

アメリカのボーイスカウトには、「神に対する義務」の誓約があるという。
「神と国に対する私の義務を果たすよう最善を尽くします・・」ということをボーイスカウトの少年たちが誓うのだという。
日本のボーイスカウトで、少年にこんな誓いをさせたら社会問題になりそう。だ「本場」アメリカでは常識の範囲内なんだろうけど。

 

 

さて、ここで日本を振り返ってみたら、どうだろう?
日本の裁判で、証言をする場合に、「ウソではなく、真実を述べる」ということを何に対して誓うのだろう?
日本の首相は、国民に誓っていた。

裁判で一般人が国民に対して誓うことはないだろう。
日本の場合は、どうなんだろうね?
アメリカだと、神に誓って述べた言葉が、最も信用できるものとされている。 日本の社会では、どのような言葉が最も信用できる言葉なのか?

調べみたら、神や仏とは、まったく関係がない。
こういうところにも、日本人の宗教観が表れているように思う。
それを、次回に。

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今まで、東南アジア、中東、西アフリカに旅をしてきました。外国に行って初めて気がつく日本の良さや特長があります。以前、歴史を教えていたので、その経験もいかして、日本や世界の歴史や文化などをテーマに、「読んでタメになる」ようなブログを目指します。