宗教と女性差別③キリスト教(アクィナス)の女性観「女は失敗作」

 

はじめの一言

「自分の農地を整然と保つことにかけては、世界中で日本の農民にかなうものはない(オールコック 江戸時代)」

「逝きし日の面影 平凡社」

 

 

今回の内容

・キリスト教の女性差別
・「女は本当に人間か?」
・ルイス・フロイスが見た日本女性

 

さてさて、今回は「宗教と女性差別」をテーマに書いてます。
今まで、イスラーム教や神道について書いてきたから、今回はキリスト教と女性差別について。

 

・キリスト教の女性差別

前にこんなことを書いた。

「女性は相撲の土俵に上がることができない」ということを知ったアメリカ人の女の子が怒った。
「それって、女性への差別じゃない!」と。

それでこんな説明をしてみた。

「それは神道の考え方にもとづくものじゃないの?神道には『血の穢れの忌避(きひ)』という考えがあるから、それが理由だと思う。21世紀の価値観からしたら、女性差別に見えることがあるかもしれないけど」

すると彼女はこう言う。

「まあ宗教には、そういうところがあるからね。現代の新しい価値観とは合わない部分があって当たり前。キリスト教のカトリックでもそう。女性は神父にはなれないし、女性のローマ法王なんて絶対にムリ」

 

 

キリスト教でも、プロテスタントであれば女性が聖職者になることはできる。
でも、カトリックではムリ。
カトリックは、女性の聖職者を認めていないから。

*マメ知識
プロテスタントの聖職者を「牧師(ぼくし)」という。
カトリックの聖職者は「神父」という。

 

カトリックでは女性が聖職者になることができない。
ときどきこれが問題視される。

プロテスタントや聖公会の中には“教会内における女性の首位権”(女性聖職者または女性牧師)を認める教会もあるが、カトリック教会では女性は司祭に叙階されない。

教義上、聖職者になれるのは男性信者に限られている。フェミニストはこれに対する批判を行う者もいる

(ウィキペディア)

「神道は女性差別だ!」という彼女に対して、ボクは「血の穢れ」の話をした。
カトリックでは、この「女性差別だ!」の声にどうこたえているのか?

カトリック教会側はあくまでも教義に基づく制度であるから「女性蔑視」ではないと説明している。

また、聖職者には世俗の権力は一切存在しないので「女性差別」とは言いがたい、との説明もあるが、国や地域、組織によっては、聖職者が世俗的な権力行使に関わったり、その言動が世俗の権力に大きな影響を及ぼす例もあり、至当とは言えない。

(ウィキペディア)

カトリックでは、「教義にもとづくものだから、女性蔑視でも差別でもない」としている。

宗教なら当然、教義にもとづいて判断するだろうね。
これはイスラーム教も同じ。
クルアーンにしたがって、ものごとの正否を決めている。
宗教にかかわることで、教義ではなくて世論にしたがって物事を判断されることはめったにない。

 

 

でも、神道にはこの教義というものがない(ような気がする)。

神道には、「穢れ」とその反対の「清浄(せいじょう)」という考え方(概念)はある。
でも神道で、キリスト教やイスラーム教でいう「教義」というのものがあるんだろうか?
思いつかない。

 

 

・「女は本当に人間か?」

むかしむかしキリスト教の社会では、今でからは想像できないほど女性が蔑視べっしされていた。

6世紀には、あるキリスト教の司教がとんでもないことをしている。

女に魂があるかどうかを投票で決めた

「キリスト教封印の世界史 徳間書店」

 

これは6世紀のことだけど、「女性が男よりおとった存在」という認識はその後の中世のヨーロッパでも続く。

十三世紀、聖トマス・アクィナスはこう述べた。女は神がおつくりになった失敗作である。

「万物の創造においては、いかなる欠陥品もつくられるべきではなかった。したがって、女は万物創造の際に生み出されるべきではなかったのだ。」

ヴィッテンベルクに住むルター派の信徒たちは、女が本当に人間かどうかをめぐって論争した。
正統派は、すべての罪の責任は女にあると考えていた。

「キリスト教封印の世界史 徳間書店」

 

トマス・アクィナス(1225頃~74)は高校世界史の重要人物だから、知っておく価値はある。

トマス・アクィナス

中世最大のスコラ学者。パリ大学教授。
教父アウグスティヌス以来の信仰の超越性にアリストテレス哲学による理性を調和させ、スコラ学を大成した。彼の理論は現在においてもカトリックの一般的学説とされる。

「世界史用語集 (山川出版)」

 

でもキリスト教社会における最大の女性差別といえば、魔女狩りだろう。

民衆は裁判方式を取らずに、「魔女泳ぎ」などの方法で有罪を証明した。これは、女をしばり上げて水に投げ入れ、浮くかどうかを確かめるというものだった。
水は洗礼に使われる神聖なものだから、その水が女を拒否すれば無罪となったが、溺死するのがおちだった。

「キリスト教封印の世界史 徳間書店」

「魔女狩り」と書いてはあるけど、じっさいには女性ばかりではなくて男性もターゲットにされていた。

 

 

・ルイス・フロイスが見た日本女性

戦国時代、「ルイス・フロイス」という宣教師が来日している。

高校で日本史を学んだ人なら知っていると思う。
こんな人物。

1532~97 ポルトガルのイエズス会宣教師。

1563年に来日。
京都で信長に謁見、秀吉とも親しくし、キリシタン布教の地歩を固めた。追放令で退去後、再来日し、長崎で死去。
「日本史」を執筆した

「日本史用語集 山川出版」

 

このフロイスが驚いたことが、日本では女性に自由や権利があるということ。
「フロイスの日本覚書 中公新書」にはこんな記述がある。

(ヨーロッパでは)堕落した本姓にもとづいて、男たちの方が妻を離別する。日本では、しばしば妻たちの方から夫を離別する。

ヨーロッパでは、妻は夫の許可なしに家から外出しない。日本の女性は、夫に知らさず、自由に行きたいところに行く。

「フロイスの日本覚書 中公新書」

 

さらにお金については、女性は男性よりも「上位」にいたという。

ヨーロッパでは、夫婦間において財産は共有である。日本では、各々が自分の分け前を有しており、ときには妻が夫に高利で貸しつける。

「フロイスの日本覚書 中公新書」

これは平成の日本でも同じだったりして。

 

こうしたフロイスの驚きは、ヨーロッパ社会での女性の立場との比較から生まれたもののはず。
戦国時代の日本と比べると、当時のヨーロッパは女性への蔑視や差別が強かったのだろう。

個人的に日本はヨーロッパよりも女性に対する蔑視が強いイメージがあったから、これには意外だった。

ヨーロッパで女性の地位が向上したのはいつごろなんだろうか?

 

 

 

こちらもどうですか?

ヨーロッパ 「目次」

宗教と女性差別②神道の女人禁制の理由とは?穢れと清め

イスラム教とは② 女性差別?一夫多妻制の理由とは

日本の特徴 民族宗教(神道)が世界宗教(仏教)と仲良し!

アメリカ人と京都旅行 ~日本人とキリスト教徒の宗教観の違い~ 1~5

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。