黒人奴隷の様子:アフリカ(セネガル)の負の世界遺産「ゴレ島」

 

はじめの一言

「歴史的にみれば、日本の勝利は、アジアの目覚めの発端、またはその発端の出発点とも呼べるものであった。(バー・モウ)」
「日本賛辞の至言33撰 ごま書房」

 

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バー・モウ(ウィキペディア)

1893年2月8日 – 1977年5月29日
ビルマ(現ミャンマー)の独立運動家で政治家。
初代大統領でもあった。

 

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セネガルの子供たち(結婚式で)

 

今回の内容

・負の世界遺産「ゴレ島」
・奴隷が積みこまれる様子

 

・負の世界遺産「ゴレ島」

世界遺産には「負の世界遺産」と呼ばれるものがある。

負の世界遺産(ふのせかいいさん)とは、世界遺産のうち、人類が犯した悲惨な出来事を伝え、そうした悲劇を二度と起こさないための戒めとなる物件を指す、日本国内での用語である。ユネスコが公式にそのような分類をしているわけではなく、明確な定義は存在しない。

(ウィキペディア)

これを読むと、「負の世界遺産」という言葉は日本だけで通用する言葉のようだ。
負の世界遺産には、ユダヤ人を虐殺したアウシュヴィッツの収容所や広島の原爆ドームなどがある。

 

以前、西アフリカのガーナにある負の世界遺産(ケープ・コースト城)を紹介した。

今回は西アフリカのセネガルにある負の世界遺産を紹介したい。
それが首都ダカールの沖合に浮かぶ「ゴレ島」という島。

このゴレ島が人類の「負の世界遺産」と呼ばれている理由は、ここが奴隷貿易と深い関係があるから。

セネガルを探してみよう。

 

セネガルかマリの食べ物。

 

ゴレ島の前に「奴隷」という人たちを確認しておこう。

奴隷【どれい】

人間としての人格を認められず,経済的・社会的あるいは法律的には主人の所有物として取り扱われ,〈生きた道具〉として生産・労働に使役される身分。

(百科事典マイペディアの解説)

奴隷は「生きた道具」と書いてある。

 

友人で黒人のアメリカ人がいる。
彼女はアフリカから連れて来られた奴隷の子孫。
そのアメリカ人に言わせると、「奴隷は人間じゃないの。人の言葉を理解する動物のこと」となる。

奴隷という存在を正確に表現していると思う。

 

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この島がセネガルの負の世界遺産「ゴレ島」。

セネガル共和国の首都ダカールの沖合い約3kmに浮かぶ。島は東西300m、南北900mと小さい。セネガルの最古のイスラム教のモスクも残っている。1815年に統治国だったフランスが廃止するまで、奴隷貿易の拠点として栄えた。かつての奴隷収容所が島内に残っている。

(ウィキペディア)

 

ここもガーナのケープ・コースト城と同じように、アフリカで集められた黒人が収容されていた。

1776年にオランダ人によって建てられ、当時「積み荷」達が収監されていた「奴隷の家(La Maison des Esclave)」が今でも残っています。この小さな建物は二階建てで、150人から200人ほどの奴隷が男、女、子供、少女などに分けられて、一階の各々の部屋に鎖で繋がれていました(二階は白人の部屋です)。

奴隷貿易の悲劇を今に伝える「ゴレ島」

 

ケープ・コースト城との大きな違いは、ここは島で四方を海に囲まれていること。
ここを案内していたガイドの話では、この海にはサメがいるため、対岸まで泳いでわたることは不可能だった。

ここに入れられたら、絶対に逃げることはできなかった。

 

 

・奴隷が積みこまれる様子

アフリカで集められた奴隷は、船に乗せられてアメリカ大陸に運ばれていた。

奴隷を船に乗せる様子は悲惨の一言。

奴隷船に奴隷を積みこむ数日前に奴隷は全員、男も女も頭を剃られた。
また、積み荷の所有者のイニシャルか会社のブランドが奴隷の身体に焼き印された。
新世界へ向けて出帆する当日には、城塞や「バラクーン」と呼ばれる小さな檻に閉じ込められていた奴隷たちは、最初で最後となる豪勢な食事を与えられた。

食後奴隷たちは二人一組になって足首に鎖をつけられ、奴隷船に連れていかれた。彼らは全裸で、男女別々の船倉に入れられた。

(中略)
たいていの奴隷は、自分の生まれ育った大地から引き離される際に深い悲しみと絶望に陥った。絶望にかられて海に飛び込む者もいた。

「近代世界と奴隷制 (人文書院)」

 

「なんで男も女も坊主にされたのか?」

こんな疑問を感じる人もいると思う。

このときは、これから長い船旅をすることになる。
船のせまい空間で集団生活をするため、病気がはやるとたくさんの奴隷が死んでしまう。
それを予防するために髪の毛を刈(か)っていた。

アウシュヴィッツの収容所でも、男女が頭の毛を刈りとられて坊主にされている。
これと同じ理由だろう。

 

 

ちなみにこれは、アフリカだけの話ではない。
16世紀に日本へやって来たヨーロッパ人の宣教師も、日本人を奴隷にして、海外へ売り飛ばしていた。

当時、豊臣秀吉の側近であった大村由己の手紙には、船に入れられた日本人奴隷の様子がこう書いてある。

日本仁( 人)を数百、男女によらず、黒船へ買い取り、手足に鉄の鎖をつけ、舟底へ追入れ、地獄の苛責にもすぐれ

「日本人とは何か。 山本 七平 (PHP文庫)」

 

日本人が男も女も関係なく、手足に鉄の鎖をつけられ、暗い船底に閉じ込められていた。
地獄の苦しみだったという。

「ヨーロッパ人が日本人を動物のように扱っている!」

それ知った秀吉は、「外道の法」と言って激怒した。
でも日本人にとっての「外道」は、当時のヨーロッパ人にとっては常識の範囲内。
この行為はキリスト教の教えに反していなかった。

 

 

また、航海中に病気にかかってしまった奴隷は、生きたまま海に投げ込まれることもあった。

病気にかかった奴隷は、早めに隔離するか、被害が広がらないうちに容赦なく生きたまま「鮫の餌食」にされた。

「近代世界と奴隷制 (人文書院)」

このゴレ島を案内してくれたガイドは、こんなことを言っていた。

「ここに入れられたら終わりです。もう、すべての希望を捨てないといけなかったんです」

 

おまけ

このゴレ島はアメリカのアルカトラズ島と似ている。

アルカトラズ島

アメリカのサンフランシスコ市の沖合2.4kmのところにある小島。
ここれは脱獄不可能の監獄と呼ばれていた。

 

 

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今まで、東南アジア、中東、西アフリカなど27の国・地域に旅をしてきました。以前、中学生に歴史を教えていた経験もあります。 また、日本にいる外国人の友人も多いので、彼らの目から見た日本も知っています。 そうした経験をいかして、日本や世界の歴史・文化・宗教などをテーマに、「読んでタメになる」ブログを目指しています。