織田信長残酷話:延暦寺の焼き討ち・義弟の頭蓋骨で酒を飲む

 

はじめの一言

*日本の建物には、東洋の他の国にあるような豪華さがなくて質素であることについて
「日本には東洋的壮麗などというものはない。色彩と金箔は寺院に見られるだけだ。宮殿もあばら家も同じ灰色だ(バード)」

「逝きし日の面影 平凡社」

 

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今回の内容

・比叡山の焼き討ちと長島一向一揆
・頭蓋骨で酒を飲む

 

前回、織田信長が生まれて初めて見た黒人を気に入って、武士(家来)にしたということを書いた。
そして、それを知った黒人のアメリカ人の友人はこう言う。

「その黒人は、世界で一番幸せな奴隷ね!」

確かにこのことだけをみれば、織田信長に人種に対する偏見や差別があったとは思えない。
でも、これは織田信長という人の受け止め方で、一般の日本人が黒人を見てどう考えていたかは分からない。
ヨーロッパ人のように、「牛や馬と変わらない動物」と認識していたかもしれない。

 

黒人奴隷に「弥助(やすけ)」という名前をあたえて家来に取り立てたことは、当時の日本人の一般的な価値観というより、信長の個人的な考え方によるところが大きいだろう。
良くいえば、信長は「上下の身分を気にしない平等観をもっていた」ということができると思う。

 

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・比叡山の焼き討ちと長島一向一揆

「織田信長が嫌い」という人は多いと思う。
むかし教えていた中学生でも、そうしたことを言う生徒が多かった。
理由をきくと、同じ答えが返ってくる。

「だって、信長はたくさんの人を殺した残酷な人だから」

確かに、その面は否定できない。

教科書で出てくるその残酷な例は、「比叡山(ひえいざん)の焼き討ち」だろうね。

比叡山焼き討ち

1571年、信長が、浅井・朝倉氏と組んで敵対する延暦寺を全山焼き払い、古代寺社勢力の最大拠点に大打撃を加えた。

(日本史用語集 山川出版)

 

このとき信長は、比叡山にいた数千もの人たちを皆殺しにしている。

信長は一気に比叡山に攻撃をしかけ、根本中堂(こんぽんちゅうどう)をはじめとする堂塔伽藍(がらん)のすべてを焼き払い、数千名の僧俗男女を皆殺しにした。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ウィキペディアでは、このときの延暦寺側の犠牲者は「約1,500 – 4,000人」となっている。

 

この時代日本にいてキリスト教を広めていた宣教師のルイス・フロイスは、織田信長という人についてこう書いている。

彼は善き理性と明晰な判断力を有し、神および仏の一切の礼拝、尊崇、並びにあらゆる異教的占卜や迷信的慣習の軽蔑者であった。

(ウィキペディア)

神を神とも思わず、仏を仏とも思っていなかったら、比叡山の焼き討ちなんてとてもできなかったはず。

 

あと、これも教科書にのっていて覚えておく価値がある。
「長島一向一揆」というもの。

長島一揆

安土桃山時代,伊勢 (三重県) 長島に起った一向一揆。織田信長に対抗する石山本願寺教団の命で,元亀1 (1570) 年願証寺を中心に長良川,木曾川河口デルタの長島一帯の真宗教徒が蜂起し,信長に激しく抵抗し,同2年と天正1 (73) 年の信長の猛攻を防いだが,同2年鎮圧され,信長は美濃,尾張,伊勢3国の本願寺教団を屈服させた。

(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説)

 

このときは、万単位で人が殺されている。

信長は、残る屋長島・中江の2城は幾重にも柵で囲み、火攻めにした。城中の2万の男女が焼け死んだという。

(ウィキペディア)

Oda-Nobunaga

織田信長

 

・頭蓋骨で酒を飲む

教科書には出てこないけど、信長は人の頭蓋骨(ドクロ)を杯(さかずき)にして酒を飲んだという。

先ほどの日本史用語集の記述に「信長が、浅井・朝倉氏と組んで敵対する」というものがあった。
1573年に信長はこの浅井・朝倉氏を攻め滅ぼす。

その次に年に「ドクロ杯事件」と呼ばれる出来事がおこる。

*薄濃は「ハクダミ」、酒肴は「シュコウ」

翌一五七四年(天正2)正月元旦、岐阜城における新年祝賀会に、浅井長政そして父の久政、そして朝倉義景の「薄濃」が「酒肴」として出されたのである。
薄濃とは、ドクロをウルシ塗りにして金粉をまぶしたもの、つまりこれがドクロ杯というわけだ

(逆説の日本史 10 井沢元彦)

 

人の頭蓋骨にウルシを塗ってその中にお酒を入れて飲むという行為には、もう言葉を失ってしまう。

しかも浅井長政は、織田信長の妹の夫でもあった。
つまり信長の義理の弟にあたる。

浅井氏を北近江の戦国大名として成長させ、北東部に勢力をもっていた。妻の兄・織田信長と同盟を結ぶなどして浅井氏の全盛期を築いたが、後に信長と決裂して織田軍との戦いに敗れて自害。浅井氏は滅亡した。

(ウィキペディア)

かつては義弟でもあった人間をドクロ杯にわざわざ「加工」して酒を飲むというのは、どう考えても異常な行為としか言い様がないことは事実だ。

(逆説の日本史10 井沢元彦)

信長は、確かにこうした目を背けたくなるような残酷なことをしている。

でも、信長していたのは残酷なことだけではない。
同時に、別の面も持ち合わせている。

次回は「残虐な人間・織田信長」ではなくて、信長のフレンドリーな一面を書いてきます。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。