トルコの特徴:イスラム教+キリスト教(ヨーロッパ)の影響


 

始めの一言

*日本の社会について
「富者も貧者もいない(ハリス 幕末)」「逝きし日の面影 平凡社」

「日本人の生活は上は将軍から下は庶民まで質素でシンプルだということである(逝きし日の面影の著者 渡辺京二)」

 

 

今回の内容

・なんでトルコは政教分離が可能だったのか?
・最近のトルコ事情

 

・なんでトルコは政教分離が可能だったのか?

前回、1920年代のトルコの近代化で政教分離の政策がとられたということを書いた。

でもなんでトルコでは、アラビア文字をローマ字にするような政教分離が可能だったのか?
ここがトルコと他のイスラーム教の国(アラブ諸国)との大きな違いだと思う。

 

それはなんといっても、トルコという国の位置がキーポイントになる。
前回の記事でも書いたけど、トルコはヨーロッパとアジアの境にある。

 

 

首都アンカラはアジア側に位置し、最大の都市であるイスタンブルはアジアとヨーロッパにまたがる海峡都市である。
(ウィキペディア)

 

トルコ政府観光局のHPでも、トルコをこう紹介している。

東洋がある。西洋がある。いくつもの物語がある。

 

トルコは、ヨーロッパとアジア(イスラーム教)の2つの影響を深く受けている。

かつてトルコの地には、コンスタンティノープルを首都とする東ローマ帝国(ビザンツ帝国)があった。
もちろん、キリスト教の国。

 

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東ローマ帝国末期の国章「双頭の鷲」(ウィキペディア)

 

1453年、「征服王」メフメト2世によって、東ローマ帝国は滅ぼされる。
そこからはオスマン・トルコ帝国の領土となる。
これはイスラーム教の国。

 

ちなみに1453年は、フランスとイギリスの百年戦争が終わった年でもある。
この戦争では、「らいおんハート」のイギリス国王リチャードや「奇跡の少女」のジャンヌ・ダルクが有名だね。
ちなみにちなみに、日本では1467年に応仁の乱が起きている。

 

Sarayi_Album_10a

メフメトは「破壊者」「キリスト教最大の敵」「血にまみれた君主」と恐れられた(ウィキペディア)

 

トルコでのキリスト教とイスラーム教の影響は、イスタンブールにあるアヤソフィアで見ることができる。
ここは、もともとはキリスト教の教会だったけど、オスマン帝国の時代にはイスラーム教のモスク(礼拝所)になった。

 

アヤソフィア【Ayasofya】

トルコのイスタンブールにあるビザンチン様式の教会堂建築。350年に創建。537年にユスティニアヌス一世によって再建されたが,1453年にオスマン帝国によって征服された後はモスクとなった。1935年以降は博物館として使用。ハギヤソフィア。
(大辞林 第三版の解説)

 

Hagia_Sophia_Mars_2013

アヤソフィア(ウィキペディア)

 

少し、このアヤソフィアについて書かせて。

さっきも書いたけど、東ローマ帝国の首都だったコンスタンティノープル(今のイスタンブール)がメフメト2世によって占領されたのが、1453年のこと。
オスマントルコの軍隊がコンスタンティノープルに入ってきたとき、市内にいた人々は、このアヤソフィアに集まった。

人々は、「ここで祈れば、奇跡が起きて大天使ミカエルが助けに来てくれる」と信じていたから。
でも、実際にあらわれたのはトルコ兵。

教会に集まった人々もろとも侵略者の戦利品になり、虐殺もしくは奴隷として鎖に繋がれ、建物も荒らされ略奪された。聖職者らは侵略者が妨害するまで祈り続けていた
(ウィキペディア)

教会にいた人たちは、殺されるかトルコ兵の奴隷となってしまった。

 

現在のアヤソフィアの天井には、キリスト教の教会だったときにつくられたモザイク画を見ることができる。
どこかのガイドブックで、「モスクありながらキリスト教のフレスコ画があるアヤソフィアは、イスラーム教とキリスト教の融合の象徴」といったことが書いているのを見た。

それはどうだろうね。

アヤソフィアがモスクだったとき、フレスコ画は漆喰(しっくい)で塗りつぶされていたから、見ることはできなかったはずだけど。

 

20160615073113

トルコで有名な「サバサンド」
ネットでは、「タモリのサバサンド」有名だけど、もとはトルコの名物料理。

「日本のようにサバの小骨を取り除くなどの気の利いた処理は一切なされていないので注意(Wikitravel)」
こんなところに、日本人とトルコ人の国民性の違いを感じるなあ。

 

画像は、このブログから使わせてもらいました。
ザキさん、ありがとうございました。

 

さて、話をトルコの歴史に戻す。
トルコにはこうした複雑な歴史がある。

トルコには他のイスラーム教の国とはちがって、ヨーロッパ(主としてキリスト教)の影響が強くあった。
トルコが近代化に成功した大きな理由は、ヨーロッパの影響があったからだという。
外務省のHPに、次のようにかいてある。

 

アタテュルクは、宗教と政治を分離しなければトルコの発展はないと考え、国家の根幹となる原理として政教分離(世俗主義)を断行。

憲法からイスラム教を国教とする条文を削除し、トルコ語にはアラビア文字に替わって、アルファベットを当てました(ラテン・アルファベットで表せないものは独自に作成)。

また、一夫多妻制を禁止し、1934年には女性の参政権を実現させました。日本の「明治維新」にもどこか通じるこうした改革は、古くからヨーロッパの一部としての歴史も受け継ぐトルコだからこそ、可能だったと考えられています。

トルコという国

 

アタテュルクによるトルコの近代化から現在にいたるまで、トルコでは政教分離は伝統的な政策となってきた。

でも、それが今揺らいでいる。
次回、そのことについて書きます。

 

セネガルのイスラーム教徒の女性

 

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投稿者: kokontouzai

今まで、東南アジア、中東、西アフリカに旅をしてきました。外国に行って初めて気がつく日本の良さや特長があります。以前、歴史を教えていたので、その経験もいかして、日本や世界の歴史や文化などをテーマに、「読んでタメになる」ようなブログを目指します。

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